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死生命あり。果てに愛あり。  作者: 瀬川香夜子
一章

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2/15

二話


 

 そもそもの始まりは、アザールがルーチェの美しさに耐えかねて卒倒した日より季節をまき戻った夏のこと。

 

 

 その日、グレオラ伯爵家は悲しみに包まれていた。

 

 窓や鏡は全て黒い薄絹の織物で覆われ、屋敷全体がどんよりと暗い。

 いつもは和やかに、しかし粛々と仕事に励む使用人一同も、その日は顔に陰りがあった。

 

 みなが気にしたように、黒い布ごしにときおり窓の向こうを見る。

 彼らが思いを馳せる先は領内にある墓地だ。

 

 夏に似つかわしくないどんよりした曇天の日。

 

 その日はグレオラ家当主であったエリオ・グレオラの葬儀の日だった。


 

 ◇


 

 グレオラ家領内における共同墓地の一角。

 

 他のものとは区域が異なる豪勢な墓標の並ぶそこが代々グレオラ家の者が眠る場所だ。

 新たに作られた墓標とともに今しがた埋められんとする棺が一つ。


 ――第十二代目グレオラ家当主、エリオ・グレオラである。

 

 教会でおこなった葬儀には領地民や他家の貴族など多くの参加者がいたが、埋葬の参加者は多くはない。

 

 唯一の肉親である孫のリオンを先頭に、使用人を代表して長年仕えてきた家令と侍女長、そしてリオンの婚約者であるアンネ。

 

 埋葬時は親しい者たち少人数で見送って欲しいというエリオの希望故だ。

 

 そんななか、一番後ろで静かに俯いているのが伯爵家で生活を共にしていたルーチェだった。

 

 クレープ素材の真っ黒な喪服に身を包んだルーチェは、見かけだけならば二十代の若い女に見える。

 

 しかし尖ったように伸びる特徴的な長い耳から分かるように、ルーチェはエルフであり、すでに三百年近くの年月を生きていた。

 

 ルーチェにとって、人間との別れというのは珍しいことではない。

 

 けれど、どれだけ繰り返したところで今のように胸はしくしくと痛むし、悲しさが薄れることはない。

 

 

(エリオ……あんなに元気だったのに)

 

 

 はらはらとルーチェの瞳から新たな涙が溢れていく。

 

 今年の冬がくれば七十を迎えるはずだった。節目だから盛大にお祝いしようと、みんなで話していたのだ。

 

 去年の誕生日には、ルーチェに甘えるリオンを見て、まだまだ子どもだ。私が元気でいなければと、彼も笑っていた。それなのに――。

 

 まさかこの一年で一気に体調を崩して死んでしまうなんて思いもしなかった。

 

 彼が生まれた時から知るだけに、ルーチェの悲しみはひとしおだった。

 

 言葉も話せなかった赤ん坊時代、すくすくと育つ子ども姿、大人になって年を重ねていく姿……さまざまな思い出が押し寄せてきてやっぱり涙は溢れ続ける。

 

 エリオが夏の森のようだと言ってくれた青々しい緑の瞳も、今は長いまつ毛が影を落として伏せられていた。

 

 みんなが褒めてくれる黄金の髪だって、今は綺麗に結い上げてしまっている。


 参加者たちが順番に棺に土をかけ、最後にルーチェの番がやってきた。

 

 リオンを筆頭に、みんなが同情的な目でルーチェの頼りなく震える背中を見守った。

 この中で一番付き合いが長いのはルーチェだと、みんながわかっているのだ。

 

 ルーチェは自らの両手で土をすくってかけた。そしてまだ見える黒い棺に触れて優しく撫でた。

 

 繊細な手つきは、病床にあったエリオを励ましていたときのものと重なった。

 

 ルーチェの次に年配な家令がとうとうたまらなくなって目頭を押さえた。侍女長も瞬きとともに涙をこぼす。

 

 この場で悲しんでいない人などいない。エリオは家門の当主としては厳格だったが、身内には甘く穏やかな人物だった。

 

 

「エリオ、どうか安らかに」

 

 

 みんなの心の内を代弁するように、ルーチェは柔らかな祈りを告げた。

 

