Ep.25 平和は夢のまた夢でした
「…………ああ、母上にも伝えておくよ」
一見、クロード様は柔らかい笑みを浮かべているが、私には分かる……。
この笑顔には『怒り』の感情が隠されていることを…………。
何度か、お怒りスイッチに触れたことのある私だ、間違いない!
その証拠に私以外にも、側近三人衆たちの顔に『ヤベエ……』と書かれている。
今、私と彼らの気持ちは一つだ。お願いします……これ以上、クロード様の地雷を踏み抜かないで下さい!!
もはや、スライディング土下座をしたいほどである。
今ならまだ、ちょこっとお怒りスイッチに触れた程度で済む。
だが、これ以上の保証が出来ない。
……しかし予想通り、私たちの切実な願いは届くことなく……。
「————あ、あと……その、帰り際に抱き締めて下さったことも…………」
ぽっと頬を赤らめさせて顔を包むように両手を添え、「ありがとうございました……」と告げた瞬間……私たちの会話を聞いていた他の生徒たちがざわめいた。
…………おっふ……抱き締めたって……まさか、帰り際にコケた時のことだろうか?
あれは、たまたまクロード様が通り掛かって『『受け止めた』だけだが、アイリス嬢の頭の中では『抱き締められた』に変換されたのか……。
好きな人に抱き留められて脳内妄想しちゃうのは仕方がないけれど、現実と混同して事実を捻じ曲げる……もとい、周囲の印象操作をするのはよろしくないと思うんだが…………。
「え、どういうこと? 王太子殿下とアイリス嬢って、そういう……?」
「そうじゃなければ、抱き締めるなんてしないんじゃないか?」
……案の定、周囲の生徒たちは勘違いしてしまい、ヒソヒソとそんな声が聞こえる中……目の前のアイリス嬢は照れながら、もじもじとしている。
淑女の微笑みを辛うじて保ってはいるけれど、ものすごーーく右隣から冷気のようなものを感じ、寒気がする…………。
……見たくないけれど…………本当に見たくなかったんだけれど! 一応、チラッとクロード様の方へ視線だけ向けると……先ほど以上にいい笑顔————なはずなのに背後から黒いものが溢れ出ている気がする…………。
……これ、漫画なら背景にゴゴゴゴゴォーーという効果音が書かれているんじゃなかろうか……。
え、微笑み? もはや、そんなの保ってられませんよね?
一刻も早くこの場から走って逃げたい! それが無理なら、そっとフェードアウトさせて欲しい!!
そんなことを考えていたら、どうやら無意識に一歩後退っていたらしく……その瞬間、ガシッとクロード様の手が私の腰に巻き付き抱き寄せられた。
急に抱き寄せられた勢いで、クロード様の胸元に顔面をぶつけ「ウブッ」と間抜けな声を漏らしかけたが、そこは根性で回避。
けれど、突然の出来事に脳内の処理能力が追いつかず、うっかり顔を見上げると、私にも同じ笑顔を向けているぅーーー!!!!
