十四話
ルーチェは色恋沙汰への免疫がない。――うすうす感じてはいたことだが、アザールは二度目の告白を機に確信を持った。
アザールが自分の気持ちを隠す気がないのもあるだろう。
それを加味しても免疫がなさすぎると思う。
なんせ目が合うだけで、アザールの愛情溢れる眼差しに真っ赤になってしまうのだ。
てっきりそういうことには鈍いのかと思っていたが、よく考えたら人の機微に敏感なのだ。わかって当たり前だった。
たぶん困っているのだと思う。
けれど、ルーチェはアザールと距離をとったりするようなことはなかった。
エスコートで手が触れあえば、目が合えば、アザールが笑いかければ……ルーチェは一つ一つの動作に転がるアザールの恋情を正確に拾い上げて控えめに頬を赤くした。
その姿はかわいらしくもあり、けれどそこまで動揺させ続けるのも悪い気がしたのだ。
だからアザールは一度だけ訊ねた。
「きみが嫌ならやめる」
感情をなくすことが出来ずとも、ひた隠しにすることは出来る。
なにもアザールはルーチェを困らせたいわけではない。
けれどルーチェはぶんぶんと首を振ったのだ。
「いやじゃないよ! ただ、そういう言葉とか、態度とか向けられるのは初めてで……私の気持ちや頭が追いついてないだけなの」
それならまだ希望はあった。
「それなら少しずつ慣れていこう。俺は、欲を言うならきみとちゃんとした『夫婦』になりたいと思ってるんだ」
「ちゃんとした夫婦……?」
「お互いに愛し合っている夫婦のことだ。俺はきみのことを愛してるし、きみに愛してもらえたら嬉しい」
しかし無理をさせたいわけじゃない。
アンブルがいる以上、後継問題は望まない。子供を望まないのなら、手を握り合えるだけの関係でもいい。
そんな物わかりの良いことを思う一方で、やっぱり同じ質量の愛情を向けられたら嬉しいとも思う。
ルーチェは赤くなった頬のまま、少し気張るように両手で握りこぶしを作った。
「頑張ってみる!」
彼女のやる気がどこかズレていることに気づきながら、それでも愛情から胸がきゅんと甘く痺れるのだからまったく重症だった。
◇
キウロスの来訪、義理の兄姉の墓参り、そしてディレットの来訪……慌ただしく過ぎた三日間だった。
ディレットが首都へ帰ってから、ルーチェは変わらずアンブルとともに日中の時間をのんびりと過ごしていた。
アザールも以前よりは随分とゆとりを持って政務にあたっていると聞く。
最近はルーチェとアンブルのお披露目会を開くのだと、その事前準備も進めるつもりのようだ。
(そういえば貴族の家の奥さんだって家門の仕事があるんだよね)
貴族夫人は家財の管理や使用人たちの人事権……など主に家の中を取りまとめる仕事があるらしい。
ルーチェは詳しくはないのだが、グレオラ家を出る前に大雑把な知識だけはガンス男爵夫人が教えてくれた。
ルーチェも気になってアザールに確認はしてみたのだが、今はアンブルの面倒を見てくれれば十分だという。
人事や家財たちは現在グンターやレオラたちが手分けして管理しているとのことで、徐々に覚えていくといいと彼は言ってくれた。
もどかしい気持ちがあるにはある。
だが、ルーチェがそちらにかかりきりになると、アンブルはアザールが面倒を見なければいけなくなる。
となると本末転倒だ。
(アンブルもちょっとずつ他の人にも慣れ始めてきてるんだけどね)
それでもまだまだアザールやルーチェのそばのほうが安心できるようだ。
(よし。ひとまず今はお披露目会を頑張ろう)
諸々の準備でずいぶん忙しくなるとアザールが言っていた。
ルーチェも今から気を引き締めよう――なんて思っていた矢先のことだ。
始まりは手紙だった。
それも少し前に首都へ戻ったキウロスからの至急の手紙だ。
それが届いたとき、ちょうどアザールの小休憩に付き合ってルーチェとアンブルも執務室にいた。
やや硬い表情のレオラが持ってきた手紙を見るやいなや、アザールは椅子を倒すような勢いで立ち上がってカッと目を見開いたのだ。
「王宮からの緊急監査が入る!?」
大きな声に、これまたレオラも驚愕して息を止めた。
「定期監査ではなく本当に緊急監査なのですか? 緊急ならば抜き打ちのはずでは?」
「ああ。行政機関の知り合いからのタレコミらしい」
はあ――と、アザールから特大のため息が漏れた。
「なんだって緊急監査なんか……!」
重たそうにアザールの頭が項垂れる。頭痛を抑えるように片手で目元を隠してしまっているから表情がわからない。
が、苦い顔をしているのは明らかだ。
レオラも受け取った手紙をまじまじと眺めて剣呑な顔をしている。
(……な、なにがあったんだろ)
話を聞くに、アザールとキウロスの事業所――つまり運営する劇場に監査が入るようだ。
そして、それは予期せぬもので、望ましいことではない。二人の切迫した雰囲気を見れば一目瞭然だ。
二人から漂う緊張感が移り、ルーチェもソファの上で無意識に身を小さくして息を詰めた。
不安な心地を紛らわせるようにアンブルを抱く腕に力が入る。
アンブルは遊んでもらえると思ったのかきゃはきゃは笑ってルーチェの手をぺちぺちと柔らかい手で叩いた。
そんな赤ん坊の姿に束の間癒される。
それは二人も同じようで、険しかった顔がゆるく解けた。
我に返ったアザールが「すまない」と苦笑して状況を教えてくれた。
