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9 お見舞い

 掃除の後、教室に戻ると、山下海斗はまだ残っていて、数人の友人達と駄弁だべっていた。

 けれど訊いてみると、LINEや電話番号は知っていても、彼を含め敦史の住所まで知っている人は誰もいなかった。

 困った私は、あまり気乗りはしなかったのだが、目方先生に彼の住所を教えてもらうため、仕方なく職員室へ向かった。


 職員室の自分の席で、デスクワークをしていた目方先生を見つけて事情を話すと、

「そうですか、困りましたねえ」そう言って少し考えるような素振そぶりを見せた。


「生徒同士が個人間でそういったやり取りをするのは別に構わないのですが、それを学校の教員がむやみに教える訳にはいかないのですよ。個人情報保護の観点から、最近はそういったことが特に厳しくなっています」

 先生は入学時に生徒が提出した、『生徒カード』なるモノがじてあるフィルを手に持ちながら説明してくれた。目元に優しい笑みが浮かんでいる。


「そうですか…」

 私がそう言ってうなだれた時、

「ちょっと失礼」と目方先生は別の先生に呼ばれて席を立った。その時一瞬、先生が私に目配めくばせをしたような気がした。

 見ると、机上にはさっきのファイルが、まるでわざとのように置かれたままになっている。

 私は左右を見回した。近くに他の先生の姿はない。


(先生、ごめんなさい!)

 

 思わず私はそのファイルを手に取り、パラパラとカードをめくった。



    ☆☆☆☆☆☆☆☆



 『生徒カード』にあった藤井敦史の現在の住所は、意外なことに今私の住むマンションからそれほど遠くなかった。

 考えてみると、通学経路がほぼ同じなのだから、始業式の朝、駅の階段で彼に助けられたのも、全くの偶然という訳でもなかったのかもしれない。



 学校帰りに、自宅の最寄り駅の一つ手前で電車を降りた。

 改札を抜けると、私はすぐにスマホを取り出した。画面にはさっき撮った、敦史の手書きと思われる通学経路の地図が映っている。


 十年前、既にスマホは普及し出していたけれど、愛奈が使っていた去年発売のモデルを手に取った時は、その使い易さ、進化の凄さに驚いて目をみはった。


 根っからの田舎育ちで、方向音痴でもある私は、生まれ変わる前、分からなければすぐに地図アプリを使うことにしていた。

 けれど、彼の住む部屋が駅からほぼ一本道であることもあって、スマホを片手に地図を見ながら、今日は道に迷うことなく無事に辿(たど)り着くことが出来た。

 それと、途中見かけたスーパーで、買い物をすることも忘れなかった。彼が一人暮らしなら、お昼休みに菓子パンやコンビニ弁当が多かったのにも納得がいく。

(きっといつも大したもの食べていないんじゃないかなぁ。病気なら尚更なおさらだよね。お見舞いついでに何かつくってあげよう)



 見上げた建物は、まだ築年数があまり経っていないようで、とても綺麗だった。

(一人暮らしなのに、なんだか随分良い所に住んでるのね)


 マンションのエントランスに設置された郵便受けで、部屋番号と名前を再確認してエレベーターに乗った。

 六階で降りて部屋の前まで来ると、大きく一つ息を吸い、意を決してドアのチャイムを押した。


「はい…」

 しばらくして、インターフォンから眠そうな彼の声が聞こえてきた。

「あの、突然ごめんなさい。同じクラスの永戸ですけど…」

「えっ⁉︎ 永戸さん!」

 スピーカー越しに驚きの声と、不意の訪問にドタバタと彼の慌てている音が聞こえてきた。

「ちょっ、ちょっと待って!」

(あらあら、あんなに慌てちゃって、あっくんたらカワイイ。でもそうだよねぇ。一人暮らしの部屋に、急にクラスの女子が訪ねてきたら、そりゃ焦るよね)

