04
*前半アノイ視点、後半レムニス視点となっています。
アノイの目から見て、それは欲目があるのかもしれないけれども、マルはなかなか可愛いと思う。外見的にはパッとしないが、静かで凛とした佇まいは、自分が育てたのにも関わらず、よくぞここまで成長してくれた、と思うことすらあった。
だから、アノイはマルが可愛くて仕方ない。同胞たちの誰よりも、マルがいとしくてならない。
それはレムニスを少しだけ妬かせたが、レムニスにもマルの可愛さは伝わったらしい。少しの触れ合いですっかりレムニスはマルの父親を気取っている。
幸せだな、と思った。
同時に、恐怖も感じた。
「……アノイ?」
あちこち歩き回るマルは、あまり長く王都に留まらない。むしろ王都には、その仕事のためだけに滞在しているようなもので、マルには「帰る場所」というものがなく、またその概念すら失っているような状態だ。
不安になるのはそのせいだ。
「マル……」
「ん?」
「……あまり、離れてくれるな」
明日にはもう王都を立つというマルを引き留めるように、アノイは外套の端を掴み、引っ張った。
「……わたしがいなくても、レムニスがいるだろう」
「レムとマルは違う」
マルはレムニスではない。レムニスはマルではない。ふたりは、同じような存在であってもまったく同じはない。どちらも、それぞれに、アノイにとっては大切で、失うことなんて考えたくもない。
「必ず、わたしのところに、帰っておいで」
「……なにを言うかと思えば」
苦笑したマルは、本当に小さかったときよりも、感情が表に出るようになった。それでも、わかることは少ない。感じられるその心は、どこか、ぼんやりしている。
レムニスが複雑そうにしていた気持ちは、アノイにもよく感じられたものだった。
「レムニスがいる。だから、アノイはもう寂しくない」
「寂しくない。だが……レムのことと、おまえのことは、違う」
マルは、アノイが産んだわけではないけれども、確かにアノイの子だ。可愛くて仕方ない、小さな子どもだ。
「アノイ。わたしはもう、あなたの庇護に甘んじられる小さな子どもではない。わたしはひとりでもだいじょうぶだ」
長椅子に腰掛けているアノイの視線に合わせるように、マルは膝を折って屈み、アノイを見上げてくる。蒼いのに灰色っぽく見える双眸は、幼い頃から変わらず、どこか不安そうに揺らいでいながらも優しい。
「だいじょうぶだ、アノイ。あなたは、幸せになっていい」
「わたしばかりでは駄目だ」
寂しさを忘れられない。
だから、急な不安が押し寄せると、アノイは耐えられなくなる。
「アノイ、自分を大切にしてくれ」
「している。だからおまえも」
「幾度も言わせるな。わたしは、だいじょうぶなんだ。アノイも……レムニスがいるからだいじょうぶだ」
失えない。失ったら生きられない。
流した涙はレムニスのために、こぼした涙はマルのために、アノイは唇を噛みしめる。
「……レムニスがいとしいなら、わたしのことは考えるな」
「できない」
「できなくても、考えるな。アノイ、忘れているようだが、わたしもあなたと同じ魔導師だ。わかるだろう?」
気持ちは同じなのだと言われても、その寂しさは、忘れられるものではない。耐えられるものではない。
「いなくなるな……っ」
「アノイ」
「わたしは、レムが好きだ。レムがいとしい。レムを失えない。けれど……マルだって、失えない」
可愛い弟子なのだ。誰よりも長く、そばにいた同胞なのだ。いとしい、わが子なのだ。
レムニスを想う気持ちとは別に、確かないとしさが、そこにはある。
「なんだかふたりして……そんなにわたしは頼りないか」
「……ふたり?」
「レムニスも同じようなことを言っていた。アノイも大切だが、わたしのことも大切なのだと。だから必ずここに帰ってくるようにと、レムニスも言った」
はは、とマルが笑った。その笑い方は、どこか途方に暮れていた。
「こんなでも、わたしは魔導師なんだが……そんなに、頼りないか」
「……心配してなにが悪い」
「アノイ。わたしは、前を見て歩いている」
すっとアノイを見つめ直してきたマルは、ただ真っ直ぐな双眸を向けてくる。前を見て歩いているのだと、それは言葉だけではなく態度が示していた。
「わたしはいなくならない。あなたがわたしを愛してくれている。それを裏切るような真似はしない。だから……だいじょうぶなんだ、アノイ」
安心しろ、とマルは言う。不安に思う必要なんてないと言う。
「寂しさを忘れられないのは、わたしも同じなのだとわかって欲しい」
ハッと、した。
アノイが感じている恐怖や不安は、マルも抱えていた。それはアノイばかりではなかった。アノイばかりが抱えていたものではなかった。
「……マル」
どっと込み上げてきたものにアノイはますます目許を潤ませ、僅かに震えながらマルに手を伸ばした。
マルは、ふんわりと笑った。
「ありがとう……母さん」
「う……っ」
母と呼ばれたとき、その感情は爆発して、アノイはマルに飛びついた。
小さな子どもは、大きくなっても小さいままだと思う。
「マル……マル、わたしの子」
可愛くて、いとしくて、切ない。
「ああ、そうだな、母さん」
しがみつくアノイを、マルは優しく抱きしめ返してくれた。
正直、妬ける。
アノイは、中身は実年齢百数十歳であるが、外見は少女だ。
その光景は、年頃の男女が睦み合っているようにしか、見えない。
「……強敵ですねぇ」
こんなところに伏兵がいるとは思っていなかったけれども。
伏兵だと、思う必要も意味もないけれども。
アノイのすべてを理解し、受け入れ、わがものとできるのは自分だけだと思っていたのに、それは早過ぎた思いだったらしい。
それでも。
「それでも……僕も、きみがいとしいと思うのです」
アノイがわが子だと言うたび、錯覚を起こすようになってきた。まるで自分が、マルの本当の父親のような気分になってくるのだ。これがいやではないから、レムニスは苦笑する。
「マル、僕のことも父さんと呼んでくれませんか」
邪魔をしてやるかのように一歩を踏み出し、レムニスは睦み合いの間に入っていく。
「レムニス……だから、わたしとあなたの年齢を考えてくれ。わたしはあなたと二つしか違わない」
「ええ。それでも、僕はアノイさまの夫で、アノイさまがわが子と呼ぶきみの、立派なお父さんですよ」
「屁理屈だ」
「さあマル、父さんですよ。どんと、僕の胸にもいらっしゃい」
「……。いや、わたしはどちらかというと、アノイに抱きつかれているほうなのだが」
困り顔をしたマルに、レムニスは腕を伸ばす。アノイのように抱きしめてくれないなら、こちらから抱きしめるまでだ。
歳が近くとも、アノイがわが子と言うなら、レムニスにとってもマルはわが子である。
「おい……」
「きみの小さい頃を、見てみたかったですねぇ」
「……わたしは知っている」
「おや、そうなのですか」
「あの頃にはもう、あなたはアノイを見ていた」
「……ほんと、きみは観察力がありますねぇ」
アノイのことで知らないことなんて、マルにはないのだろう。
羨ましいことで、妬んでしまいそうなことだが、だからこそアノイの幸せを一身に願うマルだから、レムニスはやはり苦笑するしかなかった。
これにて【寂しさを忘れられない。】は終幕となります。
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津森太壱。