第1話 傷だらけの女騎士
カンッ! カンッ!
乾いた木剣の音が、王国騎士団の訓練場に響き渡った。秋の澄んだ空の下、私は正面から振り下ろされた一撃を受け流し、その勢いを利用して相手の体勢を崩す。すかさず左側から別の騎士が斬り込んできたけれど、そちらへ視線を向けるまでもなく、足運びだけで攻撃をかわした。
「くっ……! 隊長、今です!」
「わかっている! 左右から挟み込め!」
私を囲んでいるのは、騎士団でも腕利きとされる3人の若い騎士たちだった。彼らは互いの動きを補うように距離を詰め、逃げ道を塞ごうとしている。以前に比べれば随分と連携が上達したものの、攻撃へ移る直前に視線が動く癖までは直っていないようだった。
(……なるほど。今日は随分と考えてきたみたいね)
私は小さく息を吐き、木剣を握り直した。正面の騎士が踏み込むよりも早く間合いを詰め、その剣を下から跳ね上げる。続けざまに身をひねって背後からの攻撃をかわすと、無防備になった相手の胴へ木剣を軽く当てた。
「一本。これで残りは2人ね」
「まだです! 今日こそはセレナ様から一本取ってみせます!」
威勢のよい声とともに、残った2人が同時に踏み込んできた。私は片方の剣を受け止めながら、もう片方の騎士の足元へ素早く踏み込む。相手が慌てて後退したところで手首を返し、木剣を弾き飛ばすと、そのまま最後の1人の喉元へ切っ先を突きつけた。
「そこまで!」
審判役の声が響き、訓練場を囲んでいた騎士たちから歓声が上がった。私は木剣を下ろし、肩で息をする3人へ軽く頭を下げる。彼らも悔しそうにしながら礼を返してくれたので、こちらも自然と頬が緩んだ。
「ありがとうございました、セレナ様! ですが、どうして最後の攻撃まで読まれていたんですか?」
「あなたたちは攻撃の前に必ず視線を交わすでしょう? 連携を取るのは大切だけれど、相手に次の動きを教えてしまっては意味がないわ。次はそこを意識してみて」
「なるほど……! 勉強になります!」
素直に頷く彼らを見ていると、かつて自分も先輩騎士たちに何度も挑み、悔しい思いをしていたころを思い出す。剣を握り始めたのは幼いころで、騎士団に入ってからも毎日のように鍛錬を重ねてきた。その積み重ねが実を結び、いつしか私は王国最強の女騎士などと呼ばれるようになっていた。
「さすがはヴァレンティア様だ。3人相手でもまったく隙がない」
「そりゃそうだろう。あの方は数百人の民を救った英雄なんだからな」
周囲から聞こえてくる称賛には、今でも少し居心地の悪さを覚える。確かに私は戦場で多くの人々を守ってきたし、そのことを後悔しているわけではない。けれど、英雄という言葉を耳にするたび、どうしても思い出してしまう顔があった。
(……英雄、ね)
私は木剣を訓練用の棚へ戻し、額に浮かんだ汗を拭った。邪魔にならないよう高く結んでいた深紅の髪を整え、脇に置いていた兜を手に取る。そのとき、訓練場の外側から、女性たちのひそひそとした声が聞こえてきた。
「まあ、あの方がセレナ・ヴァレンティア様? 噂どおり、剣の腕は素晴らしいのね」
「ええ。でも、お顔をご覧になって? あんなに大きな傷があるなんて……」
「以前はお美しい令嬢だったそうですのに。あれでは、いくら伯爵家のご令嬢でも縁談は難しいでしょうね」
視線を向けると、訓練場を見学に来ていたらしい貴族の令嬢たちが、慌てて扇で口元を隠した。私と目が合った1人は気まずそうに顔を背け、別の令嬢は露骨に眉をひそめている。こうした反応には、もう随分と慣れてしまった。
左頬から顎にかけて刻まれた、大きな傷跡。3年前の戦いで負ったその傷は、どれほど腕のよい治癒術師に診てもらっても完全には消えなかった。伯爵令嬢として生まれながら剣の道を選んだ私は、今では社交界で「醜い女騎士」と呼ばれている。
(……別に、今さら気にすることでもないわ)
