第33話 魔力の壁
「2人でこそこそ話をして、何をたくらんでるんです?」
ユノがのんびりした様子で首をかしげる。
「もしかして、私をどうかしようとしてます?」
「どうかしようじゃない。頼むから元に戻ってくれ」
「元も何も。私は私ですよ。ここでこうしているのも私。村で虐められるのも私。街でリオさんとお話しするのも私。全部私。私だと分かったうえで、こうしているんですよ」
「違う。ユノはそうじゃない。ユノは――」
「あなたになにがわかる!!」
激しい怒声。
鬼気迫る表情に、思わずたじろいでしまう。
いや、気持ちを強く持つんだ。
今ユノは少し心が疲れている。
だからこうして他人を拒絶し、他人に害を与えようとしている。
「リオ。もう無駄よ。やるしかない」
「……分かった」
分かりたくなかった。
けど、分かるしかないのも確か。
「ああ、やっぱりリオさんも“そう”なんですね。私をよってたかって虐めて……殺そうとしてる」
「違う。違うけど、もうあとは、行動で示すしかない」
今のユノはちょっと参ってしまっているだけだ。
だから落ち着けば、きっと前みたいなユノに戻る。
そう信じて。
「ユノ。君を元に戻す」
「お断り――」
視界がぶれる。
ユノを目の前に捉えていた視界から、ユノの背中から捉える視界へ。
瞬間移動。
「――です」
言い切ったユノ。
だがその視界に俺はいず、それを認識するまで数秒はかかる。
だからその数秒の間にユノを押さえつければ俺たちの勝ちだ。
そのままユノを村の外まで連れていく。
正直、その後にシーラさんとどういうやり取りが行われるか。
あまり想像したくなかったけど、今はそれ以前の話だ。
だからこれで一気に終わらせる。
だが――
違和感。
体を押しとどめる何かがユノの方から流れてくる。
それは分厚いカーテンのような、薄紫に輝く透明な壁。柔らかく、硬く拒絶を示すような何か。
熱い。いや、冷たい。温度がない。分からない。
だがその何かは、確実に俺の体を侵食してくる。
「ぐっ!」
耐えがたい苦痛に悶絶した。
すると、声が届いたらしくユノが振り返る。
「あれ、リオさん。どうしたんですか? いきなり、そんなところにいて」
虫をみるような視線。
手の甲。
その皮膚に異変が起きていた。
皮膚がぼこぼこと沸騰したように泡立っていく。
それは手だけじゃなく、腕、そして肩まで広がっていく。
何が起きているのか分からない。
いや、知っている。
実際にどうなるかは未知だったけど、この現象が何に起因するか。
それはついさっき、知識として仕入れた。
「細胞が……増殖してる!?」
「私の魔力。そんな風になるんですね。いいんですか? 死んじゃいますよ?」
ユノが俺の方に手をかざす。
何かとてつもなく嫌な予感がして、俺はとっさに飛びずさった。
さらにバックステップで距離を取る。
ユノから10メートル。
そこでようやく俺の体を包んだ何かの気配が消え、
「……収まった」
腕を侵食していた細胞の増殖が収まったようだ。
ただ起きた現象としては目を見張るものだ。
ここ数日、地面を駆けずり回り、先ほどまでひたすらに逃走と迎撃で無数のこまかな傷があった両腕。
それが今や、剥いたゆで卵のように、ツルツルとした様子で傷1つない。
治癒の力によって“治った”ということか。
ここまで劇的な変化は、傷を負っていた状態だったからこうなっただけで、この状態からさらに傷を塞ごうという力が働くとなると……なるほど、ああなるわけだ。
あまりパッとしなかった事象を身をもって体験して理解できた。
とはいえ、これはどうしよう。
ユノの傍に行くだけで、この現象は始まるということだ。
