第8話 すれ違い
まず状況を整理しよう。
俺は友人の古賀内陽明、通称ヨーメーから異世界のうわさを聞いた。
それは道路にあるボタンのようなもの、測量鋲とやらを踏むと異世界に行ってしまうという都市伝説の類のもの。
けど伝説は真実だった。
俺はこうして謎の荒廃した世界に飛ばされて途方に暮れていた。
そこにスマホにある、謎の『女神デバイス』なるものでログインボーナスやらスキルやらを発見した。
その時、スタートダッシュログインボーナスとかで、扉が開かれるとかなんちゃらの表示が出た直後、頭上から女の子の悲鳴が聞こえて、見事それに押しつぶされた。
その人物は、なんと俺が今日見た夢の中に出てきた登場人物。イトナ・シラトリ。
幻でも幻覚でもない。
確かにここにいる彼女に、俺は正直混乱した。
さらには、
「リオ! あんたを――殺す!」
そんなことを言われて銃を突き付けられた日にはもう。
正直、平凡ないち高校生の俺にはキャパオーバーな事象が立て続けに起こりすぎている。
「えっと……」
とりあえず両手をホールドアップ。
そしてなんと答えていいか迷っていると、
「てかリオ! 今あたしに何をした!」
「え? 何って……」
イトナが何に怒っているか分からない。
もしかして胸を触ったことを怒っているのか?
いや、なんか銃を持たない左手で下腹部辺りを抑えている。
いや、どこかもう少し下のあたりで、それが何を意味するのか……
「あ――」
まさか。まさかなのか?
あのツルツルした感じ。生暖かさ。重量。それらを総合するとつまり、
「イトナ、もしかして――」
「言うな!」
怒声と共に、左の耳を熱が通過した。
一瞬見えた光の帯のようなもの。
それはつまり、撃たれた?
え? 本気で撃った?
外したけど、いや、外してくれたのか?
けど銃で撃たれるなんて、もっと発砲音とか、あ、いや、レーザー銃だからそんなのしないのか。
というか待て。
撃ったということは、俺が言おうとしていたことは当たっているということ。
それはつまり、イトナのあれが俺の上に……。
ラッキースケベ、ごっちゃんです。
「ニヤニヤするな!」
「わ、悪かったって。わざとじゃないんだ。いきなりで、何も分からなかったし!」
必死に弁明するも、本当にわざとじゃないんだから、それで撃たれても困る。
「うるさいうるさい! あたしはそんなことに怒ってるんじゃない! ……あたしの乙女の純情を『そんなこと』って言うな!」
いや、そう言ったのはお前自身だろ!
とツッコミたかったが、それを言ったら確実に撃たれる気がしてやめた。
「うぅ~絶対許さないんだから」
「いや、本当にゴメンって」
「違うわよ! 今のもそうだけど! 何より許せないのがあんたの裏切りよ!」
「へ?」
言われ、意味が分からなかった。
裏切り?
何を言ってるんだ?
「一度だけ聞くわ。なんであんなことをしたの?」
なんで、と言われても、あんなことの心当たりがないのだから答えようがない。
「答えなさい!」
銃を少し前に動かし、詰め寄ってくるイトナ。
正直、なんのことか皆目見当もつかなかった。
けどこのまま黙っているのも、なんだか違う気がして、少なくとも本当のことは喋ろうと思った。
「ごめん、なんのことか分からないんだ」
けどそれは、まぁ当然というか、イトナの怒りに油を注いだだけだった。
「あんたは! あんなことをして、しらを切るつもり!?」
今にも引き金を引き絞りそうなほど、イトナの手がプルプルと揺れている。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。俺はリオとかじゃない! ただのいち高校生だよ」
「ふざけないで! なにがコーコーセイよ! そんな星、聞いたことないわ。てかあたしのことを知ってるんだから、あんたはリオ以外ないじゃない!」
確かにその通りだった。
俺は彼女のことを知っているけど、俺は彼女の知っている俺じゃない。
そのなんとも説明のしようがない、もやっとした状況を説明する言葉を俺は持たなかった。
けどこのまま何も言わなければ間違いなく頭を打ち抜かれる。
訳の分からない世界で、訳の分からないまま死ぬ。
そんなのはごめんだ。
「いや、だから。俺はその、夢で君に会って。だけど俺はそのリオじゃなくて! 別人なんだよ!」
我ながらへたくそな弁明に、内心呆れる。
けど本当に説明しようがない。
「……別人のわけ、ないじゃない。その顔、その声……間違うわけが……」
くぅ、そんな言葉、もっと違うシチュエーションで聞きたかった!