そう自分に言い聞かせながら、私は兜を抱えて訓練場を後にした。傷を隠そうと思えば、髪を下ろしたり、化粧を施したりすることもできる。けれど、私にはどうしても、それをする気になれなかった。
この傷を見るたび、あの日の出来事を思い出す。
私の前に飛び出してきた、小さな背中を。
そして、二度と聞くことのできなくなった声を。
「……セレナ副団長!」
背後から呼び止められ、私は足を止めた。振り返ると、騎士団の伝令が息を切らしながら駆け寄ってくる。どうやら、ゆっくり感傷に浸っている暇はないらしい。
「団長がお呼びです。至急、執務室までお越しくださいとのことです」
「わかったわ。すぐに向かいます」
私は伝令に礼を告げ、騎士団本部へと足を向けた。団長から直接呼び出されるのは珍しいことではないけれど、訓練の途中で伝令を寄越すほど急ぎの用件となると、話は別だ。新たな討伐任務か、あるいは国境で何か問題でも起きたのだろうか。
そんな予想をしていた私は、まさか自分の騎士人生が大きく変わる命令を告げられることになるとは、少しも思っていなかった。
❀ ❀ ❀
「第三王子殿下の、専属護衛ですか?」
騎士団長の執務室で告げられた命令に、私は思わず聞き返してしまった。目の前に座る団長は、長年にわたり王国騎士団を率いてきた歴戦の騎士であり、私にとっても恩師のような存在だ。その彼が、珍しく難しい顔をしてこちらを見つめている。
「ああ。ルシアン・アルヴェール殿下の護衛として、王都郊外の離宮へ赴任してもらいたい。これは王家からの正式な命令だ」
「ですが、なぜ私なのでしょうか。殿下にはすでに護衛隊が配置されていると伺っておりますが……」
「もちろん、離宮の警備を担当する者たちはいる。だが、今回は殿下個人の身辺警護を任せられる者が必要なのだ。お前ほどの腕を持つ騎士であれば、私も安心して送り出せる」
ルシアン・アルヴェール殿下。そのお名前は、王国に暮らす者なら誰もが知っている。国王陛下の第三王子として生まれながら、生まれつき目が見えず、幼いころから王宮を離れて暮らしている方だった。
王位継承争いとは距離を置き、公の場に姿を見せることも少ない。社交界ではさまざまな噂が囁かれているものの、私は実際にお会いしたことがなかった。少なくとも、王国最強と呼ばれる騎士を専属護衛に必要とするような危険な立場には思えない。
(……つまり、私は前線から外されるということね)
胸の奥に、冷たいものが落ちていくような感覚があった。かつて騎士団の副団長にまで上り詰めた私が、王都から離れた離宮で王子の護衛を務める。周囲から見れば、事実上の左遷と受け取られてもおかしくない人事だった。
「不満か、セレナ」
「いいえ。王家からのご命令であれば、従うまでです」
「……お前には、これまで随分と無理をさせてきた。3年前のこともある。私はな、今回の任務がお前にとって悪いものになるとは思っておらん」
団長の言葉に、私は思わず目を伏せた。3年前の戦い以来、彼は何度も私の身を案じてくれている。騎士団へ復帰したときも、無理に以前と同じ役職へ戻る必要はないと、そう言ってくれた。
けれど、私は剣を手放すことができなかった。
誰かを守るために剣を握り続けることが、今の私に残された唯一の役目だと思っていたから。
「お気遣い、ありがとうございます。ですが、私は騎士です。どこへ赴こうと、与えられた任務を果たすことに変わりはありません」
「そうか。……お前なら、そう言うと思っていたよ」
団長は小さく息を吐くと、机の上に置かれていた書類を差し出した。そこには赴任先となる離宮の所在地や警備体制、そして第三王子殿下に関する簡単な情報が記されている。私は内容を確認し、書類を丁寧に受け取った。
「出発は明日の朝だ。準備を整えておけ」
「承知いたしました。第三王子殿下の御身は、必ずお守りいたします」