しかもユノの前というわけじゃなく、360度を覆う周囲。
つまり、ユノに触ろうと思ったら、確実にその影響圏内に入るということで。
まいったな、こりゃ。
「あらあら、いいんですか。私をどうにかしたいんでしょう? なのに、そんなに離れちゃって?」
「これでも俺は女性には優しく接したいと思ってるんだ。そんないきなり行けないって」
軽口を叩いたつもりだけど、成功したかは分からない。
その証拠にユノは怪しく笑って、
「そうですか。ならこちらから行きますよ」
ユノの体に異変が起きた。
いや、体といったら語弊がある。
ユノ自体というべきか。
ユノの体がゆっくりと動く。上へ。
地球に生息する人類としてはあるまじき行動。
その足は地面から離れ、完全に重力のくびきから解放されたユノは、
「浮いてる……?」
「はい、それにこんなことも出来ちゃうんです」
ユノの右手がすっとこちらに向けられる。
嫌な、予感。
とっさに起き上がると、そのまま走り出す。横へ。
そこに向かって何か――まさに見えない何か、だ――が通り過ぎた。
薄紫色の、空間を歪める何か。
あれは力だ。
ユノの、治療の魔法の根本の力。魔力の球。
それを塊にして打ち出してきた。
近寄っただけでああも皮膚がえらいことになったんだ。
あんなものが直撃したら……それだけでゾッとする。
「あぁ、避けないでくださいよぉ」
怪しく笑みを浮かべるユノ。
あぁ、くそ。可愛い顔してむごいことを言う!
ユノが手を動かす。
俺の進行方向に。
そのたびに薄紫の何かが射出され、俺のそばを駆け抜けていく。
やばいやばいやばいやばい。
ひたすら走りながら、打開策を考える。
いや、こんな状況で思いつくわけないんだけど!
「リオ、こっち!」
と、呼ばれた方向を見ると、イトナが物陰に隠れてこちらを手招きしているのが見えた。
「っ!」
咄嗟の判断で急に方向を変える。
イトナとは別の方向。ユノの方へ向かって、だ。
「あぁ、死にに来てくれたんですね」
ユノが笑う。
そして魔力の球を放ってくる。
怖い。
あれに当たれば死ぬということ。
けど、行ける。
そんな気がする。
為せば成る。
放たれた魔力の球との距離が加速度的に近づく中、俺はステップを踏んで振り返った。
ユノと、死の魔法に背を向けて――下手をすれば死ぬ、そんなひりひりする圧迫感を背中に受ける。
「っ!」
だが、瞬間にしてその圧迫感は消えた。
むしろ、場面が変わった。
イトナたちを視界に収める方向から、イトナたちを横に置く方向へ。
「はっ……はっ……はっ……危な……」
瞬間移動。
それでイトナたちの横に跳んだのだ。
動機が激しい。
今も背中がひりつくような気がする。
間一髪だった。
イトナたちの方へ走れば、その背後を魔力の球が追ってくる。
そうなった時にイトナたちが危険になる。
そう考えての行動だったが、なんとかなったみたいだ。
「馬鹿! 死にたいの!? あんな無茶して!」
「瞬間移動か、便利だな。まぁやり方はずさんだけど」
ボロカスに言われた。
くそ、そんな責めなくてもいいじゃないか。
「ったく。自信満々に出ていったと思ったらこれよ」
「ご、ごめん……」
まさしくその通りなので、ぐぅの音もでない。
「けど、あの撃ちだすのは卑怯ね。あれじゃ近づけない」
「しかも近づいたらそれだけでアウトだろ? どうすりゃいいんだよ」
イトナとぴょん吉も手詰まりのようだった。
ただ、1つだけ。
逃げながら思ったことがある。
ユノのあの防壁。
それを突破して彼女に近づく方法。
「1つだけやり方がある」
けどそれは犠牲を伴うひどい方法だ。
本当に冴えないやり方。
「なに? 何かあるの?」
「イトナ、お前のブラスターで……俺を撃ってくれ」