勇者の慟哭
『勇者の慟哭』
月明かりが美しい日だった。
全てを映し出すには脆く、けれど何かを見つけるには十分な光は、確かに男の心を打ち砕き、自尊心で固められた男の人生を完膚なきまでに否定した。
それは、天才だった。
天からの才。
神からの贈り物。
男が喉から手が出るほど欲しかったそれを手にした怪物を前にして、男は呆気なく崩れ落ちた。
月明かりが美しい日だった。
男にはそうとしか言えない空だった。
それ以外の言葉を持ち得なかった。
だって、男は天才ではなかったから。
天才は振り向く。男を嘲笑うようなスピードで、月明かりに照らされた横顔をキラキラときらめかせて、残酷なほど無邪気に。
男の全てを踏み躙る一手をただ、その汚れを知らない指先から放って無邪気に、無邪気に、本当に無邪気に。
笑う。
「魔法は願いだよ、少年。」
天才にとって、男は、ただの、少年でしかなかった。
全てを費やしたはずだった。男の人生が全てその場にあったはずだ。このままでは終われない。終わってたまるものか。全てだ。言い訳も逃げ場も捨てた。だって、それを持っていたらきっとこの怪物は俺を殺すだろうから。
全力だ。本気だ。全てを詰め込んだんだ。何年も、何十年も、俺は向き合い続けた。お前が簡単に願いだと宣うその厄介で誰もが憧れる超能力に。
俺は。
「ブルースター」
掠れた言葉が口の中で弾ける。
ただの人間でしかない男は、魔法使いを前にして魔導書を捨てて項垂れた。
全てが無駄だった。
「君は魔法陣を読むことができないんだろう?よくここまで解読したね。」
意味がない。
「魔法…それを言葉に書き起こして記録し、魔力を注ぐことで魔法に似たものを作り出す。うん、私じゃ考えつかないことだ」
そうじゃない。
「魔術、とでも名付けようか。君のそれは素晴らしいよ。この技術によって魔法使いも、人も、等しく奇跡を扱うことができるようになる。」
膝から力が抜ける。
十分だ。十分だった。男は喘いで、顔を覆って、目の前の天才の言葉を遮る。
「魔法使いになれないのなら、意味がない」
天才は、無慈悲だった。
「なれるさ。君がなりたいと思えば」
「ふざけるな」
男は顔をあげて瞳を血走らせる。天才に両手を伸ばして、あなたが、と喉を引き裂く声を出してすがる。
「あなたが俺を魔法使いと認めないじゃないか!俺が認めたって何の意味もない!」
この先の言葉を、嗚呼、賢い男は知っていた。
だって天才はいつだって無慈悲だ。天才は、いつだって、自分の才能には無自覚で、平気でこちらを踏み躙るものだ。
そして、きっと踏み躙っているのは、結局のところ自分を守りたいまた違うどこかの自分だ。
天才が全て悪いのだと決めつけることで、救われようとしている、そんな凡人の醜い足掻きが。
男の全てをぐちゃぐちゃに壊して、バラバラに砕けて、散っていく。
「どうして私の承認が必要なんだい?」
にっこりと笑って、想像通りの言葉を吐いた天才に、男は涙を流しながら月を見上げた。
全てが終わった。
男の記すのも億劫なほど淡々として、微細な変化しかない、そんなどこにでもあるような退屈な人生の物語が、ここで、全て終わった。
「君が君自身を魔法使いだと認められれば、それは君が魔法使いであるのと同義じゃないかい?どうして私の承認が必要なんだ?」
「…あ、なたには、わからないでしょうね」
一生わからないだろう。わからないままでいればいい。天才はそこで笑って、凡人を見下ろしていればいい。
そうすれば、こちらも堂々とお前を馬鹿にしていられるだろうから。羨んで嫉妬して、それでも馬鹿にしていられるだろうから。
だから、どうか。
「ブルースター、孤独な魔法使い。あなたには一生俺の気持ちなどわからない。」
守りたいものも守れない。何かを成し遂げることもできない。
そんな、ただの人間のことを。
あなたは一生理解しない。そして、俺も、あなたのことを理解しない。




