閑話〜アイリスside〜②
しばらくはマーサがテーブルマナーなどの礼儀作法や言葉遣いを教えてくれた。
平民は特有の訛りがあるから貴族が聞けばすぐに分かるらしく、言葉遣い一つで他の貴族に侮られて蔑まれる要因になるからと、何度も細かく直された。
食事はいつも一人私室で摂った。
お父様やお義母様たちと食堂で食べるには、テーブルマナーが必須だと……。
幼子なら許されるけれど、いくら最近引き取られた元平民だとしても私の年齢でマナーがなっていないのは眉を顰められることなんだと告げられた。
お母さんはこの家で働いていたけれど平民だったから、当然礼儀作法なんて知るはずもなく、教えて貰ったことなどあるはずもない。
食事の様子をマーサが見て、間違えた時は指導をされる————そんな風に練習を重ねたら三月ほどで言葉遣いと食事マナーはどうにか身に付けることが出来た。
ただ『咄嗟の時は素が出てしまうから、気を付けなければならない』とも言われたけれど。
マーサから合格点を貰えた翌日の朝食から、食堂で食べることをお父様に許された。
朝起きて顔を洗ってから身支度を整えて……マーサの案内で食堂へ向かう。
歩きながら、そう言えばこの屋敷に来てから私室か庭園にしか行ったことがなかったから、屋敷の中のことを全く知らないことに気付いた。
「ねえ、マーサ」
「はい、何でしょう?」
「私、この屋敷の中のことをよく知らないのだけれど、後で案内してくれない?」
私の頼みに一度足を止めてから柔らかく微笑み、「承知致しました」と答えると再び歩き始めた。
マーサがある扉の前で立ち止まり、コンコンとノックしてから「失礼致します」と声をかけ、私の到着を告げると中へ入るように促した。
おずおずと室内へ足を踏み入れると大きなテーブルがあり、正面にはお父様、その右隣にはお義母様、その隣に異母兄たちが座っている。
「お嬢様、こちらへどうぞ」
初日にベルナールと名乗っていた家令が、私を席まで案内してくれた。
私の席はお父様の左斜め前、つまり嫡男である上の異母兄の向かい側だった。
後で知ったけれど、『庶子』は正妻や嫡子と同じ並びに座ることも当主の隣に座ることも許されないらしい。
もっと厳しい家だと一番隅っこや別テーブル、もしくは別室で食べさせられることもあると聞いた。
本には書いていなかった現実の『貴族』による『庶子』への扱いは、思った以上に厳しいものだと嫌でも思い知った。
『家族』と食べる初めての食事は、教わったマナーに気を付けなければならない上、お義母様と異母兄たちから流れてくる固い空気に居心地が悪く、味なんて全く分からなかった。
「うむ。だいぶ平民訛りもなくなったし、食事のマナーも身に付いたみたいだな」
食後の紅茶が運ばれてきて、ようやく口を開いたお父様は満足げに笑みを浮かべているけれど、向かい側にいる三人は無表情のまま黙って紅茶に口を付けている。
「この分なら家庭教師を付けても大丈夫だろう」
「はい、ありがとうございます……あの、お父様。そろそろ教会にも行かなければならないのですが……」
どうやら既に家庭教師は決まっていたようで、早速勉強を始めることになったけれど、教会でのお勤めもしなければならない。
私の言葉にお父様は顎に手を当てて、少し唸るように考え込んだ。
「うむ……とりあえず貴族の基礎的な教育を受けている間は、一度お勤めを休ませて貰おう」
「……父上、まさか彼女を王立学園へ入れるおつもりですか?」
お父様の言葉に上の異母兄が眉を顰めて問いかけた。
二人が何の話をしているのか分からなかったけれど、聞いている内に何となく理解した。
どうやら貴族子女は十六歳になったら王立学園に通う者が多いらしい。
それは少しでも良い婚約者を見つける為だったり、自分の将来の為だったり、家の為だったり……。
けれど、必ず通わなければならないわけではないようで——特に下位貴族には費用負担が大きく、通ってもせいぜい各家で二人くらいなんだそう。
上の異母兄からしたら子爵家の資産を何故、庶子なんかに使わなければならないのか?ということのようで、それはお義母様と下の異母兄の顔を見ると同じ考えなのだと分かった。
お父様は私を学園に通わせて、少しでも上位貴族と結婚させたいと考えているようだ。
既に『聖女』という付加価値があるけれど、上位貴族へ嫁ぐにはそれだけでは足りないみたいだった。
これも本にはなかった。
だって本では、平民や下位貴族の女の子が王子様や公爵子息に見初められて結婚していたもの……。
このまま『聖女』という肩書だけで嫁いだらどうなるのだろう?
