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すべての謎と魔法が解けて

最後にお知らせがあります。

「アレッサンドラ!」


 イブが立ち上がって彼女の前に進む。


 ――今日のアレッサンドラは、別人みたい。


 薄茶色の髪をストレートに下ろして、ジャズシンガーがピアノの横に立つときのようなシンプルな黒のロングドレスを着ている。いつもの装飾過剰な姿も可愛らしくて私は好みだったけれど、漆黒のドレスに艶めく髪、ネックレスさえしていない姿は余計なものをそぎ落とした清々しい美しさがあった。


「とても綺麗だ」

「あなたは、いつも素敵ね」


 見つめ合った二人が、静かに顔を寄せてキスを交わすと、ロビンハルトが私の肘をちょんちょんとつついた。


「クレナの生け花の影響がありありと出ている。イブ好みだ」

「でも、アレッサンドラの好みも尊重してくれないと長続きしないわ」

「それは大丈夫だよ」


 ロビンハルトが嬉しそうに熟年夫婦を眺める。


「イブは頑固だけど、根本では個性を大切にしている。なによりアレッサンドラに、べた惚れだ」


 黒い衣装を着た二人が寄り添っていると、年齢差こそあるけれど相思相愛の素敵なカップルに見える。


「アレッサンドラ様、お待ちしておりました。お帰り、嬉しゅうございます」


 アルマンがいかつい顔を緩ませて頭を下げると、アレッサンドラが微笑んだ。


「だって遠いんですもの。長いことイブのお世話をご苦労様。またアルマンと飲みたいわ」

「旦那様にお仕えするのは私の喜びにございます。ご夫妻とのお酒なら、いつでもお相手させていただきます」

 大酒飲みとイブがアレッサンドラを評していたらしいが、この気難しそうな男性陣と楽しく酒を酌み交わせるなんて、若い見かけに反してアレッサンドラの中身は熟女なのだとつくづく思う。

「アルマンとは今夜にでも。まずは、この子たちと話しましょう。マティーニをちょうだい。イブ、あなたも飲んで」


 イブに伴われたアレッサンドラが、優雅にソファに座るとアルマンが素早くオリーブの沈んだマティーニグラスを差し出す。

 大人二人は、目と目を見合わせて乾杯すると、美味しそうに強いカクテルを口に運ぶ。


 ――絵になるなぁ。


 私がうっとりと眺めている間に、ロビンハルトが話を進めてくれた。


「アレッサンドラ、クレナのパパのこととマルグリットのことを俺たちに教えて欲しい」

「そうね」


 カラコンの入っていない茶色の瞳を私に向けて、アレッサンドラが語り始めた。


「マルグリットを見つけたのは私の偵察鳥だったわ。綺麗な女の子が崖の下に倒れているって大騒ぎで戻ってきたの。私は移動魔法が苦手だから、イブに連れてきてもらって介抱したのよ。マルグリットは清らかな顔立ちに大きな目の女の子で、妊娠していた。あの子は預言で私の姿を見ていて、助けを求めていたのよ」

「絵を見た。クレナに似ている」


 ロビンハルトがすかさず言うと、アレッサンドラも茶化したりせずに「そうね」と答える。


「マルグリットと私にはどんな関係があるの?」


 ざわざわと騒ぐ胸を押さえて私は尋ねた。

 生まれ変わり?

 もしかしたら私がマルグリットなの?

 空になったマティーニグラスに気づいたイブが、視線で新しいものをアルマンに頼む。


「マルグリットが産んだのがアンドレアスよ。だから、マルグリットはクレナのお祖母さんってことになるわ」

「パパの、お母さん!」


 カチカチカチとさまざまなピースが頭の中ではまり込む音がする。


 預言の遺伝、天涯孤独のパパ、私と面差しの似た肖像画。


「私とマルグリットは、とても仲良くなったわ。あの人は村でも浮いた存在で、家族との縁も薄かったから、ここでの生活にほっとしたと言っていた。マルグリットは魔族の娘ではないけれど預言の才能があったし、綺麗で賢い女の子だったの。私は女の子のお友達が大好きよ」


 なるほど……マルグリットとの友情がきっかけでアレッサンドラは女の子の城を作ったってわけね。


「あの……パパのお父さんって……?」


 恐る恐る私は聞いた。

 五層に住んでいるような、粗野な男性だとしたらマルグリットがかわいそうだ。


「三層から来た旅の人と恋して子供ができたって言っていたけど、彼はマルグリットとの仲を知られて五層への出入り禁止になったそうよ。出産後に今度は村中の男の、子供を産まされると聞いて、あの子は一人で逃げてきたの」