 年頃の男の子らしい、初々しい彼の態度に、母としての私は思わずニヤニヤしてしまった。



 しばらくして、ようやくドアが開き、パジャマ代わりと(おぼ)しきジャージ姿のまま、敦史が玄関先で出迎えてくれた。元々軽くカールの掛かった髪が寝癖で少しねている。


「ごめん、こんな格好で」

「こっちこそ急に押し掛けちゃって。具合はどう?」

「うん。だいぶ良くなったし、明日は行けると思う」

「そう、よかった」

 安心して思わず笑顔になった。


「でもどうしたの? 急に」

「あのね、今日の帰りのSHRで遠足の班行動の計画表、提出は明日までだって言われて。確かあれ、藤井くんが持ってたよね?」

「ああ、そうかぁ…、ごめん。そうだ、俺が持ってたわ」

 敦史は顔をしかめ、頭をいた。


「でね、班のみんなに言われて、副班長の私がお見舞いも兼ねて取りに来たんだ」

「そうだったんだ。ちょっと待ってて、今探して来るから」


 奥の方へ探しに戻ろうとした彼の後ろ姿に声を掛けた。

「藤井くん、一人暮らしって本当?」


「えっ? うん」


 私は振り返った彼の顔を上目遣いでのぞき込んだ。

「ちゃんと食べてる? 一人だとろくなモノ食べてないんじゃない?」

「ああ、まあ、そうかも…」きまり悪そうに横を向いた。


「あがってもいい?」って、思い切って言ってみた。


「えっ! い、いいけど。ああ…、いやでも散らかってるし」

「もしかして誰かいるの?」

 言いながら私は軽く身を斜めにして中を覗き込んだ。

「そんな、誰もいないよ! ああいや、だからその方が逆にマズイかも…」

 言ってしまってから、余計なことを言ってしまったと気まずそうに目をらせた。


(何言ってんの、私はあなたのママなのよ、何も気にすることなんてないんだから!)


「お買い物して来たんだ。何かつくるね」

 手にした買い物袋を軽く持ち上げた。

「いや、でもそんな悪いよ!」


「お邪魔します!」

 彼の言葉は無視して、そう言ってローファーを脱いで上がり込むと、戸惑う彼を置いて廊下の奥へ入って行った。


「ねえちょっと、永戸さん!」

「いいの、任せて!」


(病気の息子の看病をして、食事の世話をする。そう、これは母としての私の勤め。やましいことなんか何もないんだから!)



   ☆☆☆☆☆☆☆☆



(へえ、意外と綺麗にしてるのね。感心感心)

 部屋の中をさりげなく見回してそう思った。


「本当に一人暮らしなんだね。ついでだからお掃除とかお洗濯とかもしていくね」

「そんな! いいよ悪いよ」

 大慌てであたふたしながら敦史が言う。


「いいの、どうせついでだし。おかゆとかつくっている間にやっちゃうから!」

 有無を言わせない私の態度に、少し呆気あっけに取られている敦史を見てにっこりと笑った。


「大丈夫だから、寝てて」

 久しぶりに彼の母親に戻れたような気がして、私は何だかとても嬉しかったのだ。




「ふうっ、ふうっ。…はい、あ〜ん」

 スプーンにお粥を一口(すく)って、目の前に差し出した。

「えっ⁉︎ 」 

 敦史が驚いた顔で私を見た。


「だ、大丈夫! 自分で食べられるから」

「ダメダメ! 病人は大人しくしてなきゃ」私は少し恐い表情をつくって彼の眼を見た。

「でも…」

「いいから。ちゃんとママの言うことききなさい!」

 小首こくびかしげて笑いながら、ちょっとふざけた私の言葉に、敦史はあきらめたようにゆっくりと口を開け、目の前に差し出されたスプーンをくわえた。


「どう?」

「うん、恥ずかしい…」

「えっ?」

「でも、美味しい」

 テーブルの向かいの席で、一口食べた敦史が顔を上げて微笑んだ。


「よかったぁ。お口にあって」

 少しホッとして言った。彼の母親だったかつての私も、専業主婦である愛奈の母に、すべての家事を任せきりの今の私も、どちらの私も料理はあまり得意ではないから。


 けれど、なぜだか急に、彼はじっとうつわの中のたまご粥を見つめている。

「どうしたの?」

「なんだか、永戸さんって不思議だなって思って…」

「えっ?」

「このお粥、昔、母がつくってくれたのにすごくよく似てる」

 顔を上げ、私をじっと見ている。


(しまった! もう少し料理のレシピをアレンジすればよかった…。とは言えアレンジって言ってもお粥だしね…)


「そ、そうなんだ…。偶然だねえ。ほ、ほら、『他人の空似そらに』とかよく言うじゃない」

「えっ? 何それ?」

 敦史が可笑おかしそうに吹き出した。


「あれっ? そっか、ちょっと違うか、アハハッ」

「全然違うよ」

 二人で顔を見合わせて笑った。


 ふと、幼かった頃の敦史の姿が、可愛く無邪気な笑顔が目に浮かんできた。(なつ)かしい、いとおしい、何よりも大切だった私の息子。

 まさかまたこんなふうに、親子で笑い合える日が来るなんて。(女)神さまありがとう。私は今、心からそう思っている。



「あっ、そうだ。もっと水分をらないとね。何か取って来るね」

 私が立ち上がると同時に敦史も立ち上がった。

「いや、自分で取って来るよ!」

「ううん、いいから座って待ってて」

 そう言って行こうとした私の腕を敦史が掴んだ。驚いて振り返った。


「どうして…、どうして俺なんかに、そんなに優しくしてくれるの?」

「えっ⁉︎」

 とても真剣な彼の眼差しに、一瞬たじろいだ。


 その時、不意にインターフォンから来客を告げる音が響いた。






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