1年生8月:攻撃(3)
夜7時が近くなり、真っ赤な夕陽が水平線に沈みかけている。
まだうっすらと明るいけれど砂浜に観光客たちの姿はない。どこのホテルでもだいたい晩御飯の時間で、みんなホテルに戻ったみたいだ。
臨海学校最終日にビーチバレーをした場所にも、人の気配はなかった。
念のため、結界『聖域』 を一度砂浜の表面に薄く展開して人がいないか確認する。
もし誰かがいれば、広がってゆく結界に当たって探知できるはず。
誰も巻き込むわけにはいかない。
1年前、わたしはただのアリスだった。
痩せて貧相で、男の子みたいな格好で、学校は終わったとたんに帰って倒れたお母さんの代わりに家事をして。
だけど。
貧しい生活の中で、楽しいこともあった。
自由に笑える、楽しい場所があった。
わたしは精一杯、それを守ってきた。
守り続けたかった。
アリーナ事件のあと、クラーケンのことを調べた。
タコのようなイカのような、巨大な多足生物。
航行中の船を沈めることもできる海洋魔物だけど、意外に人を襲った記録はほとんどなかった。
地域によっては航海の守り神みたいにされている。
(どうしてわたしを襲うの?)
また狙われて巻き添えで誰かが傷つく。
そんなことになったら、自分を絶対許せない。
わたしは、わたしを守るために戦う。
靴を脱いで裸足になって、波打ち際から一歩、海の中へ進む。
寄せる波がわたしの足首を濡らしてー。
『ミ、ツ、ケ、タ』
3回目になる、水にくぐもったような震える声。
沖の方から何かが盛り上がり、その勢いで高くなった波が浜辺へ襲いかかる。
「『聖域』!」
クロスペンダントを握りしめて、体をギリギリ覆うサイズで結界を展開する。
白く泡立った波が結界を呑み込み沖へ引きずり込もうとするが、結界はびくともしない。
夕陽の中に現れた黒い陰から、長い赤い足が鞭のように跳んできて、わたしの顔の目の前で結界に弾き返された。
バシッ、バシッっと次々に足が結界を破ろうと叩きつけられる。
『カ、エ、セ』
太い足を結界に巻き付け海へ引っ張り込もうとしながら、2階建ての家くらいの大きさの、赤いヌラヌラしたクラーケンが目の前まで近づいてきた。
どこからしゃべっているのか、もう一度くぐもった声を出す。
『カ、エ、セ』
返せ?
「何を返すの?」
『オウ、ノ、クシ』
ぎゅいっと巻き付く足に力がこもる。
『ミツケタ、ジャスパー』
ジャスパー・イオス・マーカー、父の名前だ。
「関係無くなかったのね‥」
それならなおのこと。
返せと言われても心当たりがない。
悪いけど2度と取り立てに来ないよう、全力で追い返す!
ポーチから『絶対零度』をひとつ取り出し、クラーケンに放り投げる。
爆弾は足のひとつに当たって弾けると、クラーケンの足をまとめて凍りつかせたが、凍っていない足がすぐに氷を壊してしまった。
魔力が高いクラーケン相手だと効果がいまいちのようだ。
「仕方ないね。」
わたしは右拳に魔力を込めて、指輪をナックルの形状に変化させる。
ステータスをみた感じだと、『聖拳突(MP10~)』はもっと魔力を込めれば攻撃力が上がる気がする。
「ふぅーっ」
大きく息を吸い込み、気を練る感覚で意識を右拳に集中させる。
ナックルを握りしめる掌が熱くなり、十字の刻印が金色の光を放つ。
もっと、もっと魔力を‥!
腰を真っ直ぐ落とし、両肩を下げて、肘を起点に余計な力が入らないように構える。
「『聖刻印』」
右拳を中心にした巨大な光の十字架がクラーケンの前に出現した!
わたしの唯一の武器、非常識な魔力をありったけこめた聖なる光。
『ナ、ン、ダ、?』
迷うな!
「はあっ!!」
目の前のクラーケンに向けて、真っ直ぐ右拳を撃ち抜く!
十文字の光は厚いクラーケンの体を貫通し、焼印のように魔物の胸元に十字架が刻まれた!
『グ、ガ、ガガァー!!』
結界に絡み付いた足が緩み、アイスが溶けるようにべちゃっとクラーケンの体が力を失った。
「やった‥?」
ほとんどの魔力を打ち出したのか、急に貧血のように目の前が暗くなり、力が抜けて膝が落ちた。
そのまま前のめりに倒れてしまい、結界が解けてしまう。
ザザー、ザザー、ザザー‥
波が頬をリズムよく叩く。
まだクラーケンがどうなったか確認できていない。
ダメだ、起きないと危ない‥。
「アリス!」
名前を呼ぶのは誰?