 紙のように真っ白な頬を、静かに、そして絶えず涙が落ちていく。

 

 みんなの列に戻ったルーチェは白いハンカチを目元に押し当てた。けれど、すぐにぐっしょり濡れて使い物にならなくなってしまう。

 

 情けない。十四になったリオンだって気丈に振る舞って涙を堪えているのに、私はこんなに泣いてしまって。

 

 幸いなのは、こんなみっともない泣き姿がみんなには見えていないことだろう。

 

 ルーチェの被っているトーク帽からは黒いヴェールが頭をすっぽり覆うように広がっていた。

 

 しかもヴェールにしては糸が太く、そして網目がひどく細かい。はたから見たら真っ黒な薄い布をかぶっているように見えるだろう。


 これもエリオの希望だった。

 

 自分が死んだときに着せる喪服を選ぶのなんて全く趣味が悪いなんて言葉では足りない。

 だが、どれだけルーチェが苦い顔をしたって彼はやめなかった。

 

 選んだ服を着てもらえるのはこれが最後だからと言い、私のための涙なんだから誰かに見せるのは惜しいと、このヴェールをわざわざ特注した。


 

(本当に馬鹿な子……)


 

 最近ではルーチェの前でしか見せなくなった悪戯な笑みを思い返し、くすりと口元が緩む。一方でさらに大きな涙が溢れた。

 

 気休めになればと上を向いてみたが、どんよりとした雲がヴェール越しにうっすらと見えただけ。


 この涙が止まるにはまだまだ時間がかかりそうだった。


 

 ◇


 

 葬儀を終えて一段落……とはならないのが、貴族の家の難しいところだ。

 

 人間社会に疎いルーチェでも、二百年近くグレオラ家にいればある程度は分かってくる。

 貴族の家の当主が不在というのは許されたことではない。

 

 エリオを偲ぶのも束の間、リオンは秋口から首都の寄宿学校に通うことになった。


 

「僕がまだ十四だから爵位は預けられないってうるさいんだ。お祖父様がいたときは何も言えずに田舎に引っ込んでいたくせに……亡くなった途端にこうだもんな」

 

 

 ソファに横たわるリオンはルーチェの膝に頭を預けながら苦々しくぼやく。


 ルーチェは少しでも気持ちが落ち着けばと、彼の柔らかな茶髪を撫でた。

 唾棄する言葉の先は、葬儀以降なにくれと屋敷にやってくる客人たちのことだろう。


 ルーチェは会ったことはない。

 

 元々家門への客人の前には出ないが、彼らがいる間はことさらみんながルーチェを部屋から出さないようにしている気がするのだ。

 

 今回の客人である彼らは、いわゆるグレオラ伯爵家の傍系というもので、遠縁も遠縁……二百年ここにいるルーチェが知らないぐらい前の世代からの縁者だというのだからその血縁の薄さがよく分かる。

 

 彼らは栄えある当主の座に、幼い子どもが就くことを懸念しているという。

 

 その妥協案として出たのが、首都にある寄宿学校への入学だった。貴族子息が通う寄宿学校――それも首都のリガルデント校は王族も通うほどの名門である。

 

 傍系の者たちは、そこを卒業したならばリオンが当主たり得ることを認めるというのだ。

 

 

「でも、あちら側の主張も正しいわ。さすがに十四で爵位を継いだってほかの家に舐められるだけだもの」

 

 

 向かいのソファから諌めたのはリオンの婚約者であるアンネだ。


 普段から冷静沈着な彼女は、未来の夫がルーチェの膝枕状態だって動じたことはない。

 

 なんせグレオラ家の者はこれが日常であり、生まれた頃からリオンとの婚約が決定していたアンネも見慣れたもの。

 

 むしろ彼に隠れてルーチェに甘やかしてもらうことだってある。現に、リオンが無遠慮にやってくるまでは二人で楽しくお茶をしていたのだから。


 

(……でも、エリオが亡くなってから私にくっついてることが多くなった)


 

