第五話『決断』
――その言葉の意味を飲み込むのに、数秒かかった。
「王都騎士団に……?」
「そうだ。僕からの推薦で、君を王都騎士団に迎え入れたい」
戸惑うカヴォイに、大真面目な顔で黒乃は頷く。
「魔王との戦いは終結したけど、魔族がいなくなったわけじゃない。こういう魔物も最近増えつつあるしね。そんな僕たちの前に、君が現れた。……力を借りたいと、そう思うのは自然だろ?」
「それは……そうかも、しれないが」
完全に予想外だったと、そういわざるを得ない。まさかこんなにも早く『英雄』と出会い、そして彼らが主導する組織への勧誘を受ける。こんな都合のいい流れがあるなどと、想像する方が馬鹿げている。
「……世界は今、明確に変わり始めてる。ボスたちの力で、今まであった流れから抜け出す時が来てるんだ。そんな時に、万に一つでも躓くわけにはいかない」
その眼光に、息を吞む。ごくりとのどが鳴り、心臓の奥がズクリと突き抜かれた気がした。
「俺らが失敗したら、きっともう次はない。世界は変われない。……今変えるしか、ないんだ」
――彼らは、本気でこの世界を覆そうとしている。神への信仰を引きはがしただけでなく、今までの世界の在り方を根底から変えようとしている。……途轍もなく壮大で、途轍もなく荒唐無稽な考えだった。……でも、どうしてだろうか。
「……諦めるって選択肢は、ないんだろうな」
ふと、つぶやきが口からこぼれた。
「ないさ。……仮に世界のだれもが足を止めても、ボスだけはきっと止まらない。ボスが止まらないなら、俺たちも止まるわけにはいかないんだよ。……それが、選んだ俺らの責任だ」
表情を引き締めたまま、黒乃はカヴォイのつぶやきに返答する。……あるいは、それは自分へ言い聞かせるための言葉だったのかもしれない。
――言葉を紡ぐその顔は、あまりにも痛々しく見えたから。
「……何があっても、か?」
「何があっても、だ。……『俺たち』だけは、ボスのそばにいなきゃいけない。ボスがすべてを背負って出した決定を、俺らが蔑ろになんてできるかよ」
再度問いを重ねても、黒乃の意志は揺らがない。それはまるで鋼のようで、すでに完成されきっている硬い意志だった。
「……慕っているんだな、そのボスのことを」
「……そりゃな。理想を掲げて、どこまでも歩みを止めることはない、俺と違ってほんとに主人公みたいな人だよ。あの人についていけるなら、俺は脇役で満足さ」
そう言って、ふっと笑みをこぼす。それがどんな意味を持っているのか、カヴォイにはわからなかった。……ただ、戸惑っていた。
「……そういえば、君は少しボスに似てるな。……諦めが悪いとことか、少し不愛想なとことか」
ふとこちらをのぞき込み、黒乃はそうこぼした。少し遠くを見つめているようで、その眼はカヴォイを微妙に追い越している。……きっと、その先にいるボスを見つめているのだろう。
「……そんな偉大な人物と比較されるのは、気が引けるな」
「引け目を感じることはないさ。君の意志の強さは、間違いなく俺にないものだ。俺は……多分一生、そうなることはできないと思うし」
優しくこちらを見つめながら、黒乃は言う。その瞳は揺らいでいて、どこか痛みをこらえているようで。……底知れない深さを、見た気がした。
「黒乃。お前は、今までに何を……」
「……話がそれたね。騎士団の話だった。……どうだい?見たところ君は王都の人間ではなさそうだし、身に着けているものを見れば生活に困っているのもわかる。……騎士団なら、君の生活を保障してあげられるよ」
投げかけようとした問いは遮られ、話は強引に本筋に戻される。それは、あまりに予想外な展開。いずれ見返す存在の傘下に一時的にとはいえ入ることになるなど、ありえない選択肢だ。
…………そう、考えていたはずなのだが。
「……それは、悪くない話だな」
……どうして、カヴォイはこんなにも迷っているのだ。
「うん。それに、こっちにとっても君の存在は欲しいんだ。……君なら……カヴォイなら、ボスのことを分かってあげられるかも、しれないからさ」