せいぜい同じくらいの家格である男爵家や子爵家だとしたら……これからも今のような扱いを受けるかもしれない。
けれど、格上の家だったら?
マーサが言っていた、『例え親兄弟であっても嫁いで身分が変わったりすると、それに合わせた礼を取らなければならない』と。
もしシュプリーム子爵家よりも格上の子息と結婚したら——もうこの人たちとは住む世界が変わり、こんな扱いをされることはなくなる————。
結局お父様は異母兄たちの反対を聞くこともなく、私を学園へ通わせることに決めて、私は少しでも上の身分の人たちと結婚出来るよう、毎日一生懸命勉強も礼儀作法も頑張った。
もちろん後ろ盾を失うわけにはいかないから、合間を縫って教会でのお勤めも果たした。
そのおかげで平民や下位貴族たちの間で私が『聖女』だという認識が広まり、徐々に評判が上がっていった。
お義母様は元々あまり関わることがなかったけれど、異母兄たちは友人たちから私を賞賛する声をかけられることが増え、たまに屋敷内ですれ違うと憎々しげに睨まれることもあった。
——————
「アッシュローズ公爵令嬢ですか?」
それは教会でお勤めを終えた後だった。
その前日はたまたまお勤めが休みの日で、その時に運悪く重篤な患者がやって来たという。
遣いを出して私を呼ぼうかと思っていた時に、ちょうど王太子殿下とその婚約者のアッシュローズ公爵令嬢が視察に来たそうだ。
「アッシュローズ公爵令嬢はあまり知られていないが、光属性魔法をお持ちでね。その場ですぐに治癒魔法を施してくれたのだよ」
牧師様は手を合わせて祈るように感謝の言葉を述べた。
「それは良かったですね」と淑女教育の賜物である微笑みを浮かべて返したけれど、何だか心の中がもやもやした。
別に感謝されたいわけでも、感謝されていないわけでもない。
治癒魔法を掛けると皆が「ありがとう」「助かりました」と感謝の言葉を述べてくれる。
高位貴族の中には平民を嫌悪し、奴隷のように考えている人がいることも知っている。
だから貴族の中でも最も身分の高い公爵令嬢が、平民相手に自分が汚れるのも厭わず治癒魔法を掛けてくれたことが珍しくて、大仰に感動しているんだろう。
そう、自分に言い聞かせた。
————だって、そうじゃなきゃズルイじゃない?
身分もお金も、王太子殿下という最高位の婚約者もいて、更に光属性魔法も持っているなんて……。
私には『聖女』という価値しかないのに————。
アッシュローズ公爵令嬢————まるで本に出て来る『悪役令嬢』みたいな人なんだろう。
そう考えたら何だか、ストンと胸の中に落ちた気がした。
——そうか……きっとそうなんだ。
本と同じ高位貴族だし、王太子殿下も政略結婚だから仕方なく婚約しているだけなんだ。
アッシュローズ公爵令嬢は学園に入学するだろうか?
ううん、絶対にするに決まっている。
『王族は学園を卒業しなければならない」と、家庭教師の先生が言っていた。
————なら、きっと学園で会うことになるだろう……王太子殿下とも。
「……救ってあげなきゃ」
王太子殿下も、アッシュローズ公爵令嬢も————。
私は学園へ入学した後の未来へ、思いを馳せた————。
誤字脱字報告、感謝です┏○))ペコッ




