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死生命あり。果てに愛あり。  作者: 瀬川香夜子
一章

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五話




 久々に睡眠への満足感とともに起床したアザールの目に飛び込んできたのは、すでに傾きかかった夕暮れの日差しだった。


 

「は……?」



 ◇


 

 慌てて身支度を整えたアザールが廊下に飛び出ると、ちょうどよくレオラが向かいからやってきた。


 丸眼鏡の下で、普段は細く糸のような目が見開かれてアザールを認めた。


 

「旦那様! ああ、お目覚めになったんですね! 本当によかった!」


 

 普段よりもずいぶん顔色がいいと、レオラは出てもいない涙を拭く素振りでハンカチを目元に押し当てた。


 年が近く幼い頃からの付き合いであるレオラは、使用人のなかでは気安い関係だ。二人きりだとこうしたからかいなんて日常茶飯事。


 だが、これが泣き真似だとしても、安心したというのは本心からの言葉だ。それぐらい容易に察せられる。


 想像よりもずっと心配をかけていたらしい。


 アザールは小突くように肩を叩き、「心配かけたな」と声をかけた。


 

「ルーチェと話がしたいんだが、彼女は今どこにいる?」


 

 訊くと、レオラは瞬時に執事としてのかしこまった表情に戻って「今は奥庭のテラスにいらっしゃいます」と答えた。


 

「もちろんアンブル様もご一緒です。侍女のメイリーも控えさせてますからご不便はないかと」


 

「ならよかった。昼間の様子はどうだった? 使用人たちとはどうしてる?」


 

「エルフだとお伺いしてましたから、最初はみんな緊張してましたが杞憂でした。お優しくて分け隔てのない方です。あの美貌にさえ慣れてしまえば使用人たちとの関係も問題ないでしょう」


 

 ――と、不意にレオラが口ごもる。

 

 

 言うか迷うような素振りだったので、じっと視線で追求すれば少しばかり言いにくそうに話した。


 

「いえ、なんだか奥様の前に立つと自分が小さい子供になったような……母を前にしてるような……そんな童心を思い出すんですよ。年の功ってやつですかねえ」


 

 私の母はあんな穏やかで優しい方じゃなかったですけどね、なんておどけてみせた。


 レオラの母は先代の侍女長であり、どちらかというと肝の座ったキビキビした女性だった。


 今は街の郊外で早めの隠居生活をしているが、その活発さは健在だとレオラからの又聞きでもよく分かる。


 

「俺も昨夜少し話したけど、まるっきり子ども扱いだったよ」


 

「旦那様が精力的な方ですから。あれぐらい穏やかで包容力のある方のほうがお似合いですよ」


 

 と、和やかな談笑から一転、レオラが改まった顔で声をひそめた。


 

「奥様のことなのですが……少し気にかかることがありまして――」



 ◇


 

 グレンヴィア公爵家は、その名に恥じぬ広大な敷地と屋敷を持っていた。


 

 屋敷は大まかに『本邸』、『別邸』、『使用人棟』の三つで形成されている。


 

 『本邸』はシンメトリーな左右対照的な構造となっており、中央のホールを挟むように左棟、右棟に分かれ、アザールたちの普段の生活の場や客人の応対に使われている。

 

 左棟から渡り廊下を抜けると使用人たちの居住スペースである『使用人棟』があり、反対に右棟から長いつるバラのアーチトンネルを抜けた先には『別邸』があるのだ。


 

 そしてグレンヴィア公爵家には代表的な庭園が二カ所あった。


 

 本邸と使用人棟の間にある小さなスペースを『中庭』、本邸から別邸までの境に大きく広がる場所を『奥庭』と呼び親しまれていた。


 レオラが言った奥庭のテラスとは、本邸の裏に設置されたテラスのことで、奥庭の景色を見ながらくつろげる場所だ。


 

 テラスへ向かうため、アザールは本邸の廊下を歩いていた。

 すれ違う使用人たちの挨拶に答えながらも、考えているのは今しがた聞いたレオラの言葉だ。


 

