裏切り者
「へ?」
呆けた声をカナミが出してから、事態は一瞬のことだった。
アキサメ大将がゆっくりと膝から崩れ落ち、血だまりに沈む。
飛んだ血しぶきは彼のものだ。
それと同時にシグレ副官の生首が飛んだ。
「う、わああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!」
二人の指揮官の死を前に、若手を中心に動揺が広がる。
裏切り者だ。
内部から暴れ狂う一人の男。
規律と統制を信条とする一族に現れた、たったひとりの裏切り者。
その男に不意を突かれ、ひとり、またひとりと斬り伏せられて行き、内に眼を向ければ、外側から次々に降り注ぐ弓矢の餌食となっていく。
「え、うそ、おいおいおいおいおいっ!?」
「なんでだよなんでっだよなんでだよっ!!!!」
こうなってはもう規律も統率もない。
一瞬で烏合の衆と化した一団を前に、俺は……。
「カナミっ!」
……カナミは、立ちすくんでいた。
つうっと、一筋の汗が流れる。
急すぎる状況の変化。
あまりに急すぎる父の死、叔父の死、親族の死、仲間たちの死を、受け入れることができず、彼女は刀も構えず立ち尽くしていた。
「せめて頭を伏せろっ!弓に射られるぞっ!」
俺はカナミの頭を強引に下げさせる。
瞬間、その指示が間違いだと気付く。
(……矢は一本もこっち側には飛んできてない?俺に当てないようにしてるのか!?)
だとしたら…っ!
ぎりっ。
ディムルは折れそうなほど歯を食いしばった。
ひとり、またひとりと倒れていく。
ある者は物言わぬ肉塊と化し、ある者は矢傷を受けて苦しそうに呻く。
「貴様……何故だキサマァァァァァァァっ!!!!!」
最期にアワギが真っ二つに切り捨てられ、弓矢の雨は止んだ。
アワギの身体はビクンっと一瞬跳ね、動かなくなった。
おびただしい血肉の群れに、冷たく嗤い立つ一人の男。
父を、叔父を、仲間たちを何十と斬り捨てた男。
「あっけねえ。だーれも俺の裏切りを警戒してねえとはねえ!」
一仕事を終えたかのように、ナクラ・ムーンストーンは爽快に嗤っていた。
*
林の丘から、50の一団が下りてくる。
下りてきた一団は、裂傷でもだえ苦しむムーンストーンの部隊の生き残りたちを、何かのついでのように刀で刺殺した。
「死人に口なし。目撃者は一人とて残してはなりませんよ」
一団の中から、一人の男が歩み出る。
この一団の頭だろうか。
半眼たれめな眠気眼。実に覇気のない男だ。
「ディムル王子殿下、お初にお目にかかります。我ら、東域にございます、エスパーラ帝国から参りました。私はゲイル将軍揮下、フォールと申します。王子殿下をお迎えに上がりました」
フォール、そう名乗った男はやたら芝居がかった仕草で頭を下げる。
エスパーラ帝国。
エメラルド国東部にできた新興勢力。
エメラルド国と交戦状態にあり、セリア王国とも敵対している侵略国家。
それが彼らの正体か。
「セリアへの留学などおやめなさい。それより我らの居城へご案内する準備がございます。くれぐれも抵抗などなされないように。」
強めの口調でそう言いながら、かごを指す。
「なんで……」
声の主は、カナミだった。
カナミは、か細い言葉で一言だけ漏らした。
「なんでなんですか、兄者。口ではああでも、父者は、兄者のことを頼りにしていて、叔父者もアワギもみんな……みんな…」
生気の抜けた眼で、か細い声で実の兄に問う。
その瞳には大量の涙がたまっていた。
兄ナクラはふざけた調子で返した。
「んー、ぶっちゃけ金だな」
カナミは、信じられないものを見たように唇を震わせる。
胸の中に憎しみが駆ける。
「だめ?武人が金のために動いたら。ぷくくっ!流っ石は真面目な優等生!でもでもこれが本当の理由だもんよ~。支払い良いんだこの人ら」
……カナミは最後まで言わせなかった。
瞬時に距離を詰め、力任せに刀を振り回す。
「ナクラぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!!!」
「残念♪」
実力差は明白だ。
この年にして、カナミはかなりの使い手だった。
しかしナクラはそれ以上の手練れだった。
カナミの刀を異にも介さずはじき飛ばし、空いた腹を蹴り飛ばした。
肋骨が折れた音がする。
「か……あ………ぐ………………っ!!!」
5メートルほど吹っ飛んだカナミは、のたうち回り、次第に動けなくなる。
その様子を、ナクラは冷たい眼で観察していた。
「妹君ですよね?情は残っていませんか」
「いいえ。んなもんお袋の腹の中に置いてきたもんで」
「ではどいてください。とどめ刺しますから。こちらも敵地奥深くまでの潜入という無理をしているのでね。目撃者が生きていては困ります」
あくまで事務的に、フォールは淡々と述べた。
ナクラを邪魔そうに追い払い、一人の男を差し向ける。
「もったいないなぁ。この子、もう少ししたらいい女になるのに」
下卑た眼を向けながら男は剣をかざす。
フォールはめんどくさそうに目を伏せて。
ナクラは楽しそうににやけてて。
周りは先ほどまで人だったモノたちで溢れている。
つい先刻まで頼りがいのある身内たちに囲まれていた彼女は、今は一人だ。
尊敬していた父も、親族も、仲間たちも、誰もいない。
だからだろうか、カナミと男の間に「彼」は割り込んだ。
冷たい眼をして、ピリピリとした緊張感をまといながら。
内に潜む恐怖も動揺も隠しながら。
「彼女に手を出すな」
ディムル・エメラルドが立ちふさがった。