「……どうしたの?ベアトリス?」
「イ、イエ……ナ、何モ…………」
体がピシィーッと硬直してしまい、口が上手く動かず片言で答えると、「そう? ……悪いけれど、少し待っててね?」というお言葉に必死にこくこくと頷く。
その反応に満足したのか少し笑みが和らいだけれど、再びアイリス嬢に顔を向けた時には先ほどと同じ笑顔に戻っていた…………。
「…………シュプリーム子爵令嬢、言葉は正しく使ってくれるかな? 私は君を抱き締めたんじゃない、転んだ君を『受け止めた』だけだ。誤解を招くような発言は控えてくれるかい?」
私を抱き寄せたあたりから周囲も、アイリス嬢も、何か様子がおかしい? と気付いたようで困惑していた。
そこへクロード様から改めて視線を向けられ、名前を呼ばれたことで目に喜色が浮かんだけれど、淡々と彼女の先ほどの発言は『事実ではない』と周囲にも分かるように、はっきりと告げられた。
「……そ、そんな……私……そんなつもりじゃ…………」
「殿下の仰る通りですわ。そもそも、貴女……あまりにもマナーがなっていらっしゃらなかったから、子爵夫人に連れられて途中でお帰りになったのではなくて?」
アイリス嬢が現れたあたりから状況の変化に私と同じく付いてこれなかったのか、空気と化していたシュバルト公爵令嬢がようやく復活したらしく、扇子をバサッと開き口元を覆い隠すと痛烈に批判した。
ただでさえクロード様に事実を突きつけられた上に強く苦言を呈され、更に追い打ちをかけるようにお茶会での出来事までバラされて、桃色の瞳に浮かんでいた大粒の涙がついにボロボロと溢れてしまった……。
…………ああ、やっぱりこうなるのかあ…………。
もはやクロード様の腕の中で遠い目をするしかなく、事実を知った他の生徒たちからは「何だ、受け止められただけか……。それは抱き締めるとは言わないよな」とか、「……王妃殿下主催のお茶会を途中退席させられるなんて……一体、何をしたらそうなるのかしら?」という嘲笑の声が聞こえてきた。
当然その声は彼女にも届いているわけで……俯きながら涙を流し、お茶会の時と同じように制服のスカートをギュッと握っていたけれど、ついに耐えきれなくなったのか、いきなりその場から走り出し教室から出て行ってしまった…………。
「……まあ! 殿下にお詫びもせずに、しかも走って逃げるなど……。一体、Sクラスに入る前の貴族教育はどうなさったのかしら?」
シュバルト公爵令嬢は再び扇子を閉じて、わざとらしく「困ったわねえ」とでも言いたそうな顔をして小首を傾げた。
こんなことになる前までアイリス嬢と一緒にいたと思われる令嬢たちは、そんな様子を見て気まずそうに視線を逸らしている。
……まあ、そうなるよねえ…………。
彼女と一緒にいたということは限りなく下位貴族、もしくは平民の可能性が高い。
彼女たちは決してマナーが悪いわけでも、貴族社会のルールを破っているわけでもない。
少なくとも、私たちの前では。
けれど、アイリス嬢と一緒にいるだけで彼女たちも一緒くたにされてしまう。
一人一人、個人としてはちゃんとしているのかもしれない。
でも、私もクロード様も、他の生徒たちも、彼女たち個人のことを知っているわけではない。
そういう色眼鏡で見ないということは当然大事なことだけれど、貴族には『危険回避』が求められる……というか、それが出来ないと貴族として失格だという考えもある。
何故なら、それだけのものを私たちは背負っているからだ。
貴族家の中の一人の言動一つで、家の事業に影響が出るかもしれない。
そうなると領地があれば、領民に影響が出るかもしれない。
領地がなくとも、他の家族の縁談や仕事に影響があるかもしれない。
全ては『かもしれない』だけれど、その可能性がある以上、それを無視するわけにはいかないのだ。
アイリス嬢はそれを分かっていない。
自分が『シュプリーム子爵家』の一人だという自覚がない————。
何気ない一つの言動が家門に、『家族に影響を与えるかもしれない』という意識が圧倒的に欠けている。
途中から父親の子爵に引き取られ、家の中で無意識に疎外感を感じているのかもしれないが、今現在シュプリーム子爵家で暮らしている以上、それを無視することなど出来ないのに…………。
……何だかなあ……。どちらかと言えば、私も自分の意思に反することからは逃げようとするタイプだ。
それでも、自分の言動によってアッシュローズ公爵家や家族、屋敷で働く使用人、そして領民たちに影響を与えたいわけではないから、その辺は気を付けているし、だからこそクロード様の方から婚約を解消して貰えるのを待っているわけで…………。
そんなこと気にしなくていいって言うなら、もう今すぐにでも学園を辞めて領地に引き篭もるか、近隣国へ逃亡していただろうなあ。
……うーん、これはアイリス嬢の精神が幼いせいなのか……はたまた私の精神年齢がアラサーだったからなのか…………。
こういう時、『年相応の考え』というのが分からないんだよねえ……。
日本ってどちらかと言えば、『みんな横並び、みんなで手を繋いで成長しましょう!』だけれど、この世界って文化的にはヨーロッパに近いと思うから『成長出来るなら、一人だろうと周囲を気にせず、どんどん成長するのが当たり前!』精神で、そもそもの考えが違うんだよねえ。
…………はあ、とにかくやはり今日は平和に過ごす、というのは無理そうだ。
誤字報告ありがとうございます┏○ペコッ




