イリーナ師匠
王子行方不明の騒動から一夜明け、昨夜と打って変わって気持ちのいい陽気となった。
「んっ!んん……!!むぐぅ……痛っ!……ぷはぁっ。いやぁ、難しいですね、人間は」
中庭でのイリーナの魔法講義。本日は初めて人体に治癒魔法をかけてみた。
具体的に言うと、アイシャによって折檻(拳でボコボコ)を受けた自分の身体の治癒だ。
「植物とは違って複雑です、なかなか治らないし、変に魔力をかけすぎると激痛もする」
「加えて、アイシャの拳にはごく微量ですが魔力を込められていました。これが治りを阻害しています。呪い、とも言われる手法で、治癒魔法の天敵ですね」
呪い、て……。アイシャ、マジかよ、えげつないな。
「ふーん、だ。私は悪くありませんからねー」
近くの柱に寄りかかりながら、アイシャはへそを曲げている。昨夜からずっとこうだ。
「ごめんなさい。アイシャさん」
「つーん、だ!」
いつもなら怒っても後に引かないすっきりした人なのだが、さすがに豪雨の中何時間も行方をくらましたのはまずかったか。最近物騒だとは聞いていたし、俺に何かあっては守り役であるアイシャの責任問題になりかねない。
「殿下、勘違いしてはいけませんよ。アイシャは自己保身ではなく、純粋に殿下の御身を心配しているんです。その傷も、アイシャの気持ちを噛みしめながら治さなければいけませんよ」
イリーナは俺のひねくれた思考を読んで戒める。
そうだな、平手打ちはいつものことだが、拳をふるわれたのも、ケガが残ることをされたのも初めてだ。呪いの件も含めて、彼女なりの愛なのだろう。
「はい!師匠!」
俺たちのやり取りを見て、後ろでアイシャはむっとする。
俺はイリーナのことを師匠と呼んでるし、イリーナも王族の俺をたしなめるような発言をするようになった。二人の関係は明らかに変化した。
アイシャは少し不服そうだ。守り役として、少し嫉妬があるのかもしれない。
「僕はアイシャさんとの方が仲良しだと思ってますよ。幼い時からずっと一緒にいてくれているんですから」
「ほら、アイシャ。私にとられたくないなら、こっちきて一緒に教えよう」
師弟二人で柔和にほほ笑む。アイシャもぐぬぬ、と葛藤していたが、
「だぁーっ、もう!本っ当に王子は私がいないとだめっすねぇ!!!」
文句を言いながらも一緒に教えてくれた。
それから数週間たった。
二人のおかげで人体に対する治癒魔法、少しずつだがそれなりに成果が上がってきたと思う。
これで多少のケガなら自分で治せる。応急処置レベルなら問題なくこなせる。
ふと考える。もしあの時、俺が今くらい治癒魔法を扱えたなら、あの少女を救うことができただろうか。
……やめよう、考えても意味がない。
二か月ほどたった。
イリーナからは魔法だけでなく色々なことを学んでいる。
もちろん親父の書斎にも忍び込み続けた。すぱんっ(アイシャに叩かれる音)
イリーナが見てきた世界、見てきた時代、城の中に引きこもっている俺には得られない数々の情報を与えてくれる。
「お城の外に出られたことがないのですか?」
「はい、誘拐や暗殺のリスクが城の中よりも何倍も上がるとかで。まあこんな世の中ですし仕方ないですけどね。だから、先生のお話がすごく楽しいですよ」
再び数か月たった。
基礎治癒魔法のヒーリングに続いて、リポイズン(解毒)・ブースト(身体強化)・スリープ(催眠)、様々な術を覚えた。
「つまり、まずスリープで眠らせてからブーストで高速離脱で書斎に……ぶつぶつ……」
「何企んでるんすかっ!」
すぱんっ。
叩かれた。イリーナ師匠からも悪だくみに使うのは禁止とたしなめられた。
その後も、魔法の腕はすくすく伸びていく。
気づけば、師匠から学び始めて一年近くたつ。
つまり、師匠が魔法教諭としてこの国に勤める任期も近づいていることになる。
「ディムル王子!お誕生日、おっめでとーう!!!」
『おめでとうございます!!殿下!!』