私は胸に手を当て、騎士としての礼を取った。団長はしばらく私を見つめていたけれど、最後にはいつもの穏やかな表情で頷いてくれた。その眼差しに込められたものを、私はあえて考えないようにした。
❀ ❀ ❀
翌朝、私は王都を離れる馬車に乗っていた。窓の外には秋の穏やかな田園風景が広がり、黄金色に色づいた麦畑が風に揺れている。王都の喧騒から遠ざかるにつれて、車輪の音と馬の蹄の響きだけが、静かな車内に残るようになった。
膝の上には、長年愛用してきた剣を置いている。数え切れないほどの戦いをともにしてきたその剣は、私にとって何よりも馴染み深いものだった。これから赴く離宮では、きっと抜く機会も少なくなるのだろう。
(……平和な任務なら、それに越したことはないわね)
そう思いながら窓へ目を向けると、硝子に自分の顔が薄く映り込んでいた。深紅の髪に紫色の瞳、そして左頬から顎にかけて伸びる、決して消えることのない傷跡。かつて母が自慢してくれた容姿は、あの日を境にすっかり変わってしまった。
もっとも、私自身は以前の顔に戻りたいと思ったことがほとんどない。鏡を見るたびに胸が痛むのは、醜くなった自分を憐れんでいるからではなかった。あの傷を負った瞬間、私は自分よりもずっと若い騎士の命を失ったのだから。
『セレナ様!』
不意に、記憶の奥から懐かしい声が蘇った。いつも私の後ろをついて回り、少しでも剣が上達すると嬉しそうに報告してくれた少年の声だ。まだ17歳だった彼は、誰よりも真っ直ぐな瞳で私を見つめていた。
(……ごめんなさい)
私はそっと目を閉じ、膝の上の剣を握りしめた。どれほど多くの人を救ったと称えられても、あの日に戻れるわけではない。彼が生きていたなら、今ごろどれほど立派な騎士になっていただろうと、そんなことばかりを考えてしまう。
だからこそ、私には守るべきものが必要だった。
たとえ戦場から遠ざけられたとしても、誰かの命を守れるのなら、それだけで十分だと思いたかった。
❀ ❀ ❀
離宮へ到着したのは、昼を少し過ぎたころだった。王都郊外の緑豊かな丘に建てられたその屋敷は、王族の住まいとしては控えめながら、手入れの行き届いた美しい建物だった。白い壁には蔦が絡まり、門から玄関へ続く道の両側には、色とりどりの花が咲いている。
馬車を降りた私を出迎えてくれたのは、落ち着いた雰囲気の年配の女性だった。茶色の髪をきっちりと結い上げ、上品な侍女服に身を包んでいる。彼女は私の姿を確認すると、柔らかな笑みを浮かべて深々と頭を下げた。
「ようこそお越しくださいました、セレナ・ヴァレンティア様。私はこの離宮で侍女長を務めております、マーサ・ベルモントと申します」
「セレナ・ヴァレンティアです。本日より第三王子殿下の護衛を務めさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。殿下もセレナ様がお越しになるのを楽しみにしていらっしゃいましたよ」
マーサは私の顔を見ても、驚いた様子を見せなかった。視線が傷へ向かうことも、気まずそうに逸らされることもない。まるで何も特別なことなどないかのように接してくれる彼女に、私は少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。
続いて、玄関の奥から背の高い男性が姿を現した。濃い茶色の髪を短く整え、腰には騎士用の長剣を下げている。立ち姿からして相当な鍛錬を積んでいることがわかり、私は自然と背筋を伸ばした。
「離宮護衛隊長のガレス・オルブライトです。ヴァレンティア殿のお噂は、以前から伺っております。ともに殿下をお守りできることを光栄に思います」
「こちらこそ。まだ離宮の警備体制について把握できておりませんので、後ほど詳しく教えていただけると助かります」
「もちろんです。ですが、その前に殿下へご挨拶を。首を長くしてお待ちですよ」
