仇
ばしゃっ。
カナミはうだるような熱気を冷ますため、頭から水をかぶった。
この季節、髪につたう水はややぬるい。
そもそもエスパーラの気候はエメラルドのそれと違いすぎる。
引かない汗や消えない熱気に不快感を感じながら、カナミは修練場を後にした。
「お、もういくのかカナミ。たまには一緒に呑んでいかねえか?」
同じように頭から水をかぶる兵士たちが陽気に声をかけてくる。
カナミはじろりと睨んで一蹴する。
(気に入らないな)
カナミは毎日修練場に通っている。
鍛錬にいそしむエスパーラの兵士たちを、剣で負かし槍で負かされ来る日も来る日も高め合ってきた。
初めて訪れた日こそ険悪な雰囲気だった。
エメラルド国の山猿と侮蔑された。
しかし、彼らの態度は日に日に軟化していった。
(お人よしどもめ…)
もともと気のいいやつらなのだろう。
また、時間をかけてカナミの腕が認められたということもあるのだろう。
元服も済まない子供が、決して折れずに修練を積む。
才能に甘んじず、膨大な基礎訓練を積み上げる。
そんな剣士が敬意を持たれるのは必然かもしれない。
とにかくカナミは彼らに受け入れられた。
しかし、それがカナミは気に入らなかった。
何故か?
交戦中の敵国兵士だから?
強引に連れ去られた人質だから?
(いや、違う。私が苛立っているのは……)
不機嫌を隠すこともせず、平らな道を歩く。
視界の端に、知った顔が映った。
哀し気に眼を伏せて、大きめの石を見下ろす。
そこは、やせこけた場所であった。
この区画の端、そこら中に聳え流れる運搬用の川々から離れた場所。
皆に忘れ去られたようなちっぽけな丘だった。
川を小舟で移動することが基本の城都において、小舟を使わない自分のような者以外こんなところ通らない。
何故こんなところでつっ立っているのか。その理由は恐らく……
「墓標か?」
私の声を受けて、彼女はゆっくりと振り向いた。
やや小柄な体格。
兄に似た、たれ気味の眼をきつく釣り上げて私を見上げる。
「ちっ。……嫌なところで嫌な奴に会うものね」
ゲイル将軍の秘書官にして、参謀フォールの妹。
名をカノンノと言う。
彼女は秘書。つまりは文官だ。
しかし、乱世のたしなみと言い張ってよく修練場に足を運んでいる。
剣の腕はカナミ以下。
長物を持てばカナミ以上。
実戦を想定した乱闘ならばカナミよりもずっと上。
それくらいの腕前。
遠目からでは気づかなかったが、彼女は泣いていたようだ。
目じりにたまった涙をごしごしと拭く。
「まさか、殺した張本人が来るとはね」
「なに?」
「イラリオとファガレスの墓よ。って言っても骨も何も埋まっていないただの石だけどね。あいつらの墓ってことにしてみんなで作った」
イラリオとファガレス。
その名を聞き、カナミは眼を釣り上げる。
上の命令に逆らい、ディー様の暗殺を企てた男たちだ。
そして、私とディー様が返り討ちにした。……この手で命を絶つことで。
彼らは造反者。
彼らの首は城内でさらされたらしい。
生首はすぐに腐り落ち、ウジ虫やカラスに食い散らかされた。
骨は遺族に返らず無残に捨てられたとも聞いている。
「だからこんなところに作ったんでしょうが。将軍の眼の届かないように」
「なら、私に見つかったのは運の尽きかもな。私の口は軽いぞ」
「お生憎様。聡明な将軍閣下はとっくにお気づきよ。見て見ぬふりをしてくれてるの。あの方はお優しいから」
カノンノは少し笑い、そして再び墓石に向き直る。
「イラリオは下種だった。間違いなく女の敵よ。鍛錬にかこつけて何度セクハラされたか……。ファガレスはファガレスでうっとうしいやつだった。自分の方が技が切れるからって。何度も小ばかにされたわ。ああ、思い出したら腹が立ってきた」
カノンノは心底不快気に舌を鳴らす。
しかしそこに恨みつらみは無かった。
部署は違えど、彼女にとってあの二人は仲間だったのだろう。
「恨んでいるだろうな。私のことを」
「……恨んでないわよ」
カノンノの肩は震えていた。まるであふれ出る憎しみに耐えるように。
(何故耐える必要がある……?)
カナミはきつく奥歯をかみしめた。
「あの二人は造反者よ。あんたたちに討たれなかったとしても、どのみち処刑されてた。そもそも仕掛けたのはあの二人。丸腰の子供を襲って返り討ちにあったのよ。ダサすぎ。あんたたちを恨む道理は全くないわ」
そう言いながら、カノンノは唇を震わせる。
隠しきれない感情は胸を駆けずり回り、にじみ出ていく。
それでも彼女は耐えていた。
(気に入らない……)
カノンノだけではない。
エスパーラの兵たちは、皆同じスタンスだ。
イラリオとファガレスを殺した我らに恨み言ひとつ言わない。
理性をもって、憎しみを懸命に押さえている。
エスパーラ帝国は、血みどろな紛争を経験した集合国家だ。
いちいち憎しみなど背負っていてはきりがない。それがこの国の感性である。
それでもカナミの苛立ちは止まらなかった。
(耐えられない私が、愚かだとでもいうのか……)
カナミには二つの大望がある。
一つは、主君であるディムルのことだ。
武人は二君に仕えず。
ディムルを守り支え、生涯を通してご奉公する。
その誓いに偽りはない。
しかし、もう一つ。譲れない望みがある。
(ディー様のおかげで立ち直れた)
一族の死に、悲しみに暮れる自分を抱きしめてくれた。
おかげで、前を向けた。
乗り越えたのではない。前を向けただけだ。
一朝一夕で忘れることができるほど、一族の死は軽くない。
全ての元凶は、あの男……。裏切者、ナクラ・ムーンストーン。
カナミの心の中を、一つの感情が渦巻いていく。
冷たい、凍てつかせるような憎しみだった。
(あの男を殺す)
どんな手を使ってでも。
(斬ってやる)
必ずこの手で。
(ナクラ・ムーンストーン……!!)
溢れんばかりの憎しみは、やがて炎に変わっていった。
消したくても消せない冷たい炎に。