「……ボスの、ことを?」
分かってあげる、その表現がどうにも引っかかる。まるで、黒乃では分かってあげることができないかのような。どこか、遠くの人物を語っているような、そんな違和感。同じ世界から転生し、いくつもの難局を共に乗り越えてきた人物を語るには、あまりに――
「ああ。……ボスを見てると、眩しくてさ。背中を預けあうことはできても、目線を合わせることはできないよ。……そんなことをしたら、目が潰れる」
黒乃の表情は痛々しい。まるで傷口に触れられているかのように眉間に皴が寄り、奥歯は音がしそうなほどに噛みしめられている。それは、黒乃の歩んできた険しい道を思うには十分すぎて。
――人を超えた力を得ても、坂宮黒乃は人間だった。
「あの人には、理解者が必要なんだ。一人ですべて事足りるスーパーヒーローには、なっちゃいけない。なったら、ダメなんだ。……だから、君がいるんだ。気高い意志を持つ君が。圧倒的な力を持つ怪物に立ち向かい、その意志の力で運命を打破して見せた、君が」
「……僕が」
「そうだ。待遇は僕の名を以て保証するし、騎士団の仕事にだって少しずつ慣れられる環境を作る。……だから、この手を取ってくれないか?」
そう締めくくり、黒乃は右手をこちらに伸ばす。少し手を伸ばしてその手を取れば、それだけでカヴォイは騎士に成れる。……『英雄』に、近づける。……共存の選択肢だって、あるいは。神威を取り戻したうえで彼らと分かり合うことだって、もしかしたら。
いろいろな考えが浮かんでは消える。救われた恩が、新たに生まれた道が、泡のように脳裏に浮かんではすぐに消えていく。あり得る未来が、走馬灯のように流れていく。
――ああ、なぜ世界線観測の力を手放してしまったのか。それがあれば、迷うことなく最善の道を選べたのに。他の道なんて、見なかったことにできたのに。それができないから、不完全な未来しか選べない。一寸先もわからない未来に、手探りで挑むしかない。だから――
「……………………すまない」
――だから、『一番欲しい未来』を、選びに行くしかないのだ。……そして、その未来に『英雄』はいない。
「……僕には、やらなきゃいけないことがある。……そこには、騎士団からじゃ少し遠いんだ」
「……そっか。悪かったな、いきなり無茶な頼みをして。俺が、ボスに並び立てないから――」
「――でも」
顔を曇らせる黒乃。その自戒ともとれる言葉を、カヴォイは遮った。
「もしも、もう一度運命が重なる時があれば。その時、僕たちが同じ方向を向けていたら、その時は、黒乃の力になる。それは、約束する」
――もしも『英雄』たちと分かり合える可能性が生まれたら。……今の最善を軽々と超える『最高の未来』が、カヴォイに浮かんでくることがあれば。
「――その時は、手を取り合おう」
「…………ああ……その時は、背中を預けるよ……‼」
ふっと、黒乃に微笑みかける。うまくできているかは、分からないけれど。カヴォイの心の奥底を、本当の目的を、黒乃は知らないけれど。
――笑い返す黒乃の表情は、とてもとても晴れやかだった。……だから、今はそれでいいのだろう。保険をかけるような、弱腰な選択だったけど。いずれ、傷つけなくてはならない相手かもしれないけど。
――確かに、黒乃は笑っているのだから。
「……それじゃあ、僕はやらなきゃいけないことがあるから」
「……ああ。…………きっと、また会おう」
しばらく笑いあった後、二人は短く言葉を交わす。返事はいらない。『きっと』への答えは、力強く頷きを返すだけでよかった。
――そう遠くない未来、カヴォイはもう一度黒乃と巡り合うだろう。その時、二人が敵対しているのか、手を取り合えるのか、それはわからない。今はただ、カヴォイの望む『最善』を目指して。
――主なき魔王城は、もうすぐそこだ。
ということで、カヴォイの選択はいかがだったでしょうか。皆さんの予想通りでしたでしょうか。いずれ『選ばれなかった選択肢の物語』はつづりたいと考えておりますので、そちらも気長にお待ちください。
――では、また明日の午後五時に!