「倒れた旦那様を寝室に運んだ後、奥様の荷物をお部屋に運んだんです。グレオラ家からも手伝いの使用人が数名来ていたんですが、その……彼女たちがあんまりな様子でしたから」


 

「あんまり……?」


 

「もちろん仕事は真面目にこなしてましたよ。ですが、荷物を運び終えて帰るってときにですね、奥様がお見送りに出られたんです。そうしたら揃って泣き出してしまってちょっとした騒ぎになりまして……奥様はそんな彼女たちのことをずいぶん優しく宥めていらっしゃいました」


 

 よく見ると、御者の男もひっそり泣いていたと言うのだ。


 

「まるで今生の別れみたいで……見ていたこちらが悪いことでもしてる気分でしたよ。さながら親子を引き離す悪役ですかね」


 

 乾いた笑いで思い返すレオラの目は遠くを見るようだ。


 

「それでですね、念のため……本当に念のための確認なんですけど、この結婚はグレオラ家が望んでいて、奥様もご了承の上なんですよね……?」


 

 情報を仕入れてきたのはお前だろう。――なんて言葉はレオラも承知の上であろう。


 分かっていながらも、つい不安になるぐらい使用人たちの嘆きがすごかったということだ。


 

(まさかグレオラ家の人間が無理やり結婚を迫ったのか……?)


 

 考えて、そういえばグレオラ家は当主のエリオ・グレオラが亡くなったばかりだと思い出す。


 ならば次代当主の意向かとも思ったが、グレオラ家の直系は先代の孫にあたるリオン・グレオラのみ。


 成人もしていない人間が、結婚させて追い出すなんて大胆なことを考えるとは思えない。


 

(なによりルーチェには無理やり嫁がされたような悲壮感はない)


 

 これは直接訊くほかないだろう。


 結論付けると同時に、ようやく外へ出る裏口が見えてきた。


 

 一歩外へ出たアザールに、秋風が吹きつけた。

 

 

 目の前には別邸へとつながる長いつるバラのアーチが伸びている。

 風とともに草花の爽やかな香りが鼻を抜けた。


 部屋にこもって半日以上寝ていたせいだろうか。


 深呼吸をすれば、身体の中のこもった空気が押し出され、まるで生まれ変わったような清々しさに襲われた。


 

(……そういえば、当主になってからこんなふうにゆっくり外に出る時間もなかったな)


 

 人心地ついて浸っていると、不意に声が届いた。


 

「パパはまだお休みしてるみたいだねぇ」


 

 ――そうだ。ルーチェを探しに来たんだ。


 

 我に返ったアザールは、咄嗟に足音を忍ばせて振り返った。


 本邸の側面に沿うテラスは、白いタイルで舗装されたスペースにテーブルと椅子が並んでいる。


 その一脚にアンブルを抱えたルーチェが腰掛けていた。


 庭を向くルーチェは建物に背を向ける形になっているのでアザールに気付いてはいない。


 彼女の背後で控えていた若い侍女のメイリーは、目ざとくアザールを認めると小さく会釈をしてから静かに場を去った。


 その気遣いに手をあげて応える。


 ルーチェはアンブルに夢中なようで、侍女が下がったことにまだ気付いていなかった。


 身体を冷やさないようにと厚めのおくるみに包まれたアンブルのご機嫌な笑い声が聞こえてきた。

 


「アンブルのパパはね、今日までずーっと一人で頑張ってたから、お休みする時間がたくさん必要なんだよ」

 


 しっかりお休みしたら、またアンブルとも遊べるからね。


 

 ルーチェもご機嫌そうな弾んだ声だ。

 

 腕の中の子供が可愛くて仕方ないとでも言うような、そんな慈愛に満ちた声音はひどく耳馴染みがよい。


 

(クトール国の英雄、だったか……)


 

 奥庭は見晴らしのいいテラスから見渡しても果てが見えないほどには広大だ。


 庭園を楽しむための遊歩道に沿って、さまざまな草花や木々が整えられている。


 

 その中で、リウリルの花が目についた。


 

 リウリルは、成人の手のひらほどの大きさの白い花だ。

 

 白い花弁は先端に行くにつれて薄く緑がかっている。

 

