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8 胸いっぱいの愛を

  

 夕飯の前にお風呂に入った。

 湯船にとっぷりと浸かりながら、今日の出来事をあれこれと考える。


 それにしても、私から彼の母、つまり死んでしまった(もと)の私の匂いがするって、一体どういうことだろう? そんなこと本当にあるのだろうか…。


 あの後、敦史はこの係分担表は自分が先生に届けておくから、先に帰っていいと言ってくれた。

 私の体調が朝からすぐれなかったことを知っていたし、二か月もの間、植物状態で意識が戻らず、寝たきりだったことも後で他の人に聞いたらしい。


「無理しないで、今日は早く帰った方がいいよ」と優しい笑顔でそう言ってくれた。小さかった頃の面影の残るその顔が、今も目に浮かんできて忘れられない…。


 

 そういう訳でその日はそのまま別れ、私が死んだ後に彼が誰に引き取られ、その後どのようにして育ってきたのか、その時は聞くことができなかった。


 そもそも、いま現在全くの赤の他人である私が、直接彼のい立ちに関する、そんな立ち入ったことを訊くのもどうかと思われるわけで。


 ただ彼が藤井の姓を名乗っているところをみると、元の私の旦那だんなである藤井敦也(あつや)の身内、おそらく祖父母に引き取られたのだと思われるけれど、もしかすると敦也の兄の伯父おじ夫婦かもしれない。


 だとすると私が亡くなった後、私の両親は一体どうしてしまったのだろう。普通に考えれば彼らが敦史を引き取ることになりそうなものだけれど。


 早速明日からそれも調べてみようと思った。でもどうやって…。いきなり永戸愛奈、今の私が電話や何かで元の両親に連絡するわけにもいかないし。ましてや私は中井和泉だと、死んだ娘の名を語って彼らに連絡するわけにもいかないだろう。



 それにしても今日の放課後の私の行動は、今考えてもちょっと恥ずかしい。思い出したらまた恥かしくなってきて、鼻の辺りまでぷくぷくと顔が湯船に沈んでいく。


 あの時、私が死んだ日のことを思い出して苦しんでいる敦史を見て、衝動的に彼を抱きしめてしまった。

 私としては思わず母としての、そう、ただの母性本能の現れだと思うのだけれど…。


 でも彼はあの時どう思っただろうか。不意に今までほとんど面識のなかった同級生の女の子の胸に抱きしめられて…。


 それに問題はこの胸だ。自然と視線がお湯にかった二つの大きな胸にいく。

 かつての私の胸であれば、それほど気にならなかったと思うけれど、今の私、愛奈のこの胸は…。思わず両手で下から持ち上げてみた。


(やっぱり大っきいよね、誰が見ても。