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死生命あり。果てに愛あり。  作者: 瀬川香夜子
一章

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9/15

九話



 キウロス・ラードにとって、友人アザール・グレンヴィアはなんとも心配になる男だった。


 これを聞けば、アザールを知る者の大半は笑い飛ばすことだろう。


 

 なんせアザールは、誰もが羨むようなルックスや身体能力、頭脳、そして家柄――世の男が欲しいと思うものはほとんど持って生まれたような男なのだから。


 

 そんな男と、それこそ伯爵家の影の薄い三男坊のキウロスではなにもかもが違いすぎた。


 接点なんて生まれそうにもないが、運命の悪戯かキウロスはそんな超人の男と寄宿学校の寮が同室になってしまったのだ。


 公爵家の次男坊……いったいどんな男かと恐々としていたキウロスの想像を打ち砕くように、アザールは気取ったところもなく、良い意味で高貴さのない男だった。


 キウロスたちと同じように笑ってはしゃいで、ときどき悪戯が過ぎるところも茶目っ気もある。


 友人も多く、いつもグループの中心にいるような男だった。


 

 しかしキウロスは、アザールが周囲と溶け込みつつもどこか人と一線を引いていることに気づいていた。


 

 とりわけ女性相手には顕著だったと思う。


 

 二人は首都にある名門の寄宿学校――リガルデント校に通っていたが、リガルデント校は貴族子息の通う男子校である。


 そして、そばにはグラシアル校という貴族子女の通う女子校があった。


 イベント行事で関わることも多く、アザールは当然のように女子生徒たちにモテていた。


 告白だってデートの誘いだって在学していた六年のあいだで数え切れないほどあった。


 しかし、アザールは複数人で遊びに行ったり、困っているからと請われて手を貸すことはあっても、女子生徒へ明確に一歩踏み込むようなことはさせない男だった。


 数多の女子生徒たちがアザールと親しくしていたが、彼女たちはあくまで友人でしかなかったのだ。


 もちろんキウロスは不思議に思ったので訊いてみた。



 彼女たちの気持ちに気づいているだろうに、なんだって応えてやらないのかと。一人ぐらいいいなって子はいなかったのか、と。


 

 次男だから家のことは気にしなくていいだろうし、それなりに自由に付き合いを持っても許されるはずだ。


 

 そう言ったキウロスに、アザールは苦笑して「次男だからだよ」と言ったわけだ。


 

「お前にだから言うけど、俺は結婚するつもりはないんだ。子どもなんか出来たら兄貴の迷惑にもなるし、ここを卒業したら事業でも始めてそっちに精を出して生きていくんだ」


 

 だから最初から女性の期待には応えないのだと言うアザールに、キウロスは頭の固い不器用な男だと思った。


 

 一方で、とても納得してしまった。


 

 寄宿学校では寮生活が基本だが、長期休みに入れば誰もが家族のいる家に帰るものだ。


 これは同室だから気づけたことだが、アザールはほとんど帰省することなく学校生活を終えた。


 出会った最初の年、アザールになんとなしに帰らないのかと訊けば、「家にいても息が詰まるからな」とさらりと言われて、問い返すことも出来なかったのを覚えている。


 お兄さんの話はちょこちょこ聞いていたので、その息が詰まる原因が『父親』にあることもキウロスはなんとなく察しがついてしまった。


 思えばキウロスは、その淡々とした感情のない横顔を見てしまったときから彼のどこか空虚な危うさを感じ取っていたのだろう。


 いつも周囲に人がいて、男にも女にも人気だったアザール。


 

 それなのにアザールはいつも一人のように感じられた。


 

 寄る辺のない子供のような心細さを思わせる時があったのだ。


 

 それはきっと、彼が帰る場所を持たないことも要因の一つだろう。


 卒業して一緒に事業を始めて、散々苦労しながらようやく波に乗って忙しくなってきたってときに、アザールのお兄さんと奥さんが亡くなった。


 事故の知らせを受けて真っ青になっていた彼の背中を押し、領地へ追い立てたのもキウロスである。


 まさかそのまま後を継ぐなんて思ってもいなかった。

 