けどちゃかしている場合じゃない。
イトナは激昂しながらも、その瞳から一筋の涙が流れるのを見たからだ。
その時、俺は思った。
彼女の正体が何かは、もうこの際どうでもいい。
けど、今のこの彼女の感情に触れて、あぁ、本当に夢の中の彼が好きだったんだな、と思う。
俺と名前も顔も似ている。でも違う人物。
俺の夢の中だけで存在していた人物。
けどもし、俺が彼と一緒なら。
彼がここにいて、もし俺に言葉をかけるなら、それはもうこの言葉しかないだろう。
「為せば成る、か」
夢の中で、俺が言っていた言葉。
何もしなければ、このまま俺はイトナに殺される。
けど、それはイトナの本当の意味でためになることなのか。
俺は死にたくない。
それ以上に、彼女の悲しんでいる姿を見るのは嫌だった。
あるいは本当に、俺の中にリオの魂が宿ったのかもしれない。
そして、何気なくつぶやいたその言葉に、イトナは反応した。
「え……」
「イトナ」
「なに……よ」
涙でぐしゃぐしゃになった顔を袖で拭うイトナに、俺は優しく語り掛ける。
紛れもない、俺の中の真実を。
「俺はリオじゃない。いや、凛雄だけど、君の知っているリオじゃない。俺は日本という国で学校に通ってる高杉凛雄だ。君のことは、知っている。けどそれは夢の中だ。夢で、俺は君と出会った。その時、俺はリオだった。だけど夢から覚めれば俺は高杉凛雄でしかなくって、だから俺は君とは直接会ったことがない。ウソみたいな変な話だけど、これが俺の知ってる真実だ」
「…………」
イトナの動きが止まった。
燃えるような敵意は鳴りをひそめ、ふっと息を吐き出すと、ついには銃を降ろしてくれた。
ほっ……助かった。
「それが、真実だって?」
「ああ、そうなんだ!」
分かってもらえた喜びと、命が助かった嬉しさに安堵した。
――それが間違いだった。
「ふざけないで!」
勢いよく再び銃を振り上げるイトナ。
その顔には烈火のごとく怒りの表情がありありと浮かんでいる。
「ふ、ふざけてなんか……」
「そんな嘘、信じられるわけないでしょ!」
「う、嘘じゃない!」
「嘘っ!」
嘘じゃないって言ってウソって返されるとかひどくない?
「あたしは、本当のことを知りたかった……。リオが裏切ったとしても、そこに意味があるのならあたしはそれでよかった」
イトナは悲しみの表情を見せる。
その様子に同情を呼ぶような何かがあって、俺の心はひどく痛む。
「もう分からない。あんたが、こんな訳の分からないやつだったなんて……もういい。もういいよ」
けど、首を振って嘆くイトナに、俺は少しカチンときた。
分からないから思考を停止する。
それはなんの解決にもならない。
為さねば成らぬのだ。
イトナがそんな諦めが早く、情けない人だとは逆に思わなかった。
夢の中では、もっと前向きで活力にあふれて、それこそリオが好きなように、どこか惹かれるような人物だったのに。
「もっと考えてくれ。リオと俺は違うんだ。それを分かってくれよ!」
「もういい。あんたを殺して、あたしも死ぬ……それで、おしまいにしよう」
イトナは悲しく笑い、銃口を俺の頭部に狙いをつけなおす。
死ぬ。
殺される。
その圧倒的な恐怖。
それを、怒りが吹き飛ばした。
「この、分からず屋!」
走る。
銃を突きつける相手にそれは自殺行為だと分かる。
けど黙ってられなかった。
訳の分からない誤解のまま殺されるのも、イトナが死ぬのも、理不尽すぎて理性が受け付けない。
だから死の恐怖より怒りの方が勝った。
その時は全く怖くなんてなかった。
「リオ……」
イトナの眼が大きく見開かれる。
驚いた様子の彼女は一瞬、硬直し、そして――