アンデッドの少年
アレクセイ司教に許可を得た翌日、エレナはグランと共にアンデッドが潜むというダンジョンを目指して王都を出発した。
湖を渡る船便と対岸の街から出る馬車を乗り継いでいき、目的地の近くらしい街道の途中で馬車を降りる。
街道から森の方を見ると、森と街道の間に境界線を作るようにして一定間隔で立て札が立っているのが目についた。
特に何も文字は書かれていないのだが、すべての立て札には同じ紋章が大きく描かれていた。
中央に白い百合の花、そしてそれを取り囲むようにして五つの円が等間隔で並んでいる。
「メディス家の家紋ですね」
「ああ、こっから先の森は奴らの私有地ってこったな」
時に貴族は明確に私有地の境界線を示すために、こうやって家紋を描いた立て札を立てることがある。
彼らは文字が読めない人間であってもわかるように、このような形で私有地の領域を表しているのだ。
「だがあんたら教会なら、入っても問題ないんだろ?」
「ええ。今回は司教様のご許可をいただいております」
結果的に揉めるかもしれないが、貴族との折衝については自分の上司の言葉を信頼して任せている。
自分は現場で果たすべき役割を果たすまでだ。
私有地であることを示す立て札を越え、グランの案内に従って森の中へと入っていく。
そしてしばらくそのまま進んでいくと、岩肌にポッカリと空いた穴を見つけることができた。
「こちらが入り口でしょうか」
「そうだ。あっと、入るときは気をつけろよ?前に来たときには罠が仕掛けられていた」
「罠、ですか?」
「ああ。かなり大量にあったぜ」
グランの言葉を聞き、エレナは自分の中で今回の敵に対する警戒度を数段階引き上げる。
自分で罠を仕掛けることができるということは、相手は間違いなく高い知性を持ったアンデッドだということになる。
肉体的な能力に任せた力押しの攻撃をしてくるアンデッドに比べると、こういったアンデッドのほうが格段に厄介だ。
知性を持つアンデッドの場合は魅了や変身などの特殊な能力を使いこなしたり、言葉巧みに相手の動揺を誘おうとしてきたりする事が多い。
教会の対アンデッド戦闘員の被害も、こういった知性を持つアンデッドによるものがほとんどと言っていい。
「入り口のトラップが解除されてやがるな……」
「それも油断を誘うための罠かもしれません。慎重に進みましょう」
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移動中に聞いた話の通り、中は人工的な作りの遺跡型ダンジョンだった。
ダンジョンの割には地面はきれいな状態で、まるで掃除でもされているかのように歩きやすかった。
更に通路の途中には数カ所、光鉱石の灯りが作りつけられていた。
エレナはこの灯りの存在がどうも引っかかった。
彼女の知るアンデッドのほとんどは、知性を持つ持たないに関わらず暗闇を見通す眼を持っている。
にもかかわらず、わざわざ通路を照らすための灯りを作るのは不自然だ。
また、道中で他の低級アンデッドに出くわさないことも気になった。
知性のあるアンデッドは、眷属の低級アンデッドを大量に作ってその軍勢を率いることが多い。
特にこういったダンジョンに住み着いている者は、大抵の場合侵入者に対処させるための眷属を各部屋や通路に配置しているものだ。
だがこのダンジョンにはごく小型のモンスターやスライムがいる程度で、アンデッドが全く見当たらないのだ。
教会の人間であれば誰でも、本当にアンデッドがいるのかと怪しむだろう。
だがグランが本当の事を言っていたのかはどうかは、これから分かることだ。
万が一自分を騙していたことが分かった時には、この男を拘束してアレクセイに報告する必要がある。
その時に備えて、エレナはグランからも目を離さないようにして探索を続けた。
どんどん奥へと進んでいくと、ある場所でグランが立ち止まり前方を指差す。