 しかもろくに休めもしないと聞いてやきもきしていたとき、追い討ちのように風の噂でグレンヴィア公爵家の新当主が結婚したことを聞いたのだ。


 

(……最初は家のために無茶してんじゃないかって飛び出てきたんだけどなあ)


 

 執務室から追い出されたキウロスは、テラスへと向かっていた。

 

 思い返すのは懐かしき学生時代と、そしてさきほど目の当たりにした友人の照れくさそうな横顔だった。


 

「居心地がいいだってよ……」


 

 口の中で含むように独りごちると、じわじわと興奮にも似た喜ばしさが胃の底からふつふつと湧き上がってくるようだった。


 少しばかり足取りが速くなるのは致し方ない。

 

 見えてきた裏口から飛び出たキウロスは、緩む顔を抑えもせずにテラスに見えた金髪の美しい人のほうへ向かったのだ。


 

 ◇


 


「美しい人、ご一緒してもいいですか?」

 


 芝居がかったような声に、奥庭を眺めていたルーチェは思わず振り返った。

 

 いつの間に戻ってきたのかキウロスが胸に手を当ててかしこまっていた。


 目が合うとにっこり笑ったままわざとらしく瞬きを繰り返してみせるから、ルーチェはおかしくなって「もちろんどうぞ」と笑いながら向かいの席を勧めたのだ。


 

「アザールとのお話は終わったんですか?」


 

「あいつは俺が持ってきた仕事を片付けてます。やかましいからと追い出されてしまいました」


 

「お仕事……たしか一緒に事業をされてるんですよね?」


 

「そうです。首都で劇場を経営してまして。いつかルーチェさんにもぜひ来ていただきたいです」


 

 微笑むキウロスは、執務室に行く前と後でどこか違って見えた。


 

(なにかあったのかな)


 

 だってさっきまではこんなに親愛の籠もった目で見られることはなかったのだ。


 こちらが思わず照れてしまいそうな、そんな熱烈な眼差しだ。


 

(どうしてこんなに好意的なんだろう)


 

 劇場の施設がいかに優れていて、そしてどの歌手や役者たちがどれだけ素晴らしいか説明するキウロスを前に、ルーチェは内心で不思議に思っていた。


 友人の妻、というやつだからだろうか。


 そう結論づけようとしたとき、熱心なアピールを終えたキウロスは一息つきながら「本当にありがとうございます」と消えかけるような声で囁いた。


 

「お礼を言われるようなことをした覚えはないのですが……」


 

「アザールのやつと結婚してくれてありがとうございます。 ……本当は俺、祝いっていうよりもあいつが家のために無理して結婚決めたんじゃないかって心配で来たんです」


 

 当の妻であるルーチェ相手に気まずいのだろう。

 

 キウロスは眉を八の字にして苦く笑った。


 

「知ってますか? あいつお兄さんとは仲がよかったけど、親父さんとはずいぶん折り合いが悪かったみたいで……あんまり実家には帰りたがらなかったんですよ」


 

「そうなんですか?」


 

「六年間の学生時代はもちろん、卒業しても首都にとどまってて……お兄さんとは首都でたまに会ってたみたいですけどね」


 

 どうやらアイオスたち夫婦が亡くなったときも、その父親はアザールには知らせるつもりはなかったらしい。

 

 グンターたち使用人がひっそりと手紙を出してくれたのだという。


 

「あいつの親父さん、昔からあいつのことすっげー毛嫌いしてて……お兄さん亡くなったときも二の足踏んでたあいつの背中を押して家に帰らせたんですけど、親父さんに追い出されてまともに葬儀にも出させてもらえなかったらしいです」


 

「そんな……」


 

