第三十七話:遅延
秋季も半ばを過ぎた頃、ストックリー王国では前代未聞の軍集団が編制された。
騎士、約二十四万。
魔魔法使い、約二十二万。
兵士、約二十八万。
荷駄隊、約二十五万。
大陸全土を焦土化させることさえ、決して非現実的では無い。
王国にはそれ程の力がある。それは誰の眼にもそう映った。
物々しくも華々しい光景が、人間の奥底に封じ込められた闘争本能を喚起させたのか、王国は異様な興奮と盛り上がりに包まれた。
これは全て囮だ。バーグ族の危機感を煽り、総力戦に持ち込み、手薄となったヴェレトの首を銀が獲る。
異世界への転移が上手くいかず、その後の展望が苦しく、一個人の才覚に依存するバーグ族の勢いが急落することは免れない。
その後、王国、共和国の総力を以て、バーグ族を殲滅する。
前提条件を整えるための囮。或いは見せ札だ。
百万にも及ぶ戦士たちは予め、その話を聞かされていたし、囮であると明言もされた。
しかし、この歴史的な大動員は四十八期にも及ぶストックリー王国の歴史でも初めてのことで、まさか己が歴史に刻まれ、遥か遠い未来になっても決して色あせる事のない戦闘集団の一員になろうとは予想だにせず、囮という立場を忘れ、熱狂せずにはいられなかった。
見せ札なのだから、見せ付けなくてはならない。
あの悍ましい悪魔共に。共和国軍に。生き残っているかどうかも定かで無い連邦軍に。
悪魔を殲滅した暁には、大陸は王国の支配下に置かれる。
我々は支配者の、勝利者の尖兵なのだ、と。
事実、銀の提案を受け入れたブラクロス王も、総戦力の四割を動員しておきながら、余力と余裕を残していた。
囮に使われた四割の兵に主力は含まれいない。
失って痛むのは聖戦士レーヴェンス、ただ一人。
予想以上に大きくなった事態に、ブラクロス王は彼を手元に戻したがったが、大魔王ヴェレトと対峙したレーヴェンスは、それを固辞。
本来なら聖戦士の座を競い合った元候補者たちも動員したいくらいだった。
「動員兵力は約百万。壮観だが、数も質も、敵を大きく下回るか」
人々の盛り上がりに冷水を浴びせるかのように、銀の言葉は酷く冷めていた。
まるで見せ札にすらならないとでも言いたげ――いや、事実、見せ札にすらならないのだ。
それとは対象的にレーヴェンスは、久々に銀を言い負かすことが出来ると笑みを浮かべた。
「三千万という言葉に踊らされ過ぎてはいないか? 確かに悪魔、バーグ族は怖ろしく強い難敵だ。しかし、異界人。人間だ。中には戦えない者もいる。子供、老人、けが人、病人。戦えない者の方が圧倒的に多い。我がストックリー王国でさえ戦士は総人口の一割にすら遠く及ばない」
レーヴェンスはバーグ族の総戦力は一万人にすら満たないと考えている。
対ストックリー王国の攻撃部隊六十名。
銀は強攻偵察部隊と考えていたが、今になって考えてみたら、あれがバーグ族に出せる精一杯の兵力なのだと確信していた。
「奴等にとって魔力は猛毒で、呪素が無ければ本来の力を発揮するどころか呼吸さえも儘ならない。奴等にとって呪素は空気でもあり食糧でもある。しかし、それを無尽蔵に用意することも出来ない。銀の懸念は尤もだが、この遠征は間違いなく上手くいく」
「何だかんだで共和国も半年近く前線を支えるのに成功してるわけですしね。レーヴェンス様の仰る通りだと思いますよ」
レーヴェンスとリーザに気負った様子は無く、しかし慢心もしていない。
状況を正しく認識しているといった様子だった。
すると銀は、それまでの冷笑から一変して悪意のない笑みを浮かべた。
「頭が冷えているなら問題無い」
『まさか、この男、私を試していたのか?』
この男は最初から悲観も何も無く、この事態も望んだ通りの結果らしい。
レーヴェンスとリーザがその考えに至ると、まるで頭の中を覗いていたかのように、銀は得意気に口の端を吊り上げる。
「重畳なことだ。行くぞ」
銀は二人を伴い、百万の戦力が待つ檀上に登る。
彼等の姿を認めると、声が小波のように消えていく。
聖騎士や世界的に有名な魔法使いを僕のように引き連れ歩く、異界の勇者の言葉を誰もが待った。
「大魔王の傷がどの程度癒えているか定かでは無い。だが、侵攻の遅さから察するに具合は良くないらしい。恐らく、これが最後の出撃だ。悪魔を一人残らず鏖殺し、世界と未来を人間の手に取り戻す。皆、どうか我々を支えて欲しい」
演説と言うにはあまりにも静かな落ち着いた声色で、大きな身振りも無い。
百万人に言葉を伝える為に用意されたスピーカーが、大音量で銀の言葉を増幅する。
それでも百万人全員が静かな、静かすぎる演説だと感じた。
内容も短く薄い。戦士たちの士気を瞬間的に高潮させるものでは無い。
しかし、それが却って、これは事実確認なのだと、銀の声を聞く者たちを安堵させた。
『これは死への行軍では無い。確定された勝利への行進なのだ』
囮、見せ札であることを忘れて、彼等は出撃した。
しかし、これが最後の出撃とはならなかった。
共和国の横断を開始してから約二十日――。
前線に辿り着く前日、地の向こう側に黒い壁が現れた。
『あれこそが噂に聞く、無か』
誰もがそう思ったが、レーヴェンス達だけが違う反応を示した。
規模こそ違うものの、彼等は既に同じ物を見ている。
「物質化した呪素。それが無の正体ってことなんでしょうか?」
「悪魔は無より生まれ出ずると言うが、物質化してしまってはバーグ族も出て来れないのではないだろうか」
口々に言い合うリーザとレーヴェンスを尻目に銀は口を開く。
その表情には焦燥と憤怒が浮かんでいる。
「奴め小賢しい真似を……!!」