その先にはどこか広い空間に繋がっているらしい入り口から、暗い通路に明かりが差し込んでいるのが見えた。
入り口の陰に隠れて中の様子を伺うと、その空間の構造が把握できた。
非常に広いドーム型の空間で、奥行きだけなら言えば大聖堂よりも広そうだ。
ドームの頂点にあたる部分の天井には大きく穴が空いており、そこから日光が差し込んでいる。
天井からの日光が当たる範囲の地面にはまばらに樹が生えており、まるで屋外の森が一部移植されているようだった。
「見えるか?あの大きな木の近くに立ってる奴だ」
その中を顎でしゃくって示しながら、グランが小声で言う。
見ると一人小柄な少年が、空間内に生えている樹の根本を見下ろすようにして立っているのが見えた。
どうやら樹の根元に誰かが寄りかかるようにして座っているようで、その人物と何かしら話しているようだ。
少年の顔は右後ろから覗ける程度には見えたが、座っている方の人間は少年の体に隠れて顔が確認できなかった。
ここから見た限りでは、少年は概ねごく普通の十代に見える。
ただしその右腕だけは、グランに聞いていた通りに人間のものではないということが遠目からも明らかだ。
普通の人間のものと比べて明らかに大きく黒い体毛に覆われており、手の先には長い爪が生えている。
まるで大きな熊の腕を無理やり肩に縫い付けたような異様な姿だった。
しかし異形の右腕よりも、もっと別のことがエレナの頭の中を占めていた。
(似ている、あの子に……)
我を忘れてぼうっと少年の顔を眺めてしまったが、グランが怪訝そうな表情になったことに気づいて慌てて言葉を返す。
「あの少年、ですか?」
「そうだ。あのガキのせいで、俺の右手は……」
グランが歯ぎしりをしながら、苦々しげに言う。
「右腕の形を見る限りでは、確かにただの人間ではないようですね」
「言っただろ、ありゃバケモンだ」
「もう一人いるようですが、仲間がいるのですか?」
「いや、知らねぇな。誰か最近迷い込んだやつでもいるんじゃねぇのか?」
そこでエレナは、いつ襲撃をかけるべきか考える。
グランはただの一般人ではないかと言ったが、その線は薄いだろう。
メディス家の私有地内に無断で踏み込むようなリスクをおかそうとするような者など、そうはいない。
ともあれ、まずは彼がアンデッドであるかどうかを確認するところからだ。
エレナは胸元のロザリオに指先で触れながら目を閉じ、周囲の人間の鼓動を感じられるようになる魔法を行使する。
「傾聴」
周囲から感じる鼓動を順に確かめていく。
自分自身から発せられる鼓動。
すぐ隣から感じるグランの鼓動。
そして遠くから感じる鼓動が一つ。
鼓動が伝わってくる角度からして、樹の下にいる人物のもので間違いなさそうだ。
あの少年からは鼓動が感じられない。
つまり、アンデッドだ。
となるともう一人の人物は生きた人間であり、魅了で操られている可能性が高い。
眷属のアンデッドではなく、こうした魅了された人間がいる場合は少し厄介だ。
魅了で人間を操る場合、少数しか操れず正気に戻るリスクもあるが、低級アンデッドの眷属とは違って知性を残したまま命令することができる。
この場合、操られた人間を殺さずに、操っているアンデッドだけを討伐しなければならない。
であればしばらくは様子を見て、少年の方だけを確実に仕留められる瞬間を待つべきだ。
エレナは目を開き、装備品であるナイフと聖水を確認すべく視線を落とした。
「おい、あれ襲われてねぇか?」
グランの言葉にハッとして二人の方に目をやると、先程まで立っていた少年が樹の下にいた誰かに覆いかぶさっている様子が見えた。
魅了で操った人間であれば、腕力で抑え込んだりして言うことを聞かせる必要は無い。
まさかあれは攫ってきたばかりの人間で、まさに今殺そうとしているところなのか。
もしそうであればもう一刻の猶予もない。
(やむを得ませんね……!)
エレナは戦闘用の装備を取り出しながら、入り口からその空間の中へと飛び込んだ。