 それらは初めて知ることばかりで、一方でルーチェには思い当たることもあった。


 

 ――母も兄もろくに看取ることも弔うことも出来なかった。だから、きみを看取れることに少しほっとしてるんだ。


 

 あの日、肩を抱いてくれた彼の笑みは、ただの慰めではなく本当に喜びを感じているものだった。

 

 だからルーチェも嬉しいと思えたのだ。

 

 

 そんな背景があるだなんて思いもしなかった。


 

(だからアザールはあんな……)


 

 思わずアンブルを抱く腕の力が強くなる。

 

 不思議そうにアンブルがむずがって見上げてきた。


 それをあやすルーチェの瞳から堪えきれなかった涙が一粒落ちた。


 申し訳ないとすぐに拭ったが、むしろキウロスは眩しいものでも見るようにスッキリとした笑顔を浮かべていた。


 

「俺はあいつと馬鹿をやれる友人にはなれても、お互いに弱みを見せられるような関係じゃありません。だから、結婚したのが――家族になってくれたのがあなたのような人で良かった」


 

 そんなふうに喜ばれるのは嬉しいことだ。


 同時に、どうしてそんな淋しいことを言うのだろうかとルーチェは思った。


 

「キウロスさんといるときのアザールはとても肩の力を抜いているように見えました。弱みを見せられないからと言って大事じゃないとかそんなことはありません。あなたはアザールにとってかけがえのない友人です。どうかこれからも彼のそばでたくさん笑い合ってくださいね」


 

 このまま距離でも置きかねないキウロスに、ついつい口を挟まずにはいられない。


 だって心の全てを明け渡せないとしても、その人が大事であることに変わりはないのだ。


 ルーチェはグレオラ家のみんなに弱いところを見せられなかったが、それでもみんなを愛している気持ちに変わりはない。


 

 強くまっすぐな、叱責とも激励とも感じられるルーチェの温かな言葉はじんわりとキウロスの心に染みこんだ。


 

 オリーブ色の瞳が揺れ、キウロスの口からはほっと温かな息が漏れる。


 

「本当に、アザールの相手があなたで良かった」


 

「……何度も言われると照れてしまいます。私はそんなたいそうな人間じゃありませんから」


 

「なに言ってるんだ! あなたは我が国の英雄じゃないか――と、すまない。堅苦しいのは苦手でつい」


 

 恥ずかしそうに口を覆うキウロスに、ルーチェも肩の力を抜いて笑った。


 

「私もそうなの。キウロス、どうか楽にしゃべりましょう。アザールの友人であるあなたと、私も親しくしたいの」


 

 そっと手を差し出せば、キウロスも嬉しそうに手を取ってくれた。


 

「お言葉に甘えて。ルーチェさん、どうかあいつのことをよろしくお願いします」


 

 握手の力強さが、彼のアザールへの心を表しているようで、アザールにそんな熱心に思ってくれる友人がいることに嬉しくなった。


 

「ああ、やっぱり言葉なんかじゃこの感謝は伝えきれない! ルーチェさん、一回! 一回でいいんで抱きしめてもいいですか!?」


 

 さっきまでの感傷的な雰囲気を殴り捨て、キウロスは徐々に湧き上がってきた興奮のままに立ち上がった。

 

 それでも勝手に触れてこないところはさすが貴族の子息である。


 

 感情のままに動きたい衝動と、女性への礼儀をわきまえた理性。

 

 そんな葛藤を目の当たりにし、ルーチェはころころと鈴のような笑い声で応えた。


 

「どうぞ。アンブルを潰さないでくださいね」


 

 受け入れるように身体を向ければ、子どもみたいに無邪気な顔で優しく抱きしめられた。


 耳元で繰り返し届く「ありがとう」に応えようと、片腕を彼の背中に回す。


 そっと触れ合うような抱擁は、このあとすぐに書類を片付けたアザールが低い声で割り込んできて終わりを迎えた。

 


 

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