第七話『助走』
『神威を英雄から取り戻す……か』
「そうだ。僕の力は『英雄』たちに奪われた……いや、持ち逃げされたというほうが正しいのか。ともかく、僕への信仰を取り戻すにはそれしか手段がない」
カヴォイの立てた第一目標を聞き、魔王はその言葉を咀嚼する。それにカヴォイは深く頷いた。
『――しかし、少し前から人間どもが手ごわくなったと思ったら。……全て、貴様の遊戯の結果だとはな』
「……それに関しては、心から後悔している」
得心したような魔王の言葉に、カヴォイは深く頭を下げる。それに関しては、本当に弁明のしようがなかった。
『佳い。……それなりには、楽しめる遊戯であったからな』
しかし、そう返す魔王は意外にも穏やかだった。己の支配が終わる原因、ましてや命を落とした理由を作ったのは自分だと、そう白状しているようなものなのに。
『強さが行き着く先は、安泰が行き着く先は、退屈だ。……あの人間たちとの戯れは、なかなかに心躍るものだった。……誰も抗わぬ絶対の治世よりも、ずっとな』
「……魔族は、武力至上主義だから」
『然り。それは心躍る闘争を生むものであるが、最強が現れてしまえばそれがもたらすのは畏怖と停滞よ。……我らは力をすべてとする。……故に、力において賢すぎたのだ』
神妙な魔王の言葉に、カヴォイはただ無言で頷きを返す。……魔族については、王都の図書館で少し情報を補強してきた。魔族は強いものが正義であり、その強さを後代へと伝えることが正義。そしてそれの究極とされた、当代の魔王は――
『誰も彼も、愚かになれぬ。……力の頂点を見ようと、そう驕る者すらいなかったのだからな』
――――五百年、最強の座を誰にも譲り渡していなかった。
「……あなたからしたら、退屈な毎日だったろうな」
『当然だ。挑戦者は来ず、来るのは支持を求める部下と戦況を告げる伝令のみ。……気が付けば、凄まじい時間がたっておったわ』
妻らなかたっ当時を思い出すかのように、呆れたように語る魔王。――その姿に、カヴォイはひそかに戦慄する。
――この世界全ての造物主たるカヴォイは知っている。確かに魔族は人族に比べて丈夫な種族であるが、五百年は長すぎることを。増して、その間のほとんどを最強として過ごしたなど、ありえるはずがないことを。
――そんな状況で、老い切っていたであろう体で、『英雄』たちと対等に渡り合って見せた――?
「…………何が起きたら、そんなこと」
ありえないだろう、と本能は絶叫している。そんなこと、己の定めた摂理に反している。……神の存在も神威も知らずして、ただ生きただけで、この男は。
『……何がも何もない。我が生まれた。最強になった。……ならば、どういう手を打とうと器を強くしようと錯誤するだけのことであろうが』
――神が定めた摂理に抗い、神のみが許される不死の権能にその手をかけたとでも、そう言うのか。
「…………期待以上だよ、あなたは」
『当然だろう。我を知らぬものが我を知った風に想像することなど叶わぬ。最強を知らぬものに、我は決して語りえぬのだから』
こぼした言葉に、魔王は不遜に返す。その傲慢な思い上がりは、彼が告げる時だけ純然たる現実としてこの世に存在するものなのだと、粟立つカヴォイの本能がそう告げていた。
『……して、最強たる我を誘ったのだろう?……『英雄』に、報いるために。最強の使い道、貴様はしっかりと見据えているのであろうな』
脱線してしまった話を本筋に戻さんと、魔王がそう問いかける。それに対して、カヴォイは待ってましたと言わんばかりに首を縦に振った。
「それはもちろん。……その前に、一つ確認したいことがある」
『聞こう。それも、貴様の計画に関わるのだろう?』
「そりゃな。…………簡単な予想でいい。『魔王』という絶対の存在が欠けた魔族世界は、今どうなっている?」
