■□■□四話□■□■
◆◆◆◆ 4 ◆◆◆◆
「ルフェはよほど、貴方の元に帰りたかったのだろうな。いつも、急いでいるようだった」
ザルエスは淡々としていたが、「いつも、どこか遠くを見ていた。旅をしている頃も、魔法学校の頃も」寡黙だと思っていたエルフの印象が変わるほど、ザルエスは饒舌に語った。
「あいつにとって、守りたいのは貴方だけだったのだろうな」
「浚ってしまえば良いものを。貴方を縛り付けたくなかったようだ」
「結果は、貴方もあいつも縛りつけられることになったが」
「少なくとも、あいつは貴方を憎んではいなかった」
「何があいつをそうしたのだろうな」
「いや、恋とは偉大なものだったか。長生きとはしてみるものだな」
連ねられる言葉。
相変わらず温もりのない声だけど、これは、もしかして。
「私を、慰めてくださってますの?」
ザルエスは目だけで私を見てから、訥々と「先程の言葉は、あなたには不用意な言葉だった」
それは私に、というよりはルフェに言っているようだった。
ザルエスは、こういってはなんだが、あまり話が巧くない。言葉を尽くそうとするが、普段は事務的に淡々と的確に話すのだろう、慣れない話し方だから、話の着地点をどこに持ってこようかと苦悩しているのが伝わってくる。
やがてザルエスは一つ息を吐き出す。
「……魔法学校にいたころ。あいつはいつも貴方に文を返そうとして、悩んで悩んで結局満足できず送ることはしないというのを繰り返していた。刃のような鋭い言葉を操る口の達者な奴だったが、相手が貴方となると初恋の乙女のように初になってな。いや、私も悪いことをした。一度、あいつの書いた手紙を読んで笑ってしまったのだ。あまりにも、貴方への想いが強すぎて。まるで想いが滴るような文だった」
◆◆◆◆ 5 ◆◆◆◆
ルフェが北へ旅立って八ヶ月後。黒髪の男が凄まじい勢いで魔物を殺しているという噂が流れてきた。すぐにルフェだと気がついた。無事でいるのだと嬉くなったけれど、何も知らない癖に、本当のルフェを知らない癖に、ルフェのことを だという人間が、許せなかった。
黒髪の ですって? 何でそんな風にいうの?
ルフェは、魔物相手に体をはって戦っているのに!
あの人は、本当はとてもやさしいのに……。
そんなもどかしい日々が連なり、二年が過ぎた頃。
商業都市に、魔人が現れた。
北を大きく迂回して来たらしい。迂回してきたルートは険しい山脈で、誰も警戒していなかった。商業都市は狂乱した。
荷物を負った馬車が小さな子供を轢く、老人は人の波に突き飛ばされ最後には文字通り踏み潰された。弱いものから死んでいく、この世の醜さを固めたような、ある意味真理を集めたような……地獄のような光景。みな、生き残るのに必死だった。
私は孤児院の小さな子供達を馬車に乗せた。私は乗れなかった。これ以上人を乗せては馬が早く走れなくなるから。
「お姉ちゃん」
小さな手が私を惜しむ。
「大丈夫よ、私には、守ってくれる人がいるから」
馬車には行って貰った。それを見送りながら、私は自分の左手を胸に押し付ける。薬指に嵌められた指輪をそっと撫でた。
「あらぁ?」
ねばつくような女の声。
「アナタから、あの男の気配がするわぁ」
声は私の頭上。見上げると、下半身から蜘蛛の体を繋げた女が私を見下ろしていた。私を見るその瞳の光は、狂気のそれ。
「あは! これは、いーもの見つけたかも」
女は舌舐めずりして。
「貴方の首を持っていったらあの男、どんな顔をするかしら」
この時、私は純粋な悪意というものはじめて体感した。この蜘蛛女にしてみてら、私は血の詰まった玩具なんだと理解してしまう。
「君、逃げなさい!」
駆け寄った騎士が蜘蛛女の足に貫かれ、一言だけ呻いて死んだ。蜘蛛女はそのまま、騎士の死体を弄ぶ。
「ううーん。生かして連れていくのも、いいかもぉ。目の前で殺しても、面白そうだしぃ。あぁん、あの男はどういった声で泣き叫ぶかしら。どんな言葉を使うのかしら。考えただけで、アタシ、アァ……ッ」
色のつきそうな熱い息を吐き出し、ぶるりと女の上半身を震わせる。蜘蛛の下半身、その足元で弄ばれる死体はまるで恋する乙女が花占いをするように、ちぎってはなげられて、むしっては投げられて。目をそらせばいいのに、離せない。怖気が止まらない。体が震える。
「あら、可愛い反応。私が怖い?」
女はうっとりと私を見つめる。頭上にあった女の上半身がぐっと下がり、私と目線が近くなる。女は愛しいというように、私を見つめていた。
「大丈夫よぉ、私は優しいから、大人しくしてるなら乱暴なことはしないわ」
安心させるように微笑んで。
女の手が、私に伸ばされる。
「連れていってあげるわ、あの男のところに。ね、会いたいでしょ? 人間の足では大変だから、私が運んであげる。貴方が歩く必要はないの。だからね」
その足を、私に、ちょうだい?
悲鳴が響いた。蜘蛛女が、体を炎に焼かれていた。
蜘蛛女の手が私に触れそうになった時、赤い光が視界を覆ったのだ。
左手を見るとルフェから貰ったあの指輪が輝いていた。その光を見たとき、私は泣きたくなるほど安心した。
よかった……、もう、大丈夫。ルフェが、守ってくれるから。
蜘蛛女にまとわりつく炎は、蜘蛛女が息絶えると同時に小さくなっていった。
それを私は駆け寄ってきた騎士とともに見つめていた。
私ははじめて魔物と遭遇したから分からなかったが、蜘蛛女は魔物の上位種、魔人であったということだ。
それを焼き殺す力を持った指輪は誰から貰ったものだと聞かれ、答えると奇妙なものをみるような目で見つめられた。あの が? といわれ、私は騎士の頬を思いきりひっぱたいた。
あの蜘蛛女が魔物を指揮していたようだ。いいのか悪いのか、蜘蛛女が死んだことで魔物は統率を失い自分勝手に暴れまわるもの、逃げ出すものに別れ、すべてが終わったのは夜明け前のことだ。眠れない夜を過ごした私は避難した先、といっても瓦礫の山の中から暁を見てほっと息をついた。
しかし、襲撃は終わったが、商業都市は人のすめる状態ではなかった。押し潰され、引きちぎられた人の死体と、息耐えた魔物の死体をどうにかしなければならない。大通りの石畳は無惨なほど割られ、崩れた町並みも修繕しなければならない。終わったというのに、戻ってきた人々の顔はくらい。そして口々に囁かれる言葉。
前線は何をしているんだ。 は死んだのか? あいつは なんだから、もっと、やめてやめてやめてやめてやめて!
=蜘蛛女はいっていた、あの男の気配、と。魔人と顔を付き合わせるほど危険な場所で、あの人は戦っているのに。
うっくつした気持ちで炊き出しの準備やら子供の相手をしていた頃、私を王都から訪ねてきた人がいた。
きらびやかな、豪奢な衣服を着たその男は皇太子からの使いと名乗った。