第37話 接近
『護道』という武術があるとテレビで知った。
いや、武術と呼んでいいものなのか、護身術とも少し違う気がする。
要は、自分だけでなく相手も傷つけない武道というものだ。
それが何の役に立つのかというと、たとえばハンディのある人への補助や介護に役立つそうだ。
相手は意図せずこちらを傷つけてしまうことに対し、その攻撃をいなして相手を落ち着かせるということが、この武術の根源にあるという。
正直、その時は「ふーん」くらいにしか思わなかった。
だって漫画の中では戦って相手を傷つけて勝つわけで、ボクシングみたいなスポーツだって、自分も相手も傷つけて勝つことがベースにある。
だからこそ、そんなものがあるのは理解して、それでいて自分の人生には役に立たない。
そう思っていた。
――が、
「習っときゃ、よかったかな」
この状況に陥ってつくづく思う。
自分はすべてにおいて遅い。後手だ。
状況が煮詰まって初めて、その重要性に気づき、対応し始めた時にはすでに手遅れ。
そう、この状況。
落ち着かせなければならないユノに対し、俺は暴力を振るおうとか露とも思っていない。
かといって殺されるのも御免だ。
死ぬのが嫌、というのもある。
けど、ユノが俺を、誰かを殺すことによって、きっとひどく傷つくだろう。
それがとても許せない。
だからこそ“自分も傷つけず、相手も傷つけない”という護道が。
今この場所において何にもましてほしいスキルだった。
「リオさぁん。いつまで逃げるんですかー?」
若干間の抜けた、ユノの声が響く。
「早くこっち来てくださいよぉ。ぎゅうっと抱きしめてあげますから」
そりゃ素晴らしい。
けどそれは死の抱擁。
さすがにそこに飛び込むつもりはない。
とはいえこのままだと本当に何もできないまま終わる。
ユノは先ほどの場所から一歩も――宙に浮いているのを一歩と呼ぶべきかだが――動いていない。
対するこちらは、近づこうにも例の魔法の影響範囲があり、かつユノが遊び半分のように飛ばしてくる波動の回避でどうしようもない。
一度、イトナと挟み込むように近づこうとしてみたけど、ユノの魔力の波動は2方向にも容赦なく襲ってきて、むなしく引き下がった。
あるいはもう。
心を決めろ、ということなのかもしれない。
2つ。
2つの無理を、俺はしようとしている。
ふぅ。
「うふふ、もう降参ですかー?」
空を見て、ため息をついたところをユノにそう取られた。
本当、降参したい気分も大きい。
思えばこの世界は俺とは何も関係がなくて、ユノも出会ってほんの1日足らずのほぼ他人。
この世界が、ユノがどうなっても、俺自身の人生にそこまで深くかかわるものではないことは理解している。
けど。
それでも。
『だからお前の願いだよ。悪い政府を倒す正義のヒーロー、自分を犠牲にヒロインを守る英雄ってやつなりたいんだろうよ。お前好きだろ、前時代の男らしさみたいなやつ』
そういう、ことなんだな。
さすが親友。俺のことをよく分かってる。
ここで退いたら、ここで逃げ出したら、ここで後ろを向いたら。
あの夢の中に出てきた、ちょっとでも格好いいと思ってしまった、自分によく似た人に追いつけなくなる。
二度と、女の子を好きだと思っちゃいけない。そんな気がする。
だから――
「あんた!」
イトナが目ざとく見つけたらしい。
俺がポケットから出したのは、剥きだしのナイフ。
倒れた村の人からちょっと無断で借りた代物で、そこまで切れ味が良さそうには見えない。
「あれ、なんですかー、それ? ナイフですか? もしかしてそれで、私を? うふふ、やっぱりリオさんもだ。いざとなったら私を傷つける。そうやって自分を守ろうとする。本当に、ひどい人ですね。私のことを知ったような口を聞いて。それで何をするかと思えば。結局他の人と一緒」
「違う!」
俺は叫ぶ。
そうじゃない。
そんなこと、考えはしたけど実行に移そうだなんて思いもよらなかった。
だから俺がこれを使うのは1つでしかない。
「これはユノ、君には使わない」
「じゃあどうするんです? ま、いいですけど。どのみちそんなちっちゃなものを持っても、リオさんは私に近づけない。無理なんですよ。どうしても」
「それでも、これはユノ。君を救う鍵だ」
歩き出す。
ユノの方向へ。
「リオ、やめて!」
イトナがこちらに駆けだそうとするが、ユノから向けられた波動で一時距離を取ることになった。
