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死生命あり。果てに愛あり。  作者: 瀬川香夜子
一章

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十五話



 キウロスからの手紙が突然だったように、アンネからの手紙も突然だった。

 


 しかも、グレオラ伯爵家でアンネと付き合いの深い幼い使用人が馬車に乗ってわざわざ届けに来たのだ。


 

 突然公爵家を訪れることになって萎縮した様子で涙目になりながらも、少女は「ルーチェ様にお目通りを……!」と訴えたらしい。


 

 すぐに呼ばれたルーチェに、彼女は飛びつくようにしてアンネからの手紙を渡して来たのだ。


 

「アンネ様からできるだけ早くルーチェ様にお渡しして欲しいと頼まれました! お願いします、ルーチェ様。今すぐに読んでください!」


 

 そう言われて断れるルーチェではないし、はなから断る気もなかった。


 すんすんと鼻を鳴らしている少女はそばにいたメイリーに頼んで温かい飲み物を用意してもらった。


 温もりにほっと息つく少女を横目にルーチェも一安心して手紙の封を切ったところで衝撃を受けたわけだ。


 

「私刑に処する……?」


 

 はらりとルーチェの手元から手紙が落ちた。


 すぐに我に返って慌てて拾い上げてもう一度文面に目を落とす。


 そばにいた乳母のミナや侍女のメイリーはきょとりと目配せしていた。


 

 手紙を見るなりルーチェは紙のように白い顔で動揺を示したのだ。心配になって当たり前である。


 

 手紙を届けに来た少女だけが、訳知り顔の沈んだ面持ちで手元のティーカップを見つめていた。



 その内心はきっと気が気じゃなくてしょうがないことだろう。

 


 普段なら心配ないとでも言って安心させるルーチェだが、今ばかりはそんな余裕はなかった。


 狼狽した緑の瞳が、紙面を隅から隅まで何度も往復する。


 

 何度読み返してもそれは変わることはなかった。

 

 書いてあることは理解できる。しかし、なぜそうなったのかが分からない。


 

(リオンが帰ってきたの? どうして? 学校は? しかも男爵たちを私刑?)


 

 どうしてそんなことになった。


 

(もしかして私が勝手に結婚して家を出たから……?)


 

 それでリオンが激怒してガンス男爵たちに責任を追及しているのかもしれない。


 

 ――司法を通さない私刑は禁止されてるから、こんな横暴な真似をしたらリオンが罰を受けてしまう。


 

 ――私じゃ止められないの。お願い、助けてルーチェ。


 

 アンネの助けを求める言葉が何度も書き連ねてある。


 その筆跡は歪み、彼女の必死な思いが容易に想像できた。


 

(行かなきゃ……)


 

 反射的に衝動が湧き上がった。


 思った時には体が動いていた。ガタンと椅子を倒しかけるほど勢いよく立った。


 ——が、途端に石のように動けなくなる。



 冷や水を浴びせられたように一気に理性が戻ってくる。

 

 

(もう私はグレオラ家の人間じゃない)


 

 グレンヴィア公爵家に嫁いできた者で、当主アザールの妻だ。


 彼が不在の今、自分までここを留守にするわけにはいかない。


 行くにしても、せめてアザールに言付けてから行くべきだ。


 しかし、そんな残ったルーチェの理性も吹き飛ばさんとばかりに使用人の少女はぽつぽつと語り出した。


 

「リオン様は噂で英雄ルーチェの結婚を知ったようで突然すごい剣幕で帰ってこられたんです。勝手をしたのは誰なのかと男爵夫妻だけでなく、イーファスさんやアンネ様たちのことまで叱りつけていて……」


 

「そんな……私が結婚するって言い出したのに」


 

 誰も悪くない。しかも、アンネやイーファスたちはルーチェを必死に引き止めていた立場だ。


 

 グレオラ家に行ってリオンに釈明しなければ。


 

 正義感と罪悪感がどんどん膨らんですぐにでも行かなくては――そう思う。


 

「でも、アザールもいない今私まで勝手に屋敷を空けることは出来ないの」


 

「お願いしますルーチェ様! 今はアンネ様が必死に止めていますが、リオン様はいつ男爵夫妻の首を刎ねるか分かりません! そんな勝手な私刑を行ってはグレオラ家は取り潰しになってしまいます!」


 

 必死な訴えを前にルーチェは困り果ててしまった。


 本当は今すぐにでも駆けつけたい。しかし立場や責任がそれを許さない。


 感情と理性の板挟みで苦しむルーチェに、見かねたミナが助け舟を出した。


 

「まずはグンターさんやレオラさんに相談してみるのはいかがですか?」


 

「ミナ。……ええ。そうしようかしら」


 

 行くにしても行かないとしても、この二人に話は通しておくべきだ。


 

 引き続きミナにアンブルを、泣きべそかいた少女はメイリーにお願いしてルーチェはひとまず二人に話を持って行った。


 ちょうどよく揃っていたグンターやレオラは、突然の話に驚いてはいたが、やって来た少女や御者の慌てようを知るだけに納得がいったようだ。


 二人はふむと考えるように一つ頷いた。


 

 そしてお互いの意思をはかるように目が合わさって、不意に表情が柔らかくなる。


 

 グンターが言った。


 

「たしかにアンブル様もいらっしゃる状況としてはどちらかにご在宅していただけるのであればそれに越したことはありません」


 

 と、レオラが引き継いだ。


 

「しかし旦那様と奥様の両名が留守にするというのも珍しいことではありませんよ」


 

「そうなの?」


 

 グレオラ家では、当主かその妻のどちらかはできるだけ屋敷に控えていてくれたから、てっきりそういうものだと思っていた。


 

「グレオラ家なら一日あれば着けますから。数日留守にする程度ならば問題ございません。旦那様には私どものほうから報告の手紙を差し上げておきます」


 

「いいえ。手紙は私が書きたいから……そうしたら届けるのだけ頼んでもいいかしら?」


 

 おずおずと言えば、グンダーもレオラも笑って頷いてくれた。


 

「これを機に一度ゆっくりお話をされてみてはどうでしょう」


 

「ここからなら首都よりグレオラ領のほうが近いですから、もしかしたら旦那様より奥様のほうが早くお帰りになるかもしれませんね」


 

 レオラの冗談に三人で笑い合う。


 ルーチェも心のつかえがとれ、堂々とした心持ちでグレオラ家に向かう決心がついた。


 部屋で待たせていた少女はルーチェが一緒に行くというと、また泣き出しそうなほど喜んでくれたものだ。


 細い腕でぎゅうぎゅうに抱きついて感激してくれるのはいいが、さすがにそのままじゃ支度も出来ない。


 メイリーが「奥様に失礼でしょう!」と叱りつけながら引き剥がす。

 

 そうしてメイリーは手早く荷物をまとめてくれた。


 

「グレオラ伯爵家までの往復分ですと三日分もあれば十分でしょうか」


 

「着替えとかは向こうにもある――あ、さすがにもう私の荷物は片付けちゃったかな」


 

 はっと気づいて思わず独りごちる。と、心外とばかりに少女が目を丸くして立ち上がったのだ。


 

「そんなことするわけありません! ルーチェ様のお部屋はなにも変わることなく残っています!」


 

「それはそれでなんだか申し訳ない気分だわ」


 

 嬉しいけれど、一方で申し訳なくも思う。


 そうしてルーチェは鞄を一つ持って少女の乗って来た馬車でグレオラ家に向かうことになった。


 

「アンブル、私も少しだけ出かけてくるね」


 

「う〜?」


 

 不思議そうな面持ちで小さな頭がこてんと傾いた。

 

 引き止めるように指先を掴まれたので、ルーチェも小さな柔い手を一度ぎゅっと握ってからこめかみにキスをした。


 

「行ってくるね。ミナもみんなもいるから大丈夫だよ」


 

 小さな手の拘束をするりと抜けて鞄を持ち直す。


 アンブルは小さくぐずるように喉を鳴らして、ルーチェを追いかけるように両腕を伸ばしていた。


 そんなアンブルに後ろ髪ひかれるルーチェだが、抱えていたミナがあやすように揺らしながら

 

「ぼっちゃまのことはお任せください」

 

 と、力強く笑ってくれたから頷いて馬車に乗り込んだのだ。


 御者はルーチェをグレンヴィア家に送り届けてくれたときと同じ人物だった。


 また会えて嬉しいとしきりに頭をぺこぺこさせていた。

 

 向かいの座席にかけた少女はルーチェの姿をにこにこしながら見ていた。

 

 さっきまで泣いてたから目元は赤いが、その小さな唇には殺しきれない笑みがのっている。


 

「ルーチェ様とこうしてグレオラ伯爵家に戻れるなんて本当に嬉しいです! きっとアンネ様やリオン様もすごく喜びます!」


 

 そうしたらきっとガンス男爵たちのことも許してくれる。


 

 ――と、晴れやかに笑う少女とは打って変わり、ルーチェの笑みはどこかぎこちなかった。


 

 今にもリオンが男爵たちにひどいことをしているんじゃないかと心配でたまらないのだ。


 

(リオン、どうか馬鹿な真似はやめて……)


 

 学校はどうしたのか。


 いつもみたいな勢いまかせの言葉で、アンネと仲違いしてないか。


 男爵夫妻たちをどんなふうに責め立てたのか。娘のスルエラはどうしているのか。


 

 気にかかることはいくつもあった。


 

 リオンは正義感が強く、なによりエリオとよく似た家族思いな子だ。

 

 きっと男爵夫妻がルーチェを追い出したと勘違いして怒髪天なのだろう。


 

(その気持ちは嬉しい……でも……)


 

 本音を隠して出て来てしまった身からすると、その愛情が少し心苦しく思えた。


 考え込むと憂鬱になりそうだ。


 

 着くまでは何も出来ない。そう切り替え、久しぶりのグレオラ領内の景色を楽しむことにした。



 まさかこのまま一週間近くもグレンヴィア家に帰ることが出来ないなんて、このときのルーチェは想像すらしていなかったのだ。



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