 アレッサンドラがマティーニを飲み干すと、すぐに新しい杯がアルマンによって供された。

 イブもグラスを傾けながら、昔話に参加する。


「アンドレアスの名前は私がつけた。優秀で美男子、申し分のない男の子だ。アレッサンドラは反対したが私の弟子にした」

「だって、人間の子供よ。魔王の弟子にしたらいつかイブが破滅させられるわ」


 この発言にはロビンハルトが反発する。


「俺だって人間の子供だけど、イブのことを尊敬しているし、破滅なんて考えたこともないよ」


 本当にそうだと思う。

 きっとパパもロビンハルトと同じようにイブを慕っていたはずだ。

 長い脚を組んで、アレッサンドラに身を寄せたイブが彼女の耳元でささやく。


「アレッサンドラ、私には君が一番の愛だ。それなのに弟子に嫉妬するなんて、なんて可愛いのだろう」

「嫉妬じゃないわ」


 つんとアレッサンドラが横を向いたが、その横顔で腑に落ちた。


 ――なるほど、アレッサンドラはイブをひとり占めしたかったのね。


「……それでマルグリットは、どこに?」


 パパを産んでからもアレッサンドラの庇護のもと、友人としてこの城にいたはず。


「死んだわ」

「え?」

「アンドレアスが十にもならないうちに、突然。人間特有の心臓の病気だったみたい。私たちは病気になんてかからないから、まったく気がつかなかったし、蘇らせることもできなかった。ただ、マルグリットは自分の死を予知していたのね。私とイブにアンドレアスを託したの」

「……そんな」


 お腹の奥が、ぐぐぐと引き絞られるような、血の気の引く感覚が襲う。

 魔族と人間の共生は、確かに難しくて、マルグリットは死んでしまう自分を先読みしたのにどうすることもできなかったのだ。

 額に冷や汗を浮かべた私の手を、ロビンハルトが握ってくれる。


「アンドレアスは、クレナのパパとして人間と暮らしているんだろう。今は幸せなんだと思うよ」

「ええ」


 アレッサンドラの話に、ぐらぐらと目の前が揺れていたが、ロビンハルトに家族のことを聞かれて、気持ちが立て直される。


「アンドレアスが18歳になったころに、魔法の書で異世界を見る術を編み出した。それまではアッサムランサー国にそくした魔法を読み解く書として使っていた魔法の書を、私とアンドレアスで改造したんだ」

「それって違法なのよ」


 アレッサンドラが眉を寄せる。マティーニがもう一杯追加された。


「アンドレアスは読書家だったから、魔法の書を隅から隅まで読んでいた。読み足りなくて追加した異世界編でゆり子を見初めたんだ」


 ――ママだ。


「ゆり子に会いたいというアンドレアスを私は止めた。ここで私と一緒にいて欲しかった」

「あなたはアンドレアスに夢中だったもの」


 苦々しい口調でアレッサンドラが言い、イブが肩を抱き寄せて頭にキスをする。


「そういうやきもちも本当に可愛い」


 何杯目になるかわからないマティーニを透かして、アレッサンドラはイブの顔を見た。

 だいぶ酔っぱらっている。

 さすがの彼女も、久しぶりの夫と悲しい昔話で、気持ちが浮き沈みしているのだろう。


「ってわけで、私はイブとアンドレアスを引き離すために異世界への転移魔法を使ったの。何十年ぶりだったかしら。でもちゃんとできたわ。アンドレアスは賢い子だから転移する前に魔法の書で戸籍や大学の入学許可、住むところの手配まで済ませていた。だから、アンドレアスが消えたあとは用のなくなった魔法の書が残されていたのよ。あの本を今はロビンハルトが使っているのね。あの時イブは私が勝手なことをしたって、ものすごく怒ったわ。私、すっかり嫌になって城から出て行ったの」

