第三十九話:仕切り直し
「連邦が滅んでいない?」
レーヴェンスは呆気に取られたように言う。
「ああ、そうだ」
無に飲み込まれた筈の連邦が滅んでいないこともそうだが、壁に拳を叩き付け、苛立ちを露わにする銀の姿も、レーヴェンスとリーザを唖然とさせるのに一役買っていた。
だが、ヴェレトとの戦いを通じ、呪素がバーグ族を絶対強者にしていることを知った銀は、貴重な呪素を物質化するまで圧縮し、防壁としたことにヴェレトの意図を確信した。
それは連邦領、自由都市ティブランでヴェレトがダドリック達に語った長期戦略の概要を、ほぼ完全な形で見破る程のものだった。
「しかし、あの大魔王がそれほど遠大な計画を?」
銀の推論を聞いても、それを手放しで信用することは出来なかった。
筋肉達磨とでも言うべき異様な体躯の持ち主が、それ程、それ程の策略を凝らすとは思えなかったのである。
それを見透かしたかのように銀は「あの時、お前達は意識を失っていたから分からんだろうが」と前置きして、レーヴェンスを黙らせてから言葉を続ける。
「あの男、存外に慎重で、しかも臆病だ。奴等がこの世界に現れたのもの、奴が大魔王を自称しているのも状況に追い立てられたに過ぎん」
「未来も見えず、本来の指導者も恐らく事故で死んだ。もしかして彼等も追い詰められているんですか?」
「そうだ。そして奴等の恐怖心が形になったのがこの壁だ。忌々しい……!!」
レーヴェンスは銀がここまで感情を露わにするのを初めて見た。
物質化した呪素の壁を何度も殴り付ける様は、正しく癇癪だ。
殴り付けた壁に亀裂の一つも入らないことが、銀を更に苛つかせている。そう見えた。
「しかし、これは勝機だ。奴等が力の根源たる呪素の多くを手放したと言うことは個々の力も、兵力として動員できる数も減少しているに違いない。連邦の存亡に関わらず、これは確実だ」
「話はそんなに簡単ではない」
奮い立つレーヴェンスに銀は否定を示す。
「問題はこの壁が造られて、どれだけの日数が経過し、奴等がどれだけの呪素を産出できるようになったかが不明だということだ。ストックリー王城に帰還し、百万の兵を集め、この地に辿り着くまで、俺達がどれだけの日数を要したと思っている」
「しかし、この壁が奴等の恐怖の象徴だとしたら、まだ万全には至っていない証拠でもある。奴は『今度は腕利きの手勢を引き連れて、完璧にぶっ殺してやる』と三下じみた捨て台詞を言い残して逃げたと言っていたではないか」
「む……」
「あの、銀様? 何をそんなに怒っているんですか? 一筋縄でいかない相手なのは初めから分かっていたことだと思うんですけど……」
リーザが遠慮がちに言う。
彼女は銀に強い恋慕を抱いており、銀の言うこと、やることなら、多少のことには目を瞑り、受け入れるスタンスだ。
そんな彼女が指摘するのは、誰の眼から見ても銀の態度に不自然さがあったからだ。
「それは……すまん。先走った」
銀は溜息を吐いて、壁に背を預ける。
「銀様でも焦ることってあるんですね!」
「当たり前だ」
不貞腐れたように返答する。銀は目に見えて落胆していた。
「百万の軍勢で圧力をかけ、総力戦に持ち込み、争乱に乗じてヴェレトの首を獲る。上手くいけば今日で悪魔と無を端に発した動乱に決着が付く筈だった。勇者として召喚され、戦いの日々を強要された銀が憤るのも当然だ」
普段の超然とした態度と能力のせいで忘れそうになるが、元は別の世界から召喚された一般人でしかない。
どんなに力があろうとも、戦いが本意でないのは当然だ。そうであれば、銀の唐突な態度も当然だとレーヴェンスは納得する。
「気に食わん状況だ。奴等の思惑に乗るようで癪だが、海路を行くしかない」
「海路か。船団が要るな」
レーヴェンスは伝令を呼び付け、王国海軍の派遣を要請する。
「海路? ですか?」
「あの壁は高濃度の呪素。つまり、この世界の人間にとって致死性の高い猛毒だ。俺一人なら突破出来るだろうが、俺一人でどうにか出来る状況ではない。呪素を吸収し、力に変えることが出来るとしてもだ」
「なるほど、それで海路なんですね。けれど連邦は大丈夫でしょうか? 銀様の予測通りのことが起きてるとして、既に全滅してるなんてことは……」
「バーグ族にとって魔法よりも魔力の方が毒になると理解していて、大量の魔力を生成し、放出する人材をどれだけ確保出来ているか次第だが、呪素の生成サイクルが確立されれば連邦が落ちるのも一瞬だろうがな」
しかし、一番の問題は百万もの王国軍と共同戦線を張る共和国軍。
それらを運搬するまで大船団を用意するまで、銀たちは更に足止めを食う。
進軍が再開されたのは四十八期ブラクロス暦二十三年春季、年明けになってのことだった。