ガレスの言葉に、マーサも微笑みながら頷いた。どうやら第三王子殿下は、ここで働く人々から随分と慕われているらしい。王宮では孤独に暮らしていると噂されていたけれど、少なくともこの離宮には、穏やかで温かな空気が流れていた。
私はマーサに案内され、屋敷の奥へと進んだ。廊下には季節の花が飾られ、窓から差し込む陽光が磨き上げられた床を照らしている。王族の住まいにしては華美な装飾が少ないものの、その分だけ人の暮らしを感じられる場所だった。
「殿下は、普段どのようにお過ごしなのでしょうか」
「読書をなさったり、庭園を散歩されたりしております。もちろん、ご自身で文字を読むことは難しいので、私どもが本を読み上げることもございますが、殿下は一度お聞きになったことをよく覚えていらっしゃるんですよ」
「それは素晴らしいですね」
「ええ。それに、とてもお優しい方です。セレナ様も、きっとすぐにおわかりになると思います」
マーサは嬉しそうにそう言うと、廊下の突き当たりにある扉の前で足を止めた。扉の向こうからは、誰かが紙をめくるような微かな音が聞こえてくる。私は改めて服装を整え、腰の剣が邪魔にならない位置にあることを確認した。
「殿下。セレナ・ヴァレンティア様をお連れいたしました」
「どうぞ、入ってください」
扉の向こうから聞こえてきたのは、想像していたよりも若く、穏やかな男性の声だった。マーサが静かに扉を開けると、窓から差し込む柔らかな日差しに包まれた部屋が広がる。その窓辺には、銀色の髪をした青年が座っていた。
年齢は私よりも少し下だろうか。整った顔立ちに、細身ながら品のある姿勢。淡い青色の瞳は窓の外へ向けられていたけれど、その視線が庭園の景色を捉えていないことは、すぐにわかった。
第三王子、ルシアン・アルヴェール殿下。
私は部屋へ進み出ると、片膝をついて頭を垂れた。
「お初にお目にかかります。セレナ・ヴァレンティアと申します。本日より殿下の専属護衛を務めさせていただきます」
「初めまして、セレナ殿。ルシアン・アルヴェールです。どうぞ顔を上げてください」
促されるまま顔を上げると、殿下は穏やかに微笑んでいらっしゃった。私はその表情を見つめながら、どう挨拶を続けるべきか考える。王族の方と接する機会はこれまでにもあったけれど、初対面からこれほど柔らかな雰囲気をまとった方は珍しかった。
「あなたのお噂は、以前から伺っております。王国でも指折りの剣士で、これまで多くの人々を守ってこられたそうですね」
「……恐れ入ります。ですが、私は騎士として当然の務めを果たしてきただけです」
「その当然のことを、誰もができるわけではありませんよ。私には剣を振るうことができませんから、なおさら尊敬してしまいます」
殿下は冗談めかした口調でそうおっしゃると、少しだけ首を傾げた。ご自身の目が見えないことを、必要以上に重く受け止めさせないようにしているのだろうか。私は返す言葉を探したものの、結局うまい返答が思いつかなかった。
これまで私に向けられてきた言葉の多くは、剣の腕を称えるものか、顔の傷を憐れむものだった。英雄だと持ち上げられた直後に、醜いと陰口を叩かれることも珍しくない。だからこそ、殿下の何気ない言葉が、思いがけず胸に残った。
「……ありがとうございます、殿下。そのお言葉に恥じぬよう、精一杯お仕えいたします」
「そんなに堅苦しくならないでください。ここでは、私もただのルシアンです。もちろん、あなたに危険なことをお願いするつもりはありませんが……私の護衛という仕事は、退屈かもしれませんね」
「退屈であることは、護衛にとって何より喜ばしいことです。殿下が平穏にお過ごしになれるのであれば、それ以上のことはございません」
「なるほど。それなら、あなたを退屈させられるように頑張らなくてはいけませんね」
思わず顔を上げると、殿下は楽しそうに笑っていらっしゃった。私もつられて小さく微笑んでしまい、慌てて表情を引き締める。王族の方を前にして、こんなふうに自然と笑ってしまったのは初めてかもしれない。