その間にも、俺とユノの距離は縮まる。
次第に空気がよどんでくるように感じる。
魔力の風。
この世界に来た時、ぴょん吉はそんなことを言っていた。
もしそれが本当にあるなら、これほどまでに濃厚で圧縮されたそれはないだろう。
「気になりますね。いったい何するつもりです? そんなそれともなんですか? 自分で自分を殺す。そう言いたいんです?」
「ああ、そうだ」
答え、俺はそのナイフを自分の左腕に突き立てた。
「っ!」
瞬間、激痛が走る。
ちっちゃくても、切れ味が悪くても、ナイフはナイフ。
人の皮膚を貫通するのはたやすい。
ナイフを引き抜く。
「ぐっ……」
「な、何を、してるんです。自分で、自分の腕に……」
ユノがひるんだように、一歩下がる。
その間にも、俺の腕からはどくどくと血が流れて――だがすぐに止まった。
傷口が、消えたのだ。
いや、治った。
ユノの魔法のおかげで、傷口は瞬時にふさがれる。
だがそれはユノの力が及ぶエリア内。
治った後は、すぐに細胞の過剰成長が始まる。
だからもう一度刺す。
傷口はすぐに癒えるが、刺した時の痛みは消えない。
それもまた消えれば再び刺す。その繰り返し。
「ば、バカなことをやらないでください! 一体、何を……」
「バカなことじゃないさ」
そう。自傷行為なんてバカなことの極みの1つ。
だけどこの場、このタイミングにおいては、有効な手段だというのだから。
だって――
「だって、ほら。ここまで近づけた」
「あ……」
びくつくユノの顔。
それが手の伸ばせる距離にある。
俺も無駄に自傷行為を繰り返していたわけではない。
刺して、癒えてを繰り返すたびに、足は動いていた。
ユノとの距離を縮める運動をしていた。
ユノがそれに気づかなかったのは、俺の突然の行為に動転していたからだろう。
ま、そりゃそうだ。
いきなりこんなことをする人間が目の前にいたら。
それに刺すときの痛みは本物なのだ。
いつの間にか、歯を食いしばりすぎて、唇を噛み切っていたようで口に血の味がする。
傷はすぐに癒えて消えるが、流れた血は消えない。
口から血を流し、左手は真っ赤。
はっ、満身創痍だな、俺。何やってんだか。
けど、そのおかげでここまで距離を詰めることができた。
そして彼女と真正面から向かって話せる時間ができた。
とりあえず1つの無理は突破した。
そしてもう1つ。
けど、やっぱりこの土壇場に来て、さ。
なんというか腰が引けるというか。
ええい、とりあえず口を開け。
「人を殺すとか皆殺しにするとか、そんなこと、自分を壊すような悲しいことを言わないでくれ」
「なんですか、お説教ですか……」
ユノが警戒するような顔でこちらを見てくる。
問答無用で魔力を叩き込まれたら終わりだったけど、話を聞いてくれるならまだ救いがある。
「少なくとも、俺は救われた。ユノの力に。あの時、瀕死の俺はユノに助けられたんだよ」
「それは……だからなんですか。それは私じゃなくてもよかったってことですよね。必要なのは回復魔法。それさえあれば、私は要らない子ですよね」
これじゃあだめか。
ユノの心の殻は、果てしなく分厚い。
ならもうそれしかないか。
ユノ自身に、その存在意義を、生きる意味を持たせる言葉。
「あんま恥ずかしいから言いたくなかったけど――」
初めて会った時からそうだった。
まさかの殴られた時からそうだった。
膝まくらで目覚めた時からそうだった。
街で偶然にも再会した時からそうだった。
だからこそ、彼女の手伝いをしたし、奪還するというシーラさんの案にも乗った。
これはもう、言葉にするのも野暮というか、なんだかそれだけで空虚なものになってしまう。
けど今はそれが必要だ。
言葉が、彼女には圧倒的に言葉が足りない。
彼女の孤独を癒すにはこれしかないのなら、俺も少しは勇気を振り絞って見せようと思う。
俺に似た夢の中の住人は、その言葉を口に出さずに宇宙へ散った。
だからこの機会を逃すと、二度と言えない、あるいは二度と会えなくなるかもしれない。
そんなことは、俺にはもう無理だ。
俺の気持ちをごまかし、逃げて生きていくには、辛すぎる一生。
だからもう覚悟も何もない。
ただ言うだけ。
言って、ダメなら潔く散ろう。
それでも、ユノを救える。
そう思ったから――
「一目惚れだよ。ユノ、君が好きだ」




