第十九話 お社の中で
虫の鳴く音、風が扉を揺らす音、木々が風に揺れて枝や葉の擦れる様な音。リオとヒヨの耳にはその一切が入って来なくなっていた。つい先程まで風に揺れて、かたかたと小刻みな音を立てていた社の扉も全く微動だにせずに揺れていない。音が聞こえなくなって、窓の無いこの社の中からは外の状況の一切が分からなくなってしまった。不穏に思った二人は顔を見合わせるのであった。
窓の無いお社の中は月明かりも届かず完全な暗闇であったので顔を見合わせるとは言ってもお互いがお互いの居るであろう方向を見合っただけであるが。
「ねえ……音が消えた? 何も聞こえないよね?」と、ヒヨがリオに聞いた。
「うん、僕もそう思うよ……」と、リオが答えた。
「ちょっと扉開けてみようよ」と、言ってヒヨが扉の方に近づいて、そして扉の左右両方の取っ手に指を掛けて開けようと引っ張った。しかし扉は微動だにせずに開ける事は叶わなかった。
「開かない……」と、呟いたヒヨの隣にリオは近づいて、順番を変わるようにヒヨと位置を変えて、今度はリオが扉の取っ手に両手の指を掛けて力一杯に引っ張ったが、やはりどうにも扉は開かずに
「本当に開かない」と、リオはヒヨの方を見て言った。
「何がどうなっているのよ」と、ヒヨが若干の苛立ちを見せながら言った。
「わからないよ……鍵なんて無さそうだし……」と、リオが情けない声で言った。ヒヨは苛立ちを隠せずにどすんと少し激しく音を立てて社の中の壁を背もたれにして座った。
「おーい! ヒスイさーん!」と、リオが扉を叩きながら大きな声を出すも外から返事が返って来る事は無かった。それに不思議な事にリオが扉を強い力で叩いているにも関わらず一切扉が揺れる事も音を立てる事も無いのだ。
「どう言う事?」と、リオが疑問を口に出すと。
「ちょっと、どきなさいリオ」と、先程まで不貞腐れて座り込んでいたヒヨが立ち上がって杖を構えた。
「ちょっとヒヨ、何するつもりだよ!」と、リオが言うと
「良いからどきなさい! その扉に私の魔術をお見舞いしてやるから」と、しびれを切らした様にヒヨが少し声を荒げた。
「さっきもヒスイさんに言われただろ? 感情任せに魔術を使っちゃ駄目だって」と、リオがヒヨを諌める様に言った。
「私は冷静よ、荒ぶっちゃいないわ。この扉どう考えても普通じゃ無いでしょ? 私たち魔術で閉じ込められたのよ、絶対そう」と、ヒヨは自分を納得させるようにうんうんと頷きながら言った。
「だからリオ、どきなさい」と、ヒヨは微笑んだ。リオはその微笑みが少し怖くて、はいと短く返事をして扉から離れてヒヨの背中の社の中の奥の方に移動した。
「ふんっ」と、可愛らしい短い掛け声と共にヒヨは杖を振り下ろした。すると、つい先刻にオアシに向けて放った物と同じくらいの大きさの火の玉が社の中で煌めき、扉に当たって弾けるように消えてしまった。
「何で? 何で扉燃えないのよ!」と、ヒヨが声を荒げる。
「ねえヒヨ、ヒヨの火の魔術ってさ……明かりは灯せる?」と、リオが素頓狂な事をヒヨに言った。
「何で?」
「今、ヒヨが火を出した時にさ、一瞬だけお社の奥が見えたんだけどさ、何か変な物があって、祭壇? みたいな……ちょっと気になるんだよね」と、リオが言うので。
「小さい炎で良いのよね?」と、ヒヨが言って、杖をかざして杖の先に小さな火を灯した。すると、ようやく暗闇に明かりが灯って、リオとヒヨはお互いの顔を見合って少し安堵した様に口元を緩ませた。
「久しぶりね」と、ヒヨが少し照れくさく呟いた。炎に照らされた頬は赤く染まり、今のしおらしさも相まってリオにはヒヨがとても可愛らしく見えた。
「……温かいね」と、言葉に迷ったリオがバツの悪そうに言った。火が灯ると山の上の冷えた空気を殊更に実感できた。室内の温度が上がってようやくそれを実感出来るほどに二人の幼い心は緊張を強いられていたのだろう。
「それはそうよ本物の火だもの、近過ぎると火傷するわよ?」と、当たり前の事を言うようにヒヨが言ったのでリオはまた決まりが悪く襟足の生え際を指でかいた。
「で、祭壇って?」と、ヒヨが言うので、リオはヒヨにこの部屋の奥の方を照らすように言った。ヒヨが杖の火を部屋の奥に差し向けると、確かにそこには祭壇が有った。明かりを灯すと意外にも室内は広く、祭壇は少し大きく立派な物があった。何か供物を置くために台座の様な物が前の方に置いてあり、さらにその奥には子供の身体位の大きさの石づくりの一枚の板が丁寧に立てかけてあるのが見えた。
「何よこれ……」と、ヒヨが不気味な物を見たような声で呟いた。
「やっぱり祭壇だよ、ここにお供え物を置くんじゃない? 村の祭りの時に下の神社で同じ様な物を見たことが有るよ」と、リオが言った。
「……あの板は何? 石で出来ているのかしら?」
「何か掘られているね、太陽の形?」と、リオが言う。
