最終話
それから何日か過ぎて、わたしは意識を失い生死を彷徨った。危なく死んでしまうところだったらしい。
目を覚ました日の夜、秋人くんと二人で話をした。
初めて会った日の話をしたり、秋人くんが余命一年の人が十年も生きた話をしてくれたり。
秋人くんが帰ったあと、わたしは手紙を書いた。
いつ死んでもいいように、秋人くんと、綾ちゃんと、お母さんに手紙を書いた。
スケッチブックを破り取って、それに書いた。
まずはお母さんに。
今まで育ててくれてありがとう。沢山迷惑をかけて、沢山心配をかけて、親不孝ばっかりしてごめんなさい。
お母さんへの手紙には、謝罪の言葉が沢山並んだ。
次に綾ちゃんへの手紙を書いた。
ずっとひとりぼっちだったわたしに声をかけてくれて、一緒にいてくれて、友達でいてくれてありがとう。
あの時、ひどいことを言ってごめんね。ずっと謝れなくてごめんね。
綾ちゃんへの手紙には、ありがとうとごめんねが同じくらい並んだ。秋人くんのことを支えてあげて、とも書いておいた。
最後に、秋人くんへの手紙を書いた。
秋人くんには、なんて書こうか一番悩んだ。
ありがとうと、幸せでしたと書いた。でも、一番伝えたい言葉はそんなのじゃない。
本当に伝えたいことは、わたしの気持ちだ。
好きです。
秋人くんに、そう伝えたい。
けれど書く手が震えて、書くことができない。何度も書き直した。
やっぱり恥ずかしいし、迷惑かもしれない。
もうすぐ死んでしまう女に好きですなんて言われたら重たいだろうし、わたしは今までそんな言葉を男の子に伝えたこともない。だから、勇気が出なかった。
ため息をついて、花瓶に入れられたガーベラに視線を移した。
六本のガーベラは、三本が萎れて下を向いていた。
残りの三本は、わたしを励ましてくれているかのようにこっちを向いていた。
「三本……」
わたしは鉛筆を置いて、色鉛筆の蓋を開けた。
ガーベラの花は、本数によって意味が変わる。ちょっと前に、お母さんにそう教えてもらった。
三本のガーベラは確か、愛の言葉だったはずだ。
わたしは迷うことなくガーベラの絵を描いた。
この手紙が秋人くん以外の人に読まれても、これで大丈夫。
これが今のわたしにできる、精一杯の告白だった。
秋人くんは気付いてくれるだろうか。
鈍感だから、気付いてくれないかもしれない。でも、それならそれでもいい。
気付いてくれたらいいな、それくらいの気持ちで書いた。
でも、やっぱり気付いてほしい。
そう思いながら手紙を書き終え、折りたたんでスケッチブックに挟んでおいた。
それからわたしは、その日のことをブログに書いた。
秋人くんと二人で話したこと。毎日病気と闘うと決めたこと。手紙を書いたこと。
書き終えて、わたしは自分が書いた記事を最初から読んでいった。
そういえば、そんなことあったなぁ。懐かしいなぁ。もう一度、この日に戻りたいなぁ。
気付くと、涙が零れていた。
わたしは本当に、泣いてばっかりだ。
今日書いた記事まで読んで、わたしはふと思った。
わたしが死んだら、このブログはどうなってしまうのだろう。誰にも気付かれないまま、永遠に残り続けるのだろうか。
それとも、そのうち消滅してしまうのだろうか。
どっちにしても、悲しい。
誰かに、気付いてほしい。
わたしが生きていたということを、わたしという不幸な人間がいたということを、覚えていてほしい。
だからわたしは、ブログのタイトルを変えた。
『桜井春奈の秘密のブログ』
できれば綾ちゃんに、もっと言えば秋人くんにも気付いてほしい。
そう願って、フルネームをタイトルに入れた。
それと念のため、秋人くんの病気のことを書いた記事には、鍵をかけておいた。
秋人くんはきっと、わたしには知られたくないはずだから。
最後に追記を書いてから携帯をベッドテーブルに置いて、わたしは花瓶の中からピンク色のガーベラを一本、手に取った。
ベッドに仰向けになって、目を瞑りガーベラの香りを嗅いだ。
秋人くんの匂いだ。
この香りを嗅ぐと、わたしはいつも秋人くんを思い出す。
まぶたの裏に、秋人くんの優しい笑顔が浮かんだ。
秋人くんと出会ってから、わたしはこの花が大好きになった。
わたしが死んだら、この花をわたしの顔が埋もれちゃうくらい棺桶に入れてもらおう。わたしの葬式にも、沢山のガーベラを飾ってもらおう。それからわたしのお墓にも、供えてもらおう。
それくらい、この花はわたしにとって特別な花になった。
『希望と前進』
それがこの花の、花言葉だった。
秋人くんがわたしの前に現れてから、わたしはもっと生きたいという希望を持てた。
下を向いていたわたしは、前に進むことができた。
秋人くんと出会えて、この花と出会えて、わたしの人生は大きく変わっていった。
わたしは本当に、幸せだった。
最低な人生だったけど、最悪ではなかったかな……。
もし生まれ変わったら、ガーベラの花になれたらいいな。
そんなことを考えていたら、なんだかだんだんと眠くなってきた。
今日は疲れたから、もうこのまま眠ってしまおう。
ガーベラの香りに包まれながら、わたしは眠りに落ちた。
そこから先のことは、あまり覚えていない。
ただ、わたしを呼ぶ秋人くんの声が、いつまでもいつまでも、耳から離れなかった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
読者の皆様のおかげで書籍化することができました。
今は森田碧というペンネームで活動してます。
これからもよろしくお願いいたします。