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2-3 森林

 翌日の明朝。地を濡らす程度の小雨。

 空は灰色となり、地面は湿り気を帯び、空気は肌寒い。フードとマントによる防雨、防寒を身につけたヘレナ子爵の五十騎が騎乗したまま集まった。


「下馬させないのか?」

「ご不満ですか?」

「いや、見慣れないだけだ」


 ヘレナ子爵が指を鳴らすと、五人縦一列に並ぶ先頭の伍長が敬礼し、右から三隊が先に、西門から大森林へ馬を走らせる。

 それを繰り返し、最後の一隊は兵が順に敬礼をしてから馬を歩かせながら西の門から大森林へと向かっていった。


 続いて鐘の合図を入れる。

 サンフィールド隊の三百五十余名が集まり整列した。伍隊二つと一騎で一隊とした兵たちは砦にあった防雨のフード付きマントのうちに防寒着、行軍の用の三日分の食料と水を背負い、腰元には剣。胸当てや弓矢、予備の食料と水は馬に積まれた。

 端数の二十頭の馬にはテント、衣類、焚火用の薪、飼料、予備としての水と砂糖菓子、果実酒、そして旗が積まれる。馬は騎乗していた兵が手綱を手に歩くことになった。


「酒、必要ですか?」

「大森林では疲労と不安が避けられません。一杯の酒は睡眠を得て士気を保つために役立つ」


 ヘレナ子爵の問いにアーロンが代わりに答えた。

 兵たちが並び終えたのを見て、サンフィールド伯爵として彼らの前に立つ。


「耳の良い者は既に知り、察しの良い者は既に気づいているだろう。

 数時間前、我らの地、サンフィールド領に襲撃があったとの報告があった。そして、救援のため、我らはこれより大森林を抜けてその背後を突く。

 皆も知っての通り、大森林は不帰(かえらず)の森、迷いの森とも呼ばれる。諸君らは、その踏破という偉業と同時に故郷の救援を果たす名誉ある機会を与えられたのだ。

 厳しい道のりとなるだろう。心身の限界を試されることもあるだろう。生涯に一度あるかないかの名誉を要らないという者は、今ここで申し出よ。他に望む者と喜んで交代させよう」


 静まる兵たち、シトシトと雨の音だけが聞こえた。


(神でもない私には正しい未来などわからない。ただ、戦わない者に助ける術はない。それだけはたしか)


「では、英雄を得んとするものは声をあげよ」


 皆が雄叫びをあげた。

 誰もが胸を張るその姿に凛とした姿で応える。


「皆の決意は伝わった。必ずや大森林を抜け、故郷の英雄としての名誉を約束しよう。それではサンフィールド軍、本隊はこれより大森林へ行軍を開始する」


 自らも馬の手綱を手に徒歩で進む。アーロン、オリバー、キース、加えて騎乗したヘレナ子爵とフェミニアも一緒に同行をする。


 そして、負傷兵を含む残留隊は、第一騎兵隊長ロビン・マーシャルが指揮を執り、てサンフィールド隊本隊を見送っていた。

 後顧の憂いはなく、足音も小雨によってかき消された行軍を開始し、ヘレナ隊が先に歩んだ踏み痕を辿って進んでいく。



 大森林は最初こそ上り下りのあるただの森と呼べるような地形だった。だが、先へ進めば進むほど、木々が陽光を遮り、地の草木は枯れた痕が残り、薄暗く小雨さえも届いていない地へと変わっていく。

 ヘレナ子爵とフェミニアはすぐに息が上がったため、二人には騎乗を許可した。

 そして、先行していたヘレナ隊の木に付けた目印を辿り、それを回収しながら進む。ただ、薄暗い中ではその目印も見つけにくく、慎重に周囲を見ながら。

 その道のりは、獣が現れれば隊列を組み、敵が植物となれば刈り取ることも厭わずに進む。そして進路に迷いそうなところでは、ヘレナ隊の一隊が待機しており、サンフィールド隊が追いつくとまた先へ向かっていく。


 しかし、その行軍は数時間も経たないうちに変化があった。

 進むほどに最初はうっすらとしかなかった白い霧が徐々に濃くなり、目印の色も黄色から赤に変わった。気づけば暗闇か濃霧かの見分けすらつかない景色へと変わっていった。地面は枯れ葉に隠れた木の根がいたるところにあり、木の根を気を付けても積み重なった枯れ葉が足元の踏ん張りを奪っていく。


 薄暗い大森林は遠くから囀りが聞こえるのに、近くの音は足音ばかり。あまりにも静かすぎて気味が悪い。兵たちも不安を紛らわせるように雑談をはじめ、それを止める者もいない。

 それに例外はなく、騎乗のヘレナ子爵と目が合った。


「この森がなぜ不帰(かえらず)の森と呼ばれているのをご存じですか?」

「聞いたことがある。たしか話では、旧王国、連合王国、帝国の三つが過去において、この大森林の踏破を計画し、いずれも死者を出し、瀕死の者も多数出しての失敗をしたからだったか」

「その通りです。いずれも現地の人たちの諫言を無視し、行われた愚かな行軍。連合王国史、帝国史にはそう記されています」

「…………愚か、か」

「その物語は旧王国から始まります。五千の兵が、秋に大森林の西から横断を開始しました。この陽光の隠れた大森林は昼では涼しかったそうです。しかし、その深い森は視界を暗闇に変えてしまった。

 光の届かない深い森では、夜は凍えるほどに寒くなりました。そして草木も視界も同じような景色が続くことで不安に襲われたのです。寒さと恐怖に加え、鎧と重い武器を身につけた兵たちは途中から前に進めなくなり、歩けず倒れた者たちを何人も見捨てて撤退することになったそうです」


 後ろを振り返る。

 アーロン、オリバー、キースはヘレナ子爵を睨んでいたが、他の兵たちを見れば視線が集まっていた。今朝の小雨もあって、その装備で防寒は十分に見えた。


「ご安心ください。私たちは知っている。だから備えたのです」


 頷き、兵たちを見返す。


「皆の者、この状況は織り込み済みだ! この静寂は我らの安全を示し、荒い息は前進している証だ。

 私を信じ、決して私を見失うな。さすれば必ずや皆を故郷の地へ導こう!」


 アーロン、オリバー、キースの雄叫びに合わせて、霧で見えない後方からも雄叫びが続いた。

 それに続いて、各隊長、伍長が前を見失わないよう死に物狂いでついてこいという指示が飛び交う。


「非合理的な演説ですね」

「合理的とは小さな非合理から積み上げた危うい頂きだ」

「合理的なものは、小さな非合理の積み重ねで倒壊すると?」

「その逆だ。小さな非合理を見逃さないことが、合理的な結果へ導くと言いたいんだ」

「まるで天運を引き寄せるような話ですね」

「言い得て妙かもしれないな。だが、それも今回は必要だろ?」


 目の前に広がる視界はどこまで見えているかわからない暗い濃霧。目印もあるにはあるが、目印そのものもこの濃霧ではヘレナ隊がどこまで正確に進めているかもわからない。


「…………そうかもしれません。私も神に幸運を願うとしましょう」


 行軍の速度を落とし、隊列がバラバラにならないように気をつけながらも進む。

 そして、微かな空の色が変化し始めると、その日の行軍は止め、キースが点呼をとる。数の確認を終えると隊を集められるような広場は探さずそのまま平坦な場所で野営することにした。


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