日本のノブレスオブリージュ
エミの姉ユリも困ったことになっていた。
同棲している男は優しくて心から自分のことを心配してくれるのだが、自分の店を出すためだといって自分のお金を使わない。働き詰めの2人の休みの日のためにと、洒落た分譲賃貸マンションの空きをみつけてすぐに引っ越し、一緒に必要なものを全て新しく買い揃えるのは本当に楽しかった。が、その際の礼金敷金や新しいソファやベッド、ダイニングテーブル冷蔵庫、洗濯機、電子レンジなど高価な家具類と家電に至るまでの支払いの全てを、男はユリにカードを作らせてキャッシングさせて支払わせたのだった。
気がつけばユリには200万円の借金があることになったが、給与の手取りが思ったより少ないので返済を滞らせないためには週3日、勤務後から深夜までガールズバーでアルバイトを始めなければならなかった。
築3年の綺麗な2LDKで景観の良い高級感溢れるスペックの高いマンションは毎月の管理費もそれなりに高いが、それもユリの口座からの引き落としとする契約だ。
同棲している男は半額負担分の家賃も管理費もいつも忘れていたよと謝るばかりで財布に手持ちの数千円を渡すだけで、ユリは次第にお金に困るようになっていた。
もう精神的には素敵な住まいを楽しめるどころではなかった。
実はユリが同棲している先輩男にも悩みがあったが、ユリにはまだ何も知らない。先輩男は職場の仲間から紹介された開業コンサルタントとかいう者に、良い店用物件があればすぐに押さえるから、という理由で生活を切り詰めてやりくりしてきた貯金を全て渡してしまっていて、一応定期的に会ってはいるもののその度に’まだ決め手に欠けるテナントばかりだ‘と言われるばかりでそろそろ不安になっていた。職場の仲間も同様にその開業コンサルタントに数百万を渡しているらしい。受け取りも契約書もない現金手渡しなどWebで調べればすぐに詐欺だとわかるのに、2人ともコンサルタント業の者から見せられた難しい文章を読むのも論理的に話の矛盾を見つけるのも苦手で嫌いだったので、相手の目を見て信用出来るか判断する、ということですんなりノってしまった。
結果的にはいずれ嘆くことになるのは目に見えていたが、ユリはまだ何も知らなかった。
ユリも先輩も何代か経営が続いている有名旅館や老舗料亭に就職したのは、地元で有名ならば従業員への福利厚生や給与の支払いも確かだろうと思ってのことだった。経営者家族が山や土地やビルをいくつも所有している目に見える裕福さから、地元のイベントへの協賛金負担や養護施設への寄付などをするノブレスオブリージュを実践しているのも安心だと思った。
しかし現実は、若いものは薄給で年中ボランティア参加を強要される空気があるため休みもほとんど無い。勤務条件改正案を口に出すだけで、求人すればいくらでも人が来るからリストラだ。
もともと同棲は生活費が安く済むことを期待してのことだったのに、ユリだけは、すぐにでもバイトをしなければならないほどお金に困っている。こんなことになってしまった自分の判断を後悔していたところ、先週からガールズバーの常連客に‘食べるものが美味しい料理屋を持たせてあげたいけど、興味ない?’と何度も言われていることを、日々の生活に余裕のないユリは ‘これは人生逆転のチャンスかもしれない’と灯りにすがるような思いを抱くようになっていた。
深夜に疲れて帰ると今夜も先輩はもう寝ているようで、また妹のエミからはメールが来ていた。高校生は生活費も親もちで勉強さえしていれば良いのだから気楽で羨ましいことだと思う。
今月はまだ上旬なのにユリが自由に使えるお金は2000円くらいだ。2人とも明日の朝も早い。今から先輩を起こして生活費や約束の住居費半分負担額を請求するやり取りをやる気力はなかった。
もう抱き合っても癒しを感じないこの男と離れなければ、という思いが芽生え始め、豪華なマンションに住まう喜びもあまり感じなくなってきていた。
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エミは朝、やっとユリから返信メールが来ていたのに気がついた。
『しばらく帰省する時間が取れないと思う。高校生はとにかく勉強しなさい、あとの長い人生でそんな機会は無くなるんだからね。ものを知らないということは社会に負けることだと、私もやっとわかってきたよ。私からいえるのは、大学もいった方が良かったかもしれないってこと。働かなくて生きていられるなんて幸せなことだよ。今は何も迷わず学生してなさい。年末年始も帰れそうにないと思う。ごめんね。元気でね。』
エミは、とにかくタチバナと話すことを最優先にしようと決断した。




