08-雪の洞窟
夢を見た。幼い頃の夢を。
まだ俺の家庭が壊れていなかった、あの時の夢を。
あの時は無邪気に、こんな生活がずっと続くのだと信じていた。
テーブルいっぱいに広がった料理、肉の焼けるいい匂い、上機嫌な母。
そんな母の姿を見て、俺の方まで楽しくなってきてしまうのだ。
ナイフとフォークを持ち、『まだ?』と母をせかす。
その時、玄関が開いた。
俺はそっちを見て――笑った。
ああ、そうだ、あの時は確かに笑えていたのだ。
無邪気に帰って来るのを迎えられたのだ。
――オトウサン――
※
泣いていた。
眠りながら、俺は泣いていた。
かつての幸せな日々を思い出して泣いた。
(父さん……俺は、アンタに会いたかったのかもしれない……)
父が憎かった。
自分を見捨て、母を振り捨てて旅立った父が。
だが不思議な事に、心の底から憎むことが出来なかった。
無論、どうして帰って来なかったのだと言いたい気持ちはある。
だが、彼を殺したいほど憎んでいるのかと言われれば――違う。
どうして近くにいてくれなかったのだと。
どうして俺のことを見てくれなかったのかと。
そう言ったかったのかもしれない。
(結局のところ、コンプレックスなんだよな……)
まともに愛情を授けてくれなかった父を憎んでいた。
その反面、俺はその愛情に飢えていた。
情けない限りだ、ファザコンにしてマザコンなどと。
「目が覚めたか、少年」
言われて、気付いた。
俺がどんな状況に陥っていたのかを思い出した。
慌てて上体を起こし、手足を見た。特に怪我をしてはいないようだ。
「ひとまずは問題ないようだな。凍傷を起こしているようなこともない」
カリカリと鉄鍋の底を掻く音が聞こえた。
ここはいったいどこだ、辺りを見回す。
どうやら、俺は洞窟の中にいるらしい。
外からは轟々と風の泣き声が聞こえる、雪も降っているだろう。
こちらに吹き込んで来ないことだけが幸いだった。
反対側を見ると、ボロ布で全身を覆った長い髪の男が座り込んでいた。
鍋を掻いているのは彼らしい、俺を助けてくれたのか?
「食べられるなら、食べろ。ゆっくりだぞ」
男は鍋を持ち、こちらに近付いてきた。
トマトの豊潤な匂いが鼻孔をくすぐる。
「あなたは……」
「アルフォンソ。お前をここまで運んで来た」
平らなところに鍋を置き、そこにスプーンを突っ込んだ。
食え、ということだろう。
腹も減っていたし遠慮なく掻っ込んだ。
美味い、温かさが体中に染み入る。
「ありがとうございます、本当に。
助けてもらっただけじゃなく、こんな……」
「雪の上で寝ている人間がいれば、誰でもこうする。
死にたかったのならば謝るが、そうではあるまい?」
返事はせず食事を続けた。
無作法だとは思うが、とにかく食えば食うほど腹が減って来るのだ。
途中咽てしまう、そんな姿を見てアルフォンソさんは水を差しだして来た。
「無理はするな」
「ドーモ……ところで、アルフォンソさん。
見つけたのは俺だけですか?」
シオンとフィズの容姿を伝えた。
彼が見つけたのではないか、と甘い期待を抱くが――
「いや、そのような女子たちは見ていないな。はぐれてしまったのか?」
現実は甘くないらしい。
どうやら吹っ飛ばされたのは俺だけのようだ。
「まあいいや、あの二人なら俺がいない方が生き残る確率高いだろうし……」
「しかし、このようなところでお前たちは何をしていたのだ?」
「上を目指していたんですよ、タルタロスの上層を」
そういうと彼はもっと怪訝な顔をした。
そりゃそうだろうな。
「タルタロスは危険な場所だ。生身の人間が踏破出来るような……」
「分かっています。常識じゃ考えられないって。でも、諦める気はありません」
理由までは言わなかった。
さすがに話すようなことでもないからだ。
「ところで、この近くにあった村がなくなっていたんです。
地図では……ああ、クソ」
フィズに地図を預けてしまった。
これではどこに行けばいいのかさえも分からない。
「魔獣の襲撃を受けて滅んだ村がある」
「やっぱり……」
「最近魔獣が活性化している。上を目指すなら、立ち止まらないことだ」
元よりそのつもりだ。
が、アルフォンソさんの表情は暗かった。
まるで何かを隠しているような、苦しげな表情だ。
どうしたのだろう?
「避難民たちが作った集落が南西にある。そこまでは連れて行ってやろう」
「ありがとうございます、アルフォンソさん」
「眠れ、いまは。ここならば凍死の危険はないからな」
アルフォンソはぎこちない動作で鍋を掴み、また洞窟の奥へ向かった。
飯を食ったらまた眠くなってきてしまったので、言う通りにするとしよう。
まだ外では風が吹いている、こんな状態では出ることさえ出来ないだろう。
「あの……アルフォンソさんって、腕が悪いんですか?」
「どうしてそんなことを聞く?」
「動きはぎこちないし、その……」
何か理由があると思ったが、聞かざるを得なかった。
「熱い鉄鍋を素手で掴んでいましたから」
鍋には取っ手がなかった。
なのに、彼は素手でそれを掴んでいたのだ。
「……かつて両腕を失った。その代償だ」
アルフォンソさんはローブをはだけさせ、腕を見せた。
球体の関節、廃熱スリットのついた上腕、手甲のような前腕。
噂で聞いたことがある、機械の腕。
「こんなものをつけないように生きる方が、よっぽどいい」
「あなたは……その体になったことを後悔しているんですか?」
「分不相応な夢を抱いた結果だ。私には誰を抱く資格もない」
それっきり、アルフォンソさんは黙ってしまった。
どうして両腕を機械化しているのか。
どんな夢を抱いたのか。
聞きたかったが、睡魔が襲ってきた。