「じゃあ、夫婦喧嘩のきっかけはパパなの?」


 申し訳ない気持ちで私はそこにいる人をぐるりと見た。

 イブが肩をすくめる。


「まぁ、そうとも言えるかな。アンドレアスがいなくなって私はかっとしてアレッサンドラの服やインテリアの好みを悪く言ってしまったし」

「ダーリン、今はどうなの?」


 新しいマティーニを口に運びながらアレッサンドラがうっとりとイブの頬を撫でる。


「もちろん、アレッサンドラのセンスは素晴らしいと思っているよ。ふわもこのパジャマもきっと似合うだろう。今夜、着てみせてくれ」


 酔っぱらいのアレッサンドラに、彼女を甘やかすイブ。

 ハートが飛び交う二人の様子に私はほっとした。

 仲違いの原因がパパだったなんて申し訳ないけれど、これで十年に渡る別居は解消されるだろう。


「ああ、そうだ。アレッサンドラが帰ってきたのだから、クレナは帰そう」


 急にイブが言い出した。


「あ、えっと……帰りたいには帰りたいけれど……」


 このままロビンハルトは魔法がかかったままなんてかわいそうだ。

 でも、彼には私を好きでいて欲しい。

 とても身勝手だけれど、心からの気持ちが込み上げてくる。


 ――だって、好きなの。ロビンハルト!


 なにか声をかけようとロビンハルトの顔を見ると、見るからにがっかりしている。


「……あの、ロビンハルト」


 その時、私の声をかき消す雷鳴が響いた。


「きゃあっ」


 同時に滝のような雨が降ってくる。

 暗雲の中、稲妻が光り、叩きつける豪雨は柔らかな土を掘り返しそうに激しい。


「さっきまで晴れていたのに」


 外を見ると、黒雲と強風、そして雷光がまるで龍神が舞っているように、空を荒らしていた。


「もしかしたら――これってロビンハルトの感情なの?」

「そうだ。ロビンの周辺の大気は、ロビン本人の気持ちに左右されるからな」


 窓の外を眺めながらイブが言う。


「天気の神様もお前に夢中だ。な、ロビン」

「そうなのかな? 数多の神や女性たちに好意を寄せられるよりもクレナ一人の愛が欲しいけれど」

 はかない微笑みで顔を向けられて、胸がぎゅっと痛くなる。

「イブ……」


 私は思い切って口を開いた。

 喉が閉じて、唇がからからに乾く。


「イブ……もう、いいわ」

「本当に?」


 イブが片眉を上げて確認する。

 もういい、偽りの恋でロビンハルトを惑わせるのも、もう終わりにしなければいけない。


 ――そうすれば、アレッサンドラとイブ、そしてその息子としてロビンハルトはこの城で暮らしていける。


 そう、なんのわだかまりもなく、たくさんの愛を素直に受けて。


「お願いします。ロビンハルトの恋の魔法を解いて、彼を自由にしてください」

「鉄仮面の騎士に恋の魔法をかけたの?」


 アレッサンドラが愉快そうに言って空のマティーニグラスを置くと、アルマンの差し出す新しいグラスに目を輝かせる。


「最初に見た女の子に恋をする魔法だよ。さぁ、解こう」


 なんの前置きもなく、イブが人差し指を空中でくるりと回す。

 イブの長い指の周りにキラキラと星が散る。


 ――ああ、魔法が解けちゃった。


「俺に? 真夏の夜の夢の魔法を?」


 ロビンハルトが確認して、私に振り返った。


 ――見ないで欲しい。


 私は両手で顔を隠した。

 これまで恋のフィルターがかかっていたロビンハルトの美しい瞳に、なんの変哲もない女子高生の私が映ってしまう、そんな恐ろしいこと、いやだ。


「お願い、アレッサンドラ。すぐに私を元の世界に帰して!」

「おまかせっ! ☆☆☆ ◇◇◇ *** 」


 聞き取れない魔法の言葉をアレッサンドラが紡ぐ。


「わんわんっ」


 ロビンハルトの足元でおとなしくしていたエトワールが、甲高い声で吠える。


「クレナ、行かないで、もう一度っ……」


 ――もう一度? もう一度なに?


 目の前でダンバーハート城のリビングがぼやけて急激な眠気が私を襲う。


 ――ああ、久しぶり。


 夜七時、ぱたりと眠ってしまう時の感覚を私は数日ぶりに感じていた。 

 

 

 




 


次回最終回です。ここまで読んで下さってありがとうございました。

実はまだ最終話を書いていなくて、土日に書き上げます。

そして月曜日に最終話の更新をいたします。時間は未定です。最後までどうぞお付き合いください。

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