アイシャとディナイアル王
ある夜、アイシャは部屋を抜け出た。
この城は、居心地がいい。
3食欠かさずに食えて、毎日湯につかれて、暖かい毛布の中で眠れる。
どれも、生まれて初めてのことだった。
ふいに、この城に来る前のことを思い出す。
すると、涙が出てきた。
何故、出るのかが分からなかった。
しかし、同室の者たちに見られたくないと思い、部屋から抜け出す。
月明かりが幻想的に照らす城内は、歩くのに不自由しない。
信用を得てきたのか、最近は監視の眼も緩い。
「あ!」
「む……」
意外な人物に出会った。
彼のお方に会うのは、私が城に来た日以来だ。
「ご、ご機嫌麗しゅうですでございます。王様陛下……」
「ふ……。礼儀を教わったか」
供もつけずに、エメラルド王ディナイアルは疲れ切った顔で一人タバコをふかしていた。
「座ったらどうだ」
「え、あ、はい……」
私が気まずそうに縮こまると、陛下はくくくと笑い出した。
「聞いたぞ。先日、若い兵士たちに絡まれたらしいな。返り討ちにしたそうだが」
「あ、はい。稽古に付き合えと言われたんで、軽く」
「木刀を持った連中を素手で仕留めたらしいじゃないか。大したものだ。ラモスもほめていたぞ」
「あのジジイがすか……」
「呪い、と言ったな。あの技術。どこで教わった?」
「教わったというか、自分で考えましたです」
「ほう?」
陛下は楽し気に笑った。
なんか意外だな。この人も笑うんだ。
「魔法は、幼いころおせっかいなエルフに習ったす。生きるための力になるとか言って。読み書きとか算術とか仕込まれて、里親も紹介されました。呪い?は、その後必要だから考えた、です。これが呪いっていう名前だとはこないだ初めてしりました、ございます」
「自分で編み出したのか。無茶苦茶な戦闘センスだな。その里親は……聞くまでもないか」
苦笑していた陛下は、その後悲しそうに目を伏せた。
王として、この国の状況に責任を感じているのだろうか。
「すまないな。お前にとってこの国も王城も、決して居心地のいいものではないだろう」
哀しげな眼で私の頭を撫でる陛下。
私は耳まで真っ赤になり慌てた。
「べ、別に死んでないすよ。里親。多分すけど。私を脂ぎったおっさんに売っぱらっただけで、ちゃんと生きてます。それに、この城だっていいところすよ。見下された態度にゃ慣れてるすし、たまに絡まれるけど、命まで取る気はないみたいだし。すっげ良いところス」
必死になって、少しズレたフォローをする。
さっきまでのように笑ってほしかった。
何故だか分からないが、この人に悲しそうな顔はして欲しくなかった。
「それに、私は今めちゃくちゃ幸せなんす。ここに来てから、餓えたりしないし、凍えることもない。死ぬような思いもしない。まるで天国みたいなところスよ!」
必死になってそこまでまくしたてると、陛下は暖かい笑みを浮かべて私の頭を優しく撫でた。
「その程度を幸せとは呼ばん。そんな国を作ってみせるさ」
陛下は慈愛に満ちた瞳を向けた。
何故、身分卑しき私を城で働かせるのか。
後になって考えれば、これはこの方なりの反抗だったのかもしれない。
少し前。周囲の眼に耐えられず、自ら命を絶たれた平民出身の前王妃。
私のようなものを城に迎えたのも、私のようなものに眼をかけたのも、
若すぎる王が周囲の貴族たちに向けた、ささやかな反抗だったのかもしれない。
〈念のため補足〉
自ら命を絶った平民出身の王妃→サラ姉上の母親のことです。




