法は人を守らない
現在の法は、幾千、幾万といった人々の血や涙、後悔の上に聳え立つ巨大な塔だ。
殺人を禁じる条文の背後には、殺された者たちがいる。詐欺を罰する条文の背後には、騙された者たちがいる。手続きを定める条文の背後には、手続きを踏まれなかったがゆえに理不尽な目に遭った者たちがいる。
法律は、悲劇の後に書かれる。
誰かが傷ついた。誰かが死んだ。誰かが泣いた。その後悔と怒りが、条文という形に結晶する。私たちが何気なく参照する一つの条文の中に、名前も知らない誰かの人生が刻まれている。
だからこそ、法律は重い。だからこそ、法は尊い。
しかし同時に、法律は不完全だ。
悲劇は常に、想定の外から来る。立法者がどれほど丁寧に言葉を選んでも、想像の届かない場所が必ずある。
その届かなかった場所に、人は落ちる。
そしてまた、血と涙と後悔が積み重なる。
塔はそうやって、今日も高くなっていく。
法は人を守らない。
法律は紙の上に書かれた文字であり、条文はそれ自体では何もしない。誰かを助けることも、誰かを殺すことも、条文にはできない。
法は人を守らない。
人が法を守るのだ。
社会を生きる全ての人間は、法を守ろうと努力する。努力したその先で、人はまた落ちる。
我々は常に疑わなければならない。それは守るに値する法であるのだろうか、と。
法を守るとは、条文に従うことではない。法の意味を問い続けることだ。
疑うことをやめた瞬間、私たちは法に従う機械になる。
法を生かし続けるのは、疑い続ける人間だけだ。




