■□■□三話□■□■
◆◆◆◆ 3 ◆◆◆◆
その年の夏、ルフェは戻らず、手紙も来なかった。寂しくないといったら嘘になるけれど、ただ心配だった。不吉な噂がそこかしこで囁かれていたからだ。
魔王が現れた、と。噂を裏付けるように魔物の活動が活発化していた。魔物領に面した北の方には魔物の中でも上位種たる魔人が現れ激戦が続いているらしい。
さらに北に人間の国や亜人の住む場所があったはずだが、ことごとく滅びたのだと聞いた。
(姫巫女が先日前線に慰安)(聖騎士が出撃したそうだ)(子供も武器をもって)(避難民を受け入れるのか?)ざわざわと騒がしい雑踏。不安が溢れていた。
そんな日々が一年、二年と過ぎ、私は14歳になっていた。
その頃の私は夜になると孤児院にある聖堂のベンチに座って、ただぼうっとしていた。持ってきた燭台の炎を見つめていると、段々不思議な気持ちになってくる。ルフェが召喚獣を呼んだときに広がった炎、あれを見たときも、何かが脳裏を過った。
炎に包まれた、見覚えのない風景。悲しみに満ちた悲鳴、怒号、なんの生き物か分からない鳴き声、私を抱き締める顔の見えない誰か、
過ぎ去った後の、冷たい肉の感触と、煙に混じった血と肉の焼ける臭い、それと、蒸せ返るような死の気配……、これは、なに?
「イルシェ」
不意にかけられた声に、私は現実に返る。目の前にはルフェがいて、気遣わし気に私を見つめていた。
「なにか、嫌なことでも思い出していたのか」
「……よく、分からないの」
「泣いている」
ルフェの手が私の頬に触れ、涙を掬う。泣いているなんて気がつかなかった。
ルフェは私の隣に座った。自然と私の手はルフェの膝に伸びてそこにおかれていた手に絡まる。暖かい手だ。
「私の両親のことを思い出していたんだと、思う」
赤子の頃の記憶なんてあるはずがないのに。けど、そうとしか思えなくて、私の声が静寂に染みる。
「私の両親は、魔物に殺されたの。住んでいた場所も炎に焼かれて」
すぐ傍にいるルフェに寄りかかる。
「ここも、そうなっちゃうのかな」
ルフェを見上げる。静けさを湛えた瞳が私の視線と交わった。私は微笑む。
あの冬から二年立って、青年となったルフェは精悍さを纏っていた。細身なのは変わらないけど、豹のようなしなやかな筋肉に覆われている。握った手は固く、この時にこれは剣を扱う人の手だと何となく察した。魔法使いなのに剣を使うのかな、という疑問は一瞬で溶けて消えた。
今は、すぐそこにルフェがいるのが嬉しかった。
「帰ってきてたの、気づかなかった。おかえり」
「つい先程帰ってきたんだ」ルフェは囁くように言う。「またすぐに戻らなくてはならない」
「そう……」
残念だと思った私にルフェは続ける。
「魔法学校を卒業したんだ」
「もう? 凄いじゃない」
ルフェが学校に入学したのは12歳の中頃で、今は16歳だ。最低でも七年はかかるという過程を四年で終わらせてしまうとは。
だがルフェは浮かない顔をしている。
「王都で就職することになった」
「まぁ」
それは本当に凄い。孤児が王都で就職するなんてことは、よほど運がいいか、才能があるかだ。
「本当におめでとう。ルフェを認めてくれる人がいたのね」
ルフェは私から視線を反らす。形のいい唇が、ゆっくりと動いた。
「魔物の討伐隊に入ることになった。北に行くことになる」
一瞬何を言っているのか分からなかった。
「行けば、いつ帰れるか分からない」
喉がひきつった。それ、は。
ルフェは私に視線を戻し、真剣な瞳で私を見つめた。
「でも。必ず、戻るから」
繋がれた手が強い力で包まれる。
「俺はここに。イルシェの傍に、帰りたい。ここが、俺の帰る場所だから」
懇願のような声だった。私の手を包む力は、まるですがりつく子供のよう。
このとき私は、本当は行かないで欲しかった。戦場で、あの日私の全てを奪った炎のなかで、ルフェが焼かれてしまうのではないのかと。
酷い人だと思った。手紙の一通も返してくれないくせして、欲しかった言葉を、さよならの時にいうだなんて! 酷すぎるわ。こんなの、そんな風にされたら、私は。
もう待ちたくないのに。
あなたが帰ってくるのを、待つしかないじゃない。
「ずっと、待ってるよ」
私は内心の葛藤を押さえ込み、ルフェに微笑みかけ、
「ここで、ルフェの無事を祈っている」
これも、私の偽りのない願いだなんて、自分でも信じられないわ。
「手を出して」
ルフェに言われおもむろに左手を出すと、薬指に指輪が嵌められた。ルフェの瞳と同じ色、私の好きな色をした宝石がはめ込めれた指輪だった。その美しさに思わず魅入った。
「綺麗……」
「俺の魔力を結晶化したものだ。きっと、イルシェを守ってくれる」
「……ありがとう」
ルフェの想いが嬉しかった。
「私も、なにかあげられたらいいんだけど」
遠い場所にいってしまうのだ。手紙を送っても無事に届くか分からない。そう思っていると、ルフェが砂を掬うような繊細な手付きでそっと私の頬を包み、上に向かせる。
赤い、あの瞳が間近で私を見つめていた。
炎の色、血の色。同じ赤だけど、ルフェの瞳はそれよりももっと綺麗で。だから、私は好きなの。
唇に、なにか固いような、けれど柔らかいものが押し付けられる。息が、止まる。時間が止まったようだった。
最後に、下唇に軽く吸い付いてルフェが離れていく。
感触を確かめるように親指で私の唇を撫でて、
「今は。これだけでいい」
掠れた声でそういうと、私を軽く抱き締めた。
「行ってくる」
名残惜しむようにゆっくりと離れて、ルフェは立ち上がり、去っていく。
私は呆然と、彼の背中を見送った。