問う。もっとも、簡単な予想はついていたが。ずっと最強であり続け、たった一人で国家の安泰を作り出して見せた最強たる存在。それを失えば、もちろん。
『……戦乱の渦の真っ最中であろうな。『最強』の座を求めて、全世界の魔族が戦いの場に身を投じているだろうよ』
「…………だろうな。……期待通りだ」
予想通りの答えに、カヴォイは満足気に拳を握る。老いてなお『英雄』と対等に渡り合う魔王、そして戦乱に荒れる魔族世界。……カヴォイたちの始まりに、ちょうどいい環境だ。
『……まあ、聡い貴様ならそこまである程度察してはいたのだろうな。……それで、その環境がどう貴様の計画に関わるのだ』
「簡単な話だよ。…………俺たちが、もう一度『最強』の座に君臨する」
自信満々に、カヴォイはそう言い切る。魔王が息を呑む気配が、今までで一番はっきりと伝わってきた。
「僕の権能は、魂を保持するだけじゃなくてほかの器に乗せ換えることもできる。それを使って、あなたをもう一度現世によみがえらせるんだ。……そして、もう一度魔族たちを束ねるんだ。老いという足枷からも解放された、真の『最強』として」
畳みかけるように、カヴォイは続ける。これこそが、カヴォイの考える逆襲への第一歩だった。
「『英雄』たちの活躍で、人間の結束は強い。それなら僕たちも結束するしかないんだ。あっちが信頼と栄光で力なき民衆を束ねるなら、僕たちは圧倒的な力で力あるものを束ねる。…………そうして、今度こそ俺たちが勝つ」
これがおとぎ話なら、魔王は滅び、人間は団結し、この先もその結束とともに世界は安穏に包まれてハッピーエンドとなるのが一番相応しいのだろう。でも、現実はそんな都合よく幕が引かれない。その先に、終わった魔王の、散り散りになった魔族の、新しい始まりの物語があってもいい。今度こそと、吠えたてる物語があっていい。
……そして、その物語の主役はカヴォイたちだ。
「……全部、ここからだ。あなたをよみがえらせて、あなたと僕でもう一度魔族の世界を駆けあがる。……そして、もう一度世界を揺るがそう。退屈なハッピーエンドに、殴り込みにいこう」
ふと、黒乃の姿が頭によぎった。安穏を守るため、力なきものの盾になるべく今も動く少年の姿が、浮かぶ。……その守るべきものを傷つけようとすると思うと、胸は痛むけど。
「――報いよう。安易なハッピーエンドで物語を終わらせた、人間たちに」
これが、カヴォイの選んだ道だった。
強く、虚空に手を伸ばす。存在しない魔王の手を取ろうと、必死に。新しい物語の一ページ目を刻むのだと吠えながら。
「…………こんなところで、あなたは終わるべきじゃない」
新しい『最強』の物語を作ろうと、魔王に向かって手を伸ばした。
『もう一度、最強になる…………か』
神妙な空気が流れ、魔王の言葉が脳裏に響く。その後、沈黙が落ちた。一瞬にも永遠にも感じられるそれが弾ける時、魔王は呵々大笑して――
『それは、至極愉快な旅路であろうな』
そう、告げた。
『いいだろう、貴様の書いた物語に乗ってやる。……が、一つ条件がある』
「………条件?」
いきなり飛び出した要求に、カヴォイは訝しげな顔をした。
『なに、そう構えるな。……いずれ必要になるものだ。それを、貴様への試金石として利用させてもらう。……最強たる我の隣に立つに値するかの、な』
「…………試金石、か」
『そうだ。……弱き者を隣に置く趣味はないのでな』
少し面白がるように、魔王は言う。そして、一息の間の後に――
『…………この城の裏手に、大墳墓がある。それを踏破してみせろ。……その勇を以て、貴様の思いの証とする』
そう告げて、にやりと笑ったのだった。
コメントを制限なしに変更しました。このシーンが好きとかここが分からないとか、些細なことでも感想を頂けるととても嬉しいです。この一時間後に投稿されるもう一作の方もどうぞよろしく。
――では、また明日の午後五時に!