2-9 馬頭
「ここよりお先にお進みください」
「この先に何がある」
「古の支配者であり、我らの神でございます。おおよそお察しの通りでしょう」
「そうか」
目の前には直線の道が広がり、それを潜り抜けると、松明の光では天井に届かない広い空洞が広がっていた。その奥側には大人の身長の三倍はあろうかという大きな扉がある。
そして、その前には衣服に頭巾を着た二本足で立つ鹿の顔をした生き物が中央に立っていた。その左右の二体は馬頭を持つ、よく似た姿の生き物がいて、手に持つ棒の両端には鋭利そうな刃の穂がついている。
十分な間合いを取り、声が届く位置で足を止めた。すると二本足で立つ鹿の顔をした生き物が睨んできた。
「ここを通るなら、積み重ねてきた実力を示セ」
「……具体的には?」
「左右の二体の守りを振り切り、私を殺してみせヨ」
「……わかった」
剣を抜き、身構える。すると空洞の天井から無数のロウソクが現れたように灯り、一帯が見渡せるほどに明るくなった。
「これは勇敢に戦う者、勇者への敬意ダ」
そう言って投げられたのは一粒の小さな豆のようなものだった。
「勇者……」
呟きつつ薄く緑色のそれをまじまじと眺める。
一見すれば豆に見えたそれは、豆の薄皮に包まれていて、その中には練り込まれた黒い何かが見えた。
「それを食べるかは己で判断するといい。よく噛み飲み込めば疲労がとれる。死にたいなら警戒して食べないのも手だ。もっとも、どちらを選んでも我に勝てることはないがナ」
一瞬の躊躇いの後、潔く口に含んでゆっくりと噛む。歯ごたえのない食感の後に、とろけ出る濃厚な甘味。噛むほど広がり自然と流し込まれるように飲み込んだ。
口に残る飲み込めない微かな甘みの感覚が消えはじめると、その効果はすぐに表れた。鉄を履いたような足の重さは消え、剣を握る腕に感じていた気だるさもなくなっていた。加えて、思考も明瞭となり、目の前の三体に自然と意識が集中していく。
「ありがたい。だが、疲れで冷静でない方がまだ絶望せずにすんだかもな……」
直感が告げる焦りに似た胸のざわめき。体が震えそうになるのを必死に堪える。勝てなければ殺される。初陣で眺めていた時にはなかったその危機を前に吐き気まで感じていた。
そんな突然襲いかかった感情に足が気持ち半歩下がったのが戦の合図となった。
左一体が顔をにやけさせ、こちらに走って向かって来た。その迷いない行動に下がることに対して悪寒を感じ、直感で左へと動いた。しかし、守る動きすら読まれているようで、相手もそれに合わせてくる。
相手は両端に刃の穂がついた槍を回すようにして斬りかかってくる。こちらが間合いを計れば、それを崩すように鋭い突きがくる。槍が長ければ、振り回すときに重心が不安定になるはずという期待も、それを補うだけの体格と技量で重心が安定していた。
剣では下がりながらかわすか受け流すしかなく、間合いを詰めようとすれば、その初動に槍の動きが変わって鋭い突きが入る。しかも、相手は槍を激しく扱う動作に対して、息が上がる気配すらない。
「……何かが、おかしい」
言葉がこぼれるほど、考える余裕はなく、相手の余裕ある薄ら笑いを見るたびに、手足の震え逃げたいという衝動に駆られる。
このままでは死ぬ。
ただひたすらに下がり続け、回り込めず、槍と剣が重なる金属音の度に、逃げるという死の選択を本能が欲しはじめていた。それを後押しするように、剣を持つ手に気だるさを感じはじめ、息まで上がっている。
その本能に警告するように、鍛錬を積み重ねて得た体とその経験が、焦る気持ちを自制させ、ひたすらに相手の隙を待ち続ける。
けれども薄ら笑いの相手の表情に対して、隙はまったく見当たらない。
「…………っ!」
背後から殺気が走った。前の相手の動きが止まったのを見て、後ろを一瞬だけ確認しようとした直後、それを無意識的な本能がかわす姿勢へと変えていた。
直後、背後から一撃が振り下ろされた、その風に肝を冷やしながらも、時が止まったような一瞬、周囲が見えた。
前後には交戦していた馬頭。そして、無理に背後からの一撃をかわしたことで今まさに右側にいた鹿頭へ加えられる体勢。
万に一つあるかないかの鹿頭へ一撃を与えるチャンスが目の前にあった。
続く、前からの一撃をかわし、足を踏ん張りながら身体を回して鹿頭の首を狙って剣を振る。
「っ!」
その剣先は爪先一つ分、鹿頭の首へと届かなかった。
歯を食いしばり、次の一撃を狙いたい衝動と、その一撃をすれば背後からの一撃による死という恐怖。
その瞬きにも満たない一瞬の迷いは相打ちの機会すら奪った。そして、その代償はすぐにやってきた。
今度は馬頭の二体が同時に攻め立て、交互に来る一撃は右へも左へも逃れることができない。逃した機会への失望は、受け流す力すらも奪い、二体の馬頭が一撃を繰り出す度に一歩、一歩と後ろへ下がり続け、遂には背が壁に当たる衝撃を受けた。
その瞬間、意識が背後へと逸れ、目の前の二体の馬頭が同時に胸の左右を槍で刺す突きが襲いかかった。それでも抗おうとした手に握った剣先が壁に当たり、致命傷を防ぐ手立てをすべて失い目を閉じた。
叶わぬ現実に愛しき許嫁を思い浮かべる。
けれども、一向に痛みはなく、許嫁の姿も消えない。
その違和感におそるおそる目を開け、前を見る。
二体の槍の切っ先は寸で胸へ届くことはなく、二体の馬頭は時が止まったかのように動かない。そして、次の瞬間には黒い粒子が内から破裂して天に舞い上がり、槍もろとも消滅した。
その理由を探すようにして、視線を鹿頭に向ける。そこには鹿頭の姿は無く、ただベルディアの姿があった。しかも手にしていたのは短剣を握り締め、刺したような姿勢で立っていた。




