1 見習い聖女アイリス
びしゃん、ガラガラァ――ンッ!!
神聖な空気を纏う礼拝堂に似つかわしくない、荒々しい音が響き渡る。
私は雑巾で床を拭いていた手を止め、音のした方へ振り返った。
そこに立っていたのは――聖女シャーロット・ケーシー様。両隣には彼女の取り巻きをしている見習い聖女の二人もいた。
「なにか足に当たったみたいですわぁ。何かしら? おかしいですわねぇ? おほほっ」
「……シャーロット様っ」
シャーロット様の足元には木製のバケツが転がり、さっき磨き上げたばかりの床は水浸しになっていた。
(わざと蹴ったくせに、よく言うわ……)
大きく溜息をついて立ち上がると、シャーロット様と目が合った。
「あら、見習い聖女のアイリスじゃないですの。小さすぎて、どこの幼児が迷い込んでるのかと思いましたわ、うふふっ」
「本当ですわぁ、ふふふっ」
シャーロット様が小馬鹿にしたように笑うと、取り巻き達も一緒になって笑った。
錆びついたような赤毛に黒い瞳、チビで幼児体型な私。一方シャーロット様は碧い瞳に色白の肌、長く美しいプラチナブロンドの髪で、目を引くような華やかで妖艶な美女だった。
白を基調とした清廉な聖女服を着ているのにもかかわらず、どこからか色気が溢れ出ている。
私は自分の真っ平らな胸元を見て、溜息をつく。
(同じ十八歳なのに、どうしてこうも違うんだろう……)
ちなみに見習い聖女は黒い聖女服を着ることになっているが、私が着ると重く、野暮ったく見えてしまうのが悩みだ。
私は彼女から視線を逸らしバケツを起こすと、飛び散った床の水を雑巾で拭き取る。
シャーロット様からのこういった嫌がらせは日常茶飯事だった。侯爵令嬢の彼女は、平民出身の私のことが気に入らないんだ。
「アイリス。あなた、先代の大聖女様に拾ってもらったからっていい気にならないで! 魔力もろくに無いくせに、いつまで神殿にいるつもりですの? 落ちこぼれは不要なのですわ!」
シャーロット様は私の頭上から罵声を浴びせると、三人は礼拝堂を出ていった。
パエンドール王国の人々は、火風水土などの魔力を持つ者も少なくはないが、特に貴重なのは聖属性だ。
聖属性を持って生まれるのは、なぜか女性が多く、怪我や病気を治癒させる回復魔法を使うことができる。
聖属性の魔力が認められた少女達は身分関係なくこの神殿に集められる。
十三歳から見習い聖女として修行を開始し、一定の魔力量に達することが正式な聖女になる為の条件だった。
だいたいは成人する十六歳までには、聖女になっているのだが……。
「もう十八なのに、まだ見習いなんて……」
悔しさが込み上げてきて、ぐっと唇を噛みしめる。
――私が故郷の村から王都の神殿に聖女候補としてやって来たのは、八年前の十歳のときだった。
聖属性の魔力があるとたまたま分かり、先代の大聖女様に連れて来られた。
しかし、私は十八歳になるが未だ魔力が弱く、聖女として認められていない。
先代の大聖女様に拾ってもらったこともあり、今も見習い聖女として神殿に置いてもらえているが、それも今後どうなるかわからない。
でも、どうしても聖女になることを諦めきれないんだ。聖女になることだけが、私の存在意義なのだから。
「あの……アイリス、私もお手伝いしましょうか?」
雑巾を絞っていると控えめに声をかけられる。まるで小鳥のような澄んだ声だ。
見習い聖女のエリゼ・フォーレンだった。
彼女は半年前から神殿に仕えている。
濡羽色の艷やかな黒髪、透き通るような白い肌で手足がスッと長く、大きな金色の瞳が特徴の美少女だ。まだ十三歳だが、落ち着いていて大人っぽく見える。
私と同じ黒の聖女服なのに、彼女が着ていると優美に見えるから不思議だ。
「ありがとう、エリゼ。でも大丈夫よ」
私は少し微笑み、彼女の申し出を断る。
エリゼは公爵家のご令嬢だが高慢なところなどなく、現在貴族ばかりの見習い聖女の中で、彼女だけはよく手伝いを買って出てくれる。でも手伝ってもらうわけにはいかないので断っているが、声をかけてくれるのはとても嬉しい。
(エリゼには、同じ見習いの立場だから敬称も敬語もやめてほしいと言われたんだよね。年下なのに、しっかりしてるわ)
神殿では貴族も平民も平等であれという精神だが、実際は貴族の方が優遇されている。
見習い聖女は本来、神殿内の掃除や洗濯などは修行の一環として行うのだが、貴族出身の見習い聖女達はすることはない。神殿の待遇も寄付金次第ということだろう。
だから、私は神殿に勤めている使用人達と掃除や洗濯など行っている。
(まぁ、仕事は楽しいのでいいんだけどね)
カーン、カーン……と、正午を知らせる鐘がなった。
「あ、もう昼食の時間になっちゃうわ。遅れちゃうからエリゼはもう行って。私も片付けたらすぐ行くからね」
「はい。わかりましたわ……」
まだ心配そうにしているエリゼだったが、私に促され礼拝堂から出ていった。
ふと祭壇の方を見上げると、天を仰ぎ祈る初代大聖女様の石像が、ステンドグラスから注ぐ光を浴びて輝いている。
彼女はパエンドール王国を魔物の脅威から護ったといい、人々からパエンドールの女神と呼ばれていた。
(……パエンドールの女神かぁ……、……あれ?)
初代大聖女様の手の甲に、何か模様が彫られているのに気付いた。
「あれって何だろう? 花びらが何枚も重なったような……? ……って、掃除しなくちゃ!」
私は慌てて雑巾を絞り直し、掃除を再開した。
礼拝堂の掃除が終わる頃、ぐ~っとおなかが情けない音を立てる。
「やっと終わったわ。はぁ、おなかすいた~」
その時、カーンと神殿で行われている午後の診察の開始を告げる鐘が鳴った。
「え、嘘! もうこんな時間!? うぅぅ、今日も昼食抜きかぁ……」
涙目になりつつ、私は掃除用具を持って礼拝堂を後にした。
「聖女殿、治療を頼めるか?」
神殿の処置室の前で声を掛けられる。