すると殿下は、椅子に座ったまま私の方へ手を差し出された。
「よろしければ、握手をしていただけませんか?」
「……私と、ですか?」
「ええ。これから長いお付き合いになるのですから、最初くらいはきちんとご挨拶をしたいと思いまして」
私は差し出された手を見つめ、わずかに躊躇した。殿下の手は白く、指先まで綺麗に整っている。それに比べて私の手は、長年剣を握り続けたせいで硬くなり、指にも掌にも細かな傷が残っていた。
(……こんな手で、お触れしてもいいのかしら)
けれど、殿下は急かすことなく待ってくださっている。私はそっと右手を差し出し、その手を握った。すると殿下は、私の手を両手で包み込むようにして、穏やかに微笑まれた。
「……とても頼もしい手ですね」
「え……?」
「剣を握り続けてこられたのでしょう。あなたがこれまで、どれほど努力を重ねてこられたのか、この手から伝わってくるようです」
私は思わず息を呑んだ。硬くなった掌も、指に残る傷も、これまで女性らしくないものとして扱われてきた。社交界では手袋を外すことさえためらうようになっていたのに、殿下はそんな私の手を、まるで大切なものに触れるように握ってくださっている。
「……殿下。私の手は、決して美しいものではございません」
「そうでしょうか。私は、とても素敵だと思いますよ」
あまりにも自然に告げられた言葉に、胸の奥が小さく揺れた。殿下は私を慰めようとしているわけでも、気を遣っているわけでもない。ただ、ご自身が感じたことを、そのまま言葉にしてくださっているのだろう。
私はしばらく何も言えず、握られた手を見つめていた。
「セレナ殿。これから、どうぞよろしくお願いいたします」
「……はい。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
ようやく返事をすると、殿下は満足そうに微笑んで手を離された。ほんの短い握手だったはずなのに、その温もりがいつまでも掌に残っているような気がする。私はそっと手を握り直しながら、胸の奥に生まれた不思議な感覚を持て余していた。
殿下には、私の顔が見えない。
左頬から顎にかけて刻まれた傷も、かつての美しさを失った容姿も、この方の目には映らないのだ。
(……この方には、私の傷が見えないのね)
それは、少しだけ寂しいことなのかもしれない。殿下がどれほど美しい庭園に囲まれて暮らしていても、その景色を目にすることはできないのだから。けれど、今の私には、そのことがどうしようもなく救いのように思えてしまった。
誰かの視線を恐れることなく、ただのセレナ・ヴァレンティアとして接してもらえる。
そんな当たり前のことが、今の私にはひどく新鮮だった。
「そうだ、セレナ殿。もしお時間があれば、明日は庭園を案内させてください。ちょうど秋の花が綺麗な時期だと、マーサが教えてくれたんです」
「庭園、でございますか?」
「ええ。私は花の姿を見ることはできませんが、香りや風の音を楽しむのは好きなんです。よろしければ、あなたの目に映る景色を教えていただけませんか?」
殿下はそうおっしゃって、柔らかく微笑まれた。私はその笑顔を見つめながら、静かに頷く。剣を振るうことしか取り柄のない私に、花の美しさを上手に伝えられるかどうかはわからないけれど、不思議と断ろうとは思わなかった。
「……私でよろしければ、喜んでお供いたします」
「ありがとうございます。明日が楽しみですね」
その言葉を聞いて、私もほんの少しだけ、明日が楽しみになった。
王国最強の女騎士と呼ばれ、醜いと蔑まれ、剣を握ることだけを支えに生きてきた私。そんな私の新しい任務は、どうやら想像していたものとは少し違うらしい。
このときの私は、まだ知らなかった。
目の見えないこの王子が、やがて私の心にある、誰にも触れられなかった傷を見つけてくださることを。