 花の大きさに比べて細い茎のせいか、まるでおじぎしているように見える植物である。最大の特徴は月の光を受けると白くうっすら発光することだ。


 

 クトール国内の貴族の庭園には必ずと言っていいほど見ることが出来る定番の花で、二百年前にルーチェがラシアの森から持ち出したことで人間たちを救うに至ったものである。


 

 クトール国のみならず、人々にとって病というのは生きていく上で切り離せないものだ。


 そして、そんな人類にとっての驚異の中で『ハイラ熱』というのは特に恐ろしい病だった。

 

 クトール国の歴史では過去三回の大流行を起こしており、被害規模が最も大きかったときは人口の三割が亡くなったともされている。


 そして、リウリルは可憐な外見に似合わず薬草として利用が可能であり、ハイラ熱の特効薬なのだ。


 しかし、元々ラシアの森でしか自生が確認されておらず、二百年前の流行時にはエルフから譲り受けるしか入手手段がなかった。


 もちろん人間たちはエルフに取引量の増量を掛け合ったが、エルフはこちらの足下を見るように価値をつり上げて強請(ゆす)るような交渉を持ちかけたという話だ。


 エルフが認めた量では患者たちに行き渡らせることは到底出来ない。


 

 貴族の上層部会議でもう武力行使しかないと追い詰められた頃、一人森を抜けて人間たちに薬を届け、その後の栽培にまで力を貸したのがアザールの妻としてやってきたルーチェなのである。


 

 彼女のおかげで、今じゃハイラ熱は恐れるものではなくなった。


 ルーチェは英雄と呼ぶにふさわしい功績をもった人物である。――が。


 

(……英雄と言うにはあまりにも美しすぎるな)


 

 そんな勇ましい名は、ルーチェの印象とかけ離れている気がした。


 赤子を抱く姿は、まさに「聖母」というほうが似合っていた。

 眼差しだけでこれほど愛情というものを表現できる者はいないだろう。


 

(それとも、普通はみんなこうなのか?)


 

 ただアザールとは縁遠いだけで、母と子というのはこういうものなのだろうか。


 

(兄貴や義姉さんもこんなふうに生活してたのか……?)


 

 ふと感傷的な思いが胸をよぎる。

 

 と、胸に湧きかけた感傷を払うように、一段と強く風が吹いて思わず身震いした。

 

 起きたときには傾き始めたばかりだった太陽が、気づけばもう沈みきりそうだ。


 夜になればさらに気温は落ちるだろう。


 

「ルーチェ、アンブル。冷えるから中に入ろう」


 

 振り向いた彼女は、アザールの姿に安心したように笑った。


 顔色がよくなったと、レオラや他の使用人たちと同じ言葉をかけられる。


 

「アンブル。パパが来てくれたよぉ……あれ?」


 

「よく寝てるな。もうずいぶんきみに慣れたみたいだ」


 

「でも、やっぱりパパが一番だと思う。私なんて昨日会ったばかりだもの」


 

 今のアザールに昨夜のような複雑な思いはない。

 むしろ、もうすっかり家族みたいだと嬉しくなって言ったのだが、ルーチェは変なところで鈍いらしい。


 必死にフォローする姿に、アザールは久方ぶりに声を立てて笑っていた。


 

「あははははっ! きみと俺は夫婦なんだ。アンブルが慣れるのはいいことだろ。俺だって子どもじゃないんだからもう気にしてないよ」


 

「そう……? 実は私もね、アンブルが安心してる姿を見ると家族として認められたみたいで嬉しいの」


 

 ルーチェが本当に嬉しそうに笑うから、アザールもついつい頬が緩む。


 

「さあ、冷え込む前に中に入ろう」


 

 華奢な背中に手を添えて中へと促す。


 出入り口の傍で待っていたメイリーに、温かいお茶を頼んだ。


 

「夕飯の前にきみと話がしたかったんだ」


 

「結婚のこと?」


 

 振り仰いで訊ねてきたルーチェに、アザールは頷き返した。


 

「ああ。きみと家族になるための、大事な話だ」


 


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