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08-銀世界

 階層が変わる、その瞬間が恐ろしい。


 穏やかで緩やかな坂道に突如として現れた、黒い金属製の通路。

 四隅の小さい八角形の金属菅が通っているようだった。

 通路に隙間はなく、またつなぎ目も存在しない。

 だから木々や草の一つさえ存在しないのだ。


(タルタロスってのは、いったい何なんだろう……)


 『虐殺の丘』での戦いの後、上に昇らなかったのはこれのせいでもある。

 初めて見るこれに、俺は圧倒され、恐怖心さえ抱いた。

 こんなものが存在すると信じられなかった。


 意を決し、一歩足を踏み入れる。

 カツン、という音さえしなかった。

 このトンネルの中では音が反響しない。

 後ろを歩く二人の足音も、木々のざわめきも、何も聞こえない。


(まるで世界に、自分が一人っきりで閉じ込められてしまったような……)


「どうしたのですか、オーリ? もしかしてビビっているのですか?」


 フィズの無遠慮な声が後ろから聞こえてきた。

 反響はしないが、真っ直ぐ進む音は聞こえる。

 それだけで、少しだけ勇気が湧いてくるような気がした。


「バカ言え、そんなわけねえだろうが」


 クルリと振り返り、二人の顔を見ながら後ろ歩きで通路を進んだ。


「タルタロスなんぞにビビるか。どんとこいだ」

「そこまで減らず口が叩けるなら、大したものなのです」


 フィズは両手をひらひらと上げ、それを見てシオンもクスリと笑う。


「あのなあ、いいか。俺はスタルトの町で一番勇気ある男として――」


 最後まで言えなかった。

 何かに足が引っ掛かり、後ろ向きに転んでしまったのだ。


 頭を打つ。

 そう思ったが、そうはならなかった。

 柔らかな何かの上に俺は倒れ込んだ。

 剥げたペイントと人工太陽の光が視界いっぱいに広がる。


「これは……何なんだ」


 冷たい、背中が。

 両手を突き踏ん張ろうとしたが、埋まってしまい上手くいかない。

 四苦八苦しながら何とか立ち上がると、今度は白銀の世界が見えた。


「もしかして……これが雪? 初めて見た、生まれてから……」


 一面に白い雪が敷き詰められ、太陽の光を反射し銀色に輝いていた。

 時折雪の間から顔を出している刺々しい針葉樹が目を引く。

 こんなものがあるとは、知らなかった。


「オーリ、ゴーグルをかけて。反射光で目をやられます」


 言われて、服屋のおやじに言われたことを思い出した。

 あの美しい輝きには人の視界を奪う威力があるのだという。

 おっつけられた――それなりに高い――ゴーグルをかける。

 少しばかり視界は制限されるが、何も見えなくなるよりはマシだ。


 風が吹き抜けた、冷たい風が。露

 出した肌にそれが突き刺さり、凍えるような寒さを感じる。

 マフラーを引き上げ、少しでも肌に当たる風を減らそうとした。


「とにかく、進もう。つっても、どこに行けばいいんだか」

「地図に従って進んでみましょう。

 北西方向に少し行けば集落があるそうです」


 俺たちは雪を掻き分け進み始めた。

 足首まですっぽりと覆うような分厚い雪の層、普段使いの靴では進むことさえも出来なかっただろう。服屋の店主には感謝しなければならない、それほど安い出費ではなかったが。


 こんな状況だからか、外を出歩く者も魔獣も姿を現さなかった。

 ただ、時々木立の影に気配を感じ、振り返ることはあった。

 あいつらは、俺たちを見張っているのだろうか。




 30分ほど歩くと、村に辿り着く――はずだった。

 いや、辿り着いたのだが……


「なんだ、こりゃあ。ヒドイ有り様だな……」


 村は破壊されていた。

 崩れた家屋の壁、血が飛び散り固まった跡、道端に現れた雪のドーム。

 魔獣の襲撃があったことを、如実に表していた。


「ここに住んでいた人たちは、みんなやられちまったのか?」

「どうでしょうね、生きているともいないとも……」


 フィズは家屋の中を覗き込みながら言った。


「ただ、家財道具の類がありませんね。

 魔獣の襲撃ではありえないでしょう」

「あいつらは人間の持ち物には興味を示さないからな……

 いるのは血肉だけ」


 ならば、生き残った人々はこの村を捨ててしまったということか。

 しかし、どこに行ったのだろうか?

 この雪景色、歩くのにも難儀してくると思うのだが……


 散弾を詰め替えていると、また風が吹いた。

 この突き刺すような、切り裂くような感覚には慣れそうもない。

 と、首筋に冷たいものが張り付いた。


「これは……これが、雪か」


 空を見上げると、ひらひらと白いものが落ちて来るのが見えた。

 手を広げると、それは掌に落ちて来て、ジワリと溶けてなくなった。

 これが、地面を埋め尽くしている雪。


「まったく、冷たいですね。そろそろ移動しましょう。

 次の村が近くにあったはず――」


 その時。


 轟、と風が吹いた。

 これまでとはまるで違う勢い。

 体が浮いた気がした。


(……違う、浮いている! まさか、バカなそんな……)


 風に吹き飛ばされた。

 そうとしか考えられなかった。


 地に足がつかない、視界が真っ白に染まる、音さえも聞こえなくなる。

 いったいどうなってしまったんだ、俺は。


 やがて、浮遊感にも終わりが訪れた。

 肩から地面に叩きつけられ、俺の体が半ば雪に埋まった。

 柔らかい雪だったのが幸いしたのか、痛みはほとんどない。


「クソ……!? フィズ、シオン! どこにいる!?」


 立ち上がり、辺りを見回し、また異変が起きていることに気付いた。

 風は荒れ、雪の粒が舞い飛んでいる。そのせいで視界がまるで通らない。

 ほんの10m先も見通せなくなってしまった。


 一瞬にして、世界が変わった。


 しかも、事態はそれだけで終わらない。

 化け物どもの吼え声が聞こえた。

 ガルムたちが、一人になった俺を殺そうとしている。

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