 本人はケロリとしているが、やはり唯一の肉親である祖父を失ったのは少なからず不安をもたらしているのだろう。


 アンネもきっと分かっている。


 だからこそ、いつもなら乱入されたらすぐに怒って追い出すのにそのままにしているのだ。


 だが、完全に抑え込むのは無理だったようだ。

 彼女の言葉には、ほんの少し刺々しさがあった。

 

 もちろんリオンは気がついて「分かってるよ!」と喧嘩腰に吠えた。


 

「今の僕は他の家には顔がきかないし、経験もない。でも、学校に行けば見識も深まるし、新しいことも学べる。おまけに人脈も出来て一石二鳥、三鳥どころじゃない」


 

「だったら拗ねてないで準備をするべきね。秋の式典までは一ヶ月もないんだから」


 

「ルーチェと話をしたらしようと思ってたんだよ!」


 

 ひょいと一動作で起き上がったリオンは、ルーチェの手を取った。


 

「僕が学校に行ってる間、傍系のガンス男爵が代理当主としてうちにきて政務をこなすことになってる。それに関してはイーファスがいるし、屋敷内のこともマリーがいるから心配はしてない」


 

 長年グレオラ家を支えてきた家令のイーファスと侍女長のマリーの夫婦は信頼でき、とても頼りになる。

 それを知るリオンも言葉通り心配はしてないのだろう。


 

(ほかに心配事があるみたい)


 

 きりりとかしこまった顔をしたリオン。けれど、その眼差しには不安が見え隠れしている。


 

「リオン。なにか心配なことでもあるの?」


 

「……僕は、ルーチェのことが心配なんだ。本当はこの屋敷のみんな以外に会って欲しくない」


 

「大丈夫。ガンス男爵はお仕事をしに来るんでしょう? 私と会う機会は少ないよ」


 

「でも夫人と娘も一緒にくるって! ……僕が跡を継ぐまでの今回の話は王族立ち合いのもとで誓約を交わすから家の乗っ取りなんて起きやしないけど……でも……でもさ……」


 

 不安をうまく言葉にできないみたいだ。言い淀んだリオンは、優雅にお茶を飲むアンネに水を向けた。

 

 

「お前も! あいつらがいる間はなるべく屋敷にいろよ!」

 

 

「当たり前すぎ。せっかくあなたがいないのよ? ルーチェを独占できるこの機会を無駄にするわけないでしょう」


 

「お、お前ぇ……!」


 

 きゃんきゃん言葉が飛び交うのはいつものこと。これが二人のコミュニケーションなのだ。

 

 子犬がじゃれあうような微笑ましさに笑っていると、不意にリオンが生真面目な大人びた顔でルーチェと向き合った。


「ルーチェ」


 ここからが本題なのだと、雰囲気の変化で分かってしまった。ルーチェの身体に思わず力が入る。


 

「お祖父様もいなくなって、本当は僕まで遠くに行きたくはないんだけど……三年だけだから待っててね」


 

 寄宿学校は、十三歳から十八歳までの六年間を通うのが通例だ。

 

 リオンが今から通うとすれば、本来は三年生から始まって四年間は学校で過ごさなくてはならない。

 

 しかし、先日受けた筆記試験で見事下級生の三年分は飛び越え、上級生に区分けされる四年生からのスタートを許可されたのだ。


 

「堂々と卒業して誰にも文句は言わせないし、そうしたらお祖父様みたいな立派な当主になってルーチェのことも、グレオラ家のことも守るからさ」

 


「リオン……」

 


「そうしたらアンネと式を挙げられるし、それで子どもができたら三人で子育てしよう! お祖父様たちがそうだったように、ルーチェには僕たちのことも……僕たちの子どももその先も……ずっとずっと家族として見守っていて欲しいんだ」

 


 いつになく達観した雰囲気で優しく笑うリオンとアンネ。

 

 照れた様子で目を合わせる二人に、ルーチェはそれだけ想われていることに胸がいっぱいになった。


「当たり前でしょう。二人にそう言ってもらえてすごく嬉しいよ」

 

 喜びだけを笑みにして二人に返す。

 

 けれど――。

 

 当たり前だと、嬉しいと、そう告げるルーチェの胸の奥では、苦い思いがじわりじわりと滲んでいた。


 


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