なんでもアザールたちが経営する劇場に王宮の行政機関から監査が入るのだという。ここまでは察していたことだ。
監査自体は定期的に行われているそうだが、今回は抜き打ちで行われる『緊急監査』で、本来であれば通報された事業所に対して行うことがほとんどだと言うのだ。
「つまり、アザールたちが不正をしてるって誰かが告発したってこと?」
「ああ。そうなるとあちらは初めから不正の証拠集めにくるようなものだ。そこで少しでも疑わしいと思われると、経営許可証の撤廃もあり得る」
そして一度撤廃されると、同じ人物が再度経営を許可されるのは難しいという。
「た、大変! そういうときってどうしたらいいのかな!? 今からできることってあるの?」
思っていたよりもずっと大ごとじゃないか。
わたつくルーチェを前にして、かえってアザールたちは落ち着いたようだ。
微苦笑して「やましいことなんてないから大丈夫だ」と励ましさえしてくれた。
「全く覚えがないのに、一体どこからそんな話が出たんだか」
うんざりした様子のアザールにレオラが冷静に返した。
「同業者からの恨みでは?」
「そんなことで行政が動くとも考えにくい」
「では、明確な証拠があると?」
「……それか告発者がよほど行政内で顔がきくかだな」
顔を突き合わせるアザールとレオラの顔が少しずつ険しくなっていく。
「……まずいかもですね」
「まずいな」
「……なにがまずいの?」
さらなる苦難かとおずおず訊くと、レオラに書類を預けたアザールが一直線にルーチェのもとにやって来た。
「すまない、ルーチェ。少しの間家を空ける」
「ええ。キウロスさんのところに行くんでしょう?」
「あいつは詰めが甘いところがあるからな。兄貴たちの墓参りもしてくれたし、様子を見てくる」
心配なんだろうに。
素直じゃないな、とルーチェはくすりと笑う。
「気をつけて行って来てね」
「ああ。……本当はお披露目会の準備を早く進めたかったんだが……帰ってきてからすぐ取り掛かる」
「そんなに急がなくても大丈夫。――キウロスさんによろしくね」
アザールの表情が途端に苦いものに変わった。
「……癪だが伝えておく」
アザールはすぐに荷物をまとめて一時間とせずに首都へ向かうことになった。
「行ってくるよ」
軽いリップ音とともにアザールはアンブルの頬にキスを落とした。
そのままルーチェの頬にも攫うようにキスをした。
「ア、アザールっ!」
ドキリとしたルーチェが反応するより早く、彼は用意してあった馬車に軽やかに乗ってしまった。
車窓から悪戯な子供のような笑い顔が見えると、ドギマギしていたルーチェもなんだか毒気を抜かれてしまう。
遠ざかる馬車を、ルーチェとアンブルはしばらくの間見送っていた。
馬車が見えなくってからレオラが教えてくれたことだが、今回の件はどうもきな臭いらしい。
「アザール様たちの経営はほかと比べれば堅実すぎるぐらいには真っ当です。同業の方々は平民の役者を低賃金で雇い入れたりしているところを、アザール様たちはしっかりした給与で……むしろ高待遇で迎え入れています」
しかも、定期監査がついこの間終わったばかりだという話だ。
そのため、今回の件はよほど青天の霹靂だったらしい。
「タレコミしてくれた職員も本来ならば処分の対象となりますが、そのリスクを負ってもいいと思う不審ななにかがあったのでしょう」
「アザールたち大丈夫かな……」
思っていたよりも不穏な気配がする。
ルーチェの不安を感じ取ったようにアンブルも「うぅ……?」と眉を寄せていた。
「大丈夫です。キウロス様はのらりくらりと話を交わすのが上手いですし、アザール様は真面目な顔をすると妙な説得感が出ますから」
あの人学生時代は意外とやんちゃだったんですよ、なんて冗談めかした口調でレオラは笑った。
「そうなの? アザールは根も真面目そうに見えるけど」
「真面目ですし義務感も強いですが、年相応なところもあるってことです。クリケット大会の直前、遅くまで練習しすぎてチーム全員で寝坊の大遅刻をしたときも心底悔やむ顔で謝罪して教員を納得させたらしいですから」
裏話として、その練習の発案者はアザールであり、職員棟を出たあとにケロッとした顔で「年一ぐらいならこれ使えそうだな」と言っていたらしい。
その時のことを教えてくれた当事者でもあるキウロスは「なんて面の皮の厚いやつだ……!」と慄いたそうだ。
「あははっ! 本当にアザールがそんなことを言ってたの?」
「もちろん本当ですとも。グレンヴィア家に仕えて早二十年――このレオラ、嘘は申しません」
とくに年が近いアザールのことで知らないことはない。
――と、芝居がかったように豪語するからさらにルーチェは笑ってしまった。
「じゃあ仕えて二十年のベテラン執事さん、クリケットってなんですか?」
「ではクリケットとアザール様の出会いから始めましょう。といっても寄宿学校の授業の一貫だったというだけなんですが――」
レオラの語りをお供に、三人は屋敷へと戻る。
これが不安がるルーチェたちへの慰めだと分かっているから、余計にその心遣いが嬉しかった。
そして、アザールが首都へ旅立ってから二日。
今度はルーチェに手紙が届いたのだ。
差出人はアンネ。
中身は、緊急性を感じさせる先走った文字で記されていた。
――お願いルーチェ。どうかリオンを止めて。
――あいつったら男爵夫妻を私刑を与えるって言い出したの。