「確かに太陽の模様に見えるね」と、ヒヨも同じく石板の模様に太陽を思い浮かべた様であった。
「神社の裏山にこんな所が有ったなんて気味が悪いわね、早く出たいわね……」と、ヒヨが呟いて、杖を持ったまま直ぐ側の壁を背もたれにして両膝を立てて座った。腕を膝の上に固定する様に置いて、火の灯りをリオの方へ向けていた。リオもヒヨの隣の壁を背もたれにして座り込んだ。
「でも、ヒスイさん何でこんな洞窟の中のお社なんて知っていたんだろう?」と、リオがヒヨに聞いた。
「さあ……」と、ヒヨが素っ気なく呟いたきり会話は途絶えてしまった。
リオとヒヨはぼうっと杖の先の小さな火を眺めていた。火を眺めながらいくらか時間が経って、リオが時間の流れを火の中に見失いそうになった時にヒヨが話し始めた。
「これね、きっとヒスイさんの固有魔術よね。リオも聞いていたでしょう? 停止の魔術、本当に恐ろしい魔術よ、この部屋丸ごとヒスイさんに止められているのよ、扉も壁も時間の流れが止まっているから動かないし魔術も通じないのよ」
「きっとそうなんだね、でも魔術が続いているって事はおじさんはまだ無事って事でしょ?」
「そうね、この魔術が解ける時はヒスイさんが解除した時か、ヒスイさんの魔力が尽きた時、つまりはあの男にやられた時ね、この扉を開けるのがヒスイさんである事を祈るしか無いわね」と、ヒヨは弱気な事を得意気に語った。そしてまた重い沈黙が場を包むのであった。
「そういえばさ、あの弓はどうしたの?」と、唐突にヒヨにリオが聞いた。
「あっ! ……言われて気付いたわ、いつの間にか持って無かった」と、ヒヨが申し訳無さそうにしゅんとして言った。
「どこで無くしたんだろう?」と、膝を抱えて言うリオ。ヒヨにはその雰囲気は焦りや怒りよりも寂しさが目立って見えた。
「山を登り始めた時にはもう無かったわ……多分……」と、ヒヨが自信無さげに言った。
「そう……」と、リオが呟いて
「後で全部終わったら一緒に探しましょう」と、ヒヨが答えた。
二人は無言のままに蝋燭の様な杖先の火をじっと眺めていた。もうこの社の中に入って、随分時間が経っている気がする。静寂と火の揺らめきは二人の眠気を誘い、二人はうつらうつらと船を漕ぎ始めていた。火の揺らめきが不意に火が消えたかと見紛う程に小さくなったり、それとは逆に大きくなったりを繰り返していた。
「ヒヨ、少し寝たら? 僕が起きているから、火を消して少し休んだら?」と、リオがヒヨに優しく声を掛けた。
「……いい」と、ヒヨはリオの提案を断って、意思を表すように杖の火を強めるのであった。
――いよいよ二人の身体的な疲れと精神的な緊張が頂点に達した様で、ヒヨの杖先の火は完全に消えており、二人はお互いの肩に寄り添う様にもたれ合ってにうたた寝に落ちてしまっていた。
二人の目を覚ましたのは人の足音であった。突然聞こえて来た外界の音にはっとして二人は目を覚ました。風に扉が揺れている。そしてゆっくりゆっくりと芝を踏みしめ、時折土を擦るような足音が二人の居る社の方に近づいて来る。二人は息を飲んだ。暗闇の中、火を灯すことも無く、二人はお互いを見合った。自然と身体は腰を上げて直ぐにでも動き出せる中腰の体勢のままに扉の方へ向かった。扉にぴたりと張り付いて外の音に耳を凝らしたが、二人がお社の中から意識を外に向けている事に足音の主は気が付いているのか、歩みを止めた様で社の中に聞こえてくる足音が途絶えた。二人は足音の主のその行動を疑問に思って一層に警戒を強めた。
扉に近づくと、扉の僅かな隙間から月明かりが僅かに差し込んで来ている。扉の直ぐ側に置いていたヒスイの木箱が月明かりに照らされているのをリオは何とは無しに見ていた。
「どうする?」リオがヒヨに聞いた。
「出るしか無いしょう」と、ヒヨはどこか決心の様な感情を語気に乗せていた。
「そうだね……どの道時間の問題だろうしね」と、リオも同じ懸念を抱いている。
多分、外にいるのはあの男だ! ヒヨは確信していた、そして確信と同時に社から出る決意を必死に固めようとしている。攻撃を仕掛けるのか、逃げるのか、対話するのか。ヒヨの幼心は決心出来ずに尻込みしている。
「よし! 出るよヒヨ!」と、なんとリオはそんなヒヨを尻目に勢いよく扉を開け放って外に飛び出た。
「やっと、出てきたな小僧……小娘」と、冷たく重い空気を纏った男がお社を少し離れた所から睨みながら言った。
そこにはやはり、ヒスイではなくオアシが立っていたのだ。月明かりに照らされるオアシの姿は血みどろであった。着物は襟が胸の所で刀傷の様スッパリと切れており血が滲んでいる。袴も裾はぼろぼろに擦り切れ所々に血の跡なのか斑に黒く染まっているように見える。
余程激しい戦いが有ったのだと一目に分かるそのオアシの様相にヒヨとリオは固唾を呑んだのであった。