ぱんっぱんっ!部屋に帰宅した俺にクラッカーの音が響く。
この世界、文明のレベルは中世ほどだ、と言っては実は語弊がある。人間の身体能力の差異、そして魔法の技術力によって、文明レベルは前世の中世よりもはるかに上だ。
このクラッカーも火薬が無い代わりに炎魔法を付与魔法により付与されているのだろう。
高級品である紙の代わりに色とりどりな花びらが舞っている。
花びらの種類に季節性がない。
これは植物魔法、それに付与魔法に炎魔法、3種の混合か。
高等技術だ。間違いなくイリーナ師匠の作品だろう。
「さっき、祝ってもらってきたところなんですけど」
「またまたぁ。さっきの誕生日会は社交界みたいなものじゃないすか。殿下も宰相やら大将やらのお偉いさんに祝ってもらっても堅苦しいだけでしょう?慣れ親しんだ面子はほとんどいなかったわけですし、もう一回やってあげますよ!」
先程出てきたばかりの誕生日パーティーをアイシャは鼻で笑う。
なるほど、アイシャの意見にも一理あるな。見ると集まっていたのは俺の身の回りの世話をしてくれている使用人たちや食事の世話をしてくれるシェフたち、学問や礼儀作法を教えてくれる家庭教師たちもいる。
打算や駆け引きにまみれた上流貴族たちよりも、こっちの方が嬉しいな。
「みんな、ありがとう」
「いえ、私共のような卑しき立場の者に祝われても不敬なだけかもしれませんが…」
「何言ってるんですか、ミンクさん。とっても嬉しいですよ」
100点満点の笑顔を向けると、皆は感激し涙ぐむ。
「殿下が私なぞの名を……ううっ……!」
「もう7歳か、ご立派になられて……!!」
「ああ、うちの子もこれくらい可愛げがあれば…」
「うっ……誕生日にご両親とすらお会いできないのに……」
いや、大げさ大げさ。
前世で営業をやっていたことから笑顔は得意だが、可愛らしい幼児の外見とあいまったシナジーが発生しているらしい。これで一儲けできるかな?
その後、一人ひとりからプレゼントをもらう。
貴族たちからの献上品よりも、俺の好みをしっかり理解した品だった。
「はい、どーぞ。私からはこれでっす」
アイシャがくれたのは分厚い本。
おお、やるじゃないかアイシャ。
この世界では本は高級品だ。
もともと字が読める富裕層にしか売れないということもあるが、紙自体が高級品であるうえ印刷技術がないので全て手書きであることが一番の要因だろう。
「書斎やらなにやらに忍び込むくらいなら、これ読んでてくださいね。読み終わったら続き買ってあげますから」
アイシャは文句を交えながらぶつくさ祝う。それはそれは照れくさそうに。
さて、いったいどんな本であろうか。エッセイだろうか、教養書だろうか、または小説?
この本のタイトルは……
『エメラルド国 格闘技全集』
…………。
「ぷくくく……」
「なんでウケてるんすか!?」
最後に、イリーナからプレゼントを渡された。
「来週には発とうと思っています。この国を」
「また急ですね」
「いえ、前々から決まっていました。なかなか言えなくて、ごめんなさい」
イリーナから渡されたのは、ペンダントだった。
中には緑色の石が入っている。
「エレスサール。私の故郷の石です。付与魔法で魔力をこめておいたので、いざというときの補給路にお使いください」
「いいんですか、大切なものじゃあ……」
イリーナは故郷の掟を破り、家を出た。もう何十年も帰っていないはずだ。
これは、故郷とイリーナをつなぐもののはず。
しかし、イリーナはゆっくり首を振った。
「物は、あくまで使ってこそ意味を成します。魔力が込められたこの石は、きっとあなたの信念を守ってくれます」
「……ありがとうございます」
「私は他の皆さんと違い、あなたの成長を見守ることができません。だからこそ師匠としてできることを全てさせてください」
そう言うと、イリーナは覚悟を決めたように俺の頬に触れ、強いまなざしを送る。
「外へ行きましょう」




