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トワイライト 第三版  作者: 早瀬 薫


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第二話 4

 暫くしてカフェに戻ると、祐樹が「親父が亮ちゃんを呼んでるみたい」と言ったので、カウンターの右側のドアから奥へ入った。すると、ドアの向こうは渡り廊下になっていて、その奥は工房になっていた。ジュエリー工房は、廃業したのではなく奥へ移動しただけのようだった。そうか、だからカフェの隅に、ジュエリーを入れたガラスのショーケースが置いてあったんだなと思った。僕が工房のドアを開けると、前より老けた祐樹の父の桜木秀則が「おう! やっと帰ってきたか!」と言い、祐樹の母の桜木京子は「お帰り」と笑顔で言った。

 そして、もう一人、赤ん坊を背負った四十代半ばと見られる中年の男性がいて、彼も僕に向かって「お帰りなさい」と言った。僕は思わず、その男性に向かって「どちら様で?」と訊ねていた。

「あ、そっか。亮君の記憶って、十七歳から後がなくなってしまったんだっけ? だから僕のことが分からないんだ……」

 その男性は、その事実に少なからずショックを受けているようだった。

「渉さんだよ。姉貴の旦那さん」

 祐樹がそう言ったので、僕は「えーっ! 芳子さんの旦那さんっ!? 一生行かず後家だと思ってたのに、結婚したのっ!? そいでもってその背中の赤ん坊は、もしかして芳子さんの子供っ?」と騒いでいたら、後ろから「そうだけどっ、何か文句あるっ?」と声がした。振り返ったら、目の前に祐樹の姉の桜木芳子がいた。いや、今は結婚して佐藤芳子になってはいるのだが……。彼女の顔は引きつっていた。芳子は赤ん坊に近付き「光、良い子にしてた~? お母ちゃんのお仕事が終わるまで良い子にしててね」とニコニコしながらあやしていた。赤ん坊は、どうやら男の子らしい。


 しかし、相変わらず芳子は柔道着を着ていた。そして、彼女は僕をきっと睨み付けると、僕のジャケットの襟を両手で引っ掴んだ。そして、そのまま奥の和室に連れ込み、いとも簡単に小内刈で僕をすっ転ばすと、腕挫十字固をかけた。僕はあまりの腕の痛さに、すぐに開いているほうの手で、畳をパタパタと叩いて降参した。

「なんだ、もう降参なの。亮は図体が大きいばっかりで弱いわね。あんたは病み上がりだから、手加減してやってるのに」

「黒帯の芳子さんに素人が勝てるわけないだろ」

「まぁね。最近、お父ちゃんも年取って弱くなっちゃってつまんないのよ。あんたが鍛えなさいよ」

「柔道は結構です! 僕はボクシングが好きなんです!」

「あ、そうだったわね」

 芳子はそう言うと、壁に掛かっている時計を見ると、「あ、いけない! もうすぐ次の患者さんが来るわ!」とくるっと踵を返してクリニックへ帰って行った。


「おい、亮! お前、身体はもう大丈夫なのか?」

 工房から、祐樹の父が叫んだ。僕は、和室から工房へ引き返すと「大丈夫です」と言った。

「手はどうなんだ?」

「手?」

「そうだよ、手だよ。ちゃんと動くのか?」

「病院で毎日リハビリしてたし、普通に生活できる程度には動きます」

「なら、良かった。明日から、またここへ来い」

「は?」

「お前は、ここの従業員なんだよ!」

「えっ?」

「高校卒業して、特にしたい仕事もないからって、お前が俺に頼み込んで、ここに来るようになったんだよ。そんなことも忘れちまったのか!」

「は、はい……」

「だったら、明日からまた覚悟を決めて、きっちり働け!」

「はい」

 祐樹の父と僕がそんな会話をし、みんながニコニコしながら見守っていた。


 その後、僕は記憶の糸を辿るように、改装されていない台所に向かい、小学生の頃から置かれている食器棚を見つけてほっとしていた。そして、台所の隣りにあるトメ婆ちゃんの部屋の引き戸を開けた。すると、三歳くらいの女の子が「あーっ、亮ちゃんだ!」と言って抱き付いて来た。僕が目を白黒させていると、優菜が「のんちゃん、ただいま!」と言って、その女の子を抱き上げた。優菜によると、その女の子は芳子夫婦の上の子供で、光の姉の希だということだった。僕は持参した麩饅頭をのんちゃんに一つ渡し、もう一つは、座卓の上のおやつカゴの中に投入した。その途端、居眠りしていたトメ婆ちゃんの目はぱっちり開き、「お帰りっ!」とだけ叫んだ。その言葉を聞いて、僕はじーんとしていた。だって、また訳の分からないことを言われるだろうと思っていたのに、たった一言「お帰り」とトメ婆ちゃんが言ったから。祐樹の両親や渉さんに言われた時より、トメ婆ちゃんの「お帰り」が一番胸に沁みたのだった。


 そんな感慨に一人耽っていたのに、全部ぶち壊すかのように、またクリニックのほうから、芳子がバタバタと走って来て、いきなりトメ婆ちゃんのおやつカゴにいちご大福を投入した。すると、トメ婆ちゃんは「会社!」と叫び、それを聞いた芳子は、続けて今度はみかん大福を投入した。すると、トメ婆ちゃんは「……に、来ている保険外交員」と叫び、またもや芳子がキウイ大福を投入するとトメ婆ちゃんは「……の米田!」と叫んだ。芳子は、持っていたメモ帳にトメ婆ちゃんの発した言葉を記すと、また、バタバタと走ってクリニックへ帰って行った。全く、この二人は、やっぱり訳の分からない二人だった。

 僕と祐樹と優菜はその様子を、ただ呆れながら眺めていた。気付けば、祐樹はいつの間にか芳子の赤ん坊の光を背負っていて、僕がそのことを指摘すると「昼間は僕が一番暇だから、光とのんちゃんの面倒をみてるんだよ。工房は危険だからね」と言って笑った。しかし、今やイケメンロッカーと化した祐樹が赤ん坊を背負っている光景は、なんだか本当に滑稽極まりなかった。


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