鉄仮面の騎士、登場!
誰がドアを開けたのか。
ふわっ、と風が押すように両開きの扉が開き、真っ暗な中に銀色に光る鉄仮面の騎士が立っていた。
「……!」
私はもちろん、その場にいる誰しもが、声ひとつ出すことができない。
巨大なフルプレートの姿は、背後から照らされた逆光にぼやけ、実際の姿が一部は銀に、そして大部分が暗黒に沈んでいる。彼の身体の周りには、翼のある黒い動物が飛び回っていた。
(コウモリ?)
夢の中でもその動物は飛んでいた。
鳥よりも重量を感じる躯体から羽ばたく翼。
邪悪なコウモリを連れて歩いているのなら、やはり彼は悪の化身?
ガシャガシャガシャガシャ、早足になった鉄仮面の騎士は、全身から金属音を響かせて私へとまっすぐに歩み寄ってくる。
ホールの人々からこらえきれない悲鳴が沸き上がり、野次馬の頬は紅潮する。
彼女らにとって、鉄仮面の騎士など対岸の火事だ。なぜなら、その魔物が求めているのは生贄となるアレッサンドラだけ、つまり身代わりの私だけなのだ。
ここにいる客は、無邪気にファッションを楽しみながらも、残酷な儀式を見届けてやろうと集まって来ている。
(なんて悪趣味!)
私が恐怖に叫び、命乞いをしたり、生理的な嫌悪から失神したりするかもしれないと、興味津々で舌なめずりしているのが伝わってくる。
(そんな醜態は見せないから!)
夢で見た場面よりも、数倍怖いけれど、私はぐっと背筋を伸ばして玉座から立ち上がった。
ガシャガシャガシャと鎧の継ぎ目の音を立てながら、鉄仮面の騎士が大広間を縦断する。
くすんだ銀色の鎧は隙間なく全身を包み、フルフェイスの兜は喉元までしっかりと覆われて中の人の肌色さえも確認できない、いや……人ですらないかもしれないと言われている。
突然、ホールの照明がすべて灯された。
全体像が照明に当たった鉄仮面の騎士の姿は、異様な迫力を放っていた。
二メートル近くありそうな上背と、逆三角形のプレートアーマー、中に人がいるのならば、筋骨隆々とした大男が入っていそうだ。
存在感の強い鉄仮面の騎士の周辺を飛び回るコウモリらしき生物は、なぜかどんなに目を凝らしてもその姿がぼんやりとにじんで、焦点を合わせて見ることができない。
(これが鉄仮面の騎士……)
彼はこの世で一番醜い騎士。
私はこれから魔物への生贄として捧げられる。
あまりの非現実感に、ぼんやりしていた私は、はっと身を硬くした。
玉座の配された壇の上に、鉄仮面の騎士が上がってくる。
この場面は夢で見た。予習済みで、私は大丈夫だとわかっていても、足元がふらついてまっすぐに立っていられない。
ジェットコースターに乗ってからすぐの、じりじりとレーンを昇るわずかな時間。ガタガタとのんびり上がって行くスピードは遅いけれど、絶叫の落下を私は知っている。今の気持ちはあの心拍数の急上昇する状態に似ていた。
私の目の前に立った騎士が、革のグローブを嵌めた手で、ヘルメットのシールドを頭上に跳ね上げた。
カァアアアアアン!
ホールの中に鋼鉄がぶつかる音が反響し、物見高い女性たちが少しでも鎧の中を見ようと左右に移動する。
玉座を照らす照明に、彼の目が眇められた。
がっちりと顔を隠す兜のスリットからは、彼の目と、その周辺の皮膚しか見えないが、美麗な形状の瞳と緑色の虹彩の色、そして白い肌を持つ男だと確認できた。
暗い仮面の下から現れた瞳は、緑色の部分が大きく広がって、その中に紅色の小さな斑点が光る。稀少なエメラルドの中に砕いたルビーがちりばめられたような魅惑の瞳。
その部分を見ただけで、彼のとびぬけた美貌が察せられる。
兜の中の薄暗さから、ホールの明るさに慣れようと、鉄仮面の騎士がぱちりと瞬きをした。そして私の顔に焦点を当てた彼の目が、驚いたように見開かれる。
「アレッサンドラか?」
問いかけられた声が大きく、声質が甘い。
実際はどんな種類の言語を使っているのか知らないが、私の頭の中で日本語に変換されて聞こえる声は、二枚目声優なみに響きの良い美声だ。
ここで違うと答えたら、夢の中とは違う展開になってしまう。
鉄仮面の騎士の手が伸びて、私の目元を隠していた仮面を外した。
目と目が合う。
火花が散った。
鉄仮面の騎士の視線が強い。彼の脳内思考に高らかなアリアの歌声が絡んで、背後からファンファーレが鳴ったような幻聴がした。
(これが……アレッサンドラ……)
鉄仮面の騎士の声だ。
この国に来て以来、声がすべて脳内に響く。それゆえに感情が音楽に近く感じられるのだ。
彼の気持ちが震えている。まるで初めて女性を見た若者みたいに。
「う……あ、あの……アレッサンドラです」
アレッサンドラじゃないけれど、私はかすれた声で返事をした。
ふと玉座の上方にあるピロティ―から、アレッサンドラが下を覗き込んでいる姿が見えた。興味本位なのか、鉄仮面の騎士の声が意外に素敵だったからか様子を見に来たらしい。
(……あ?)
アレッサンドラの姿に気を取られているうちに、鉄仮面の騎士の感情が最大限に高揚しはじめた。それは、オーケストラの大太鼓が小刻みに鳴る音として私の脳内に響く。
――これって、心音?
彼の胸の鼓動が、ありえないほど高鳴っている。
これで、この人が本物の魔物なら、今すぐ私を貪り食べ始めても不思議ではないほどの集中力と興奮に彼の身体が燃え滾っていた。
――ああ、やっぱり怖い!
人の感情が急速に高まっていく過程を、音楽と同調して感じると、不吉な楽曲に不安感を煽られる心情が沸き起こってくる。
きっかけは、私に対する好意のようだが、恋愛経験に乏しい私には恐怖にしか感じられない。
鉄仮面の騎士が、おもむろにヘルメットに手を添えると、ぐっと持ち上げて仮面を脱いだ。
一瞬、すべての人の息が止まり、つづいて、ざわっ、とホールの中にどよめきが起こった。
(出た! 鉄仮面の素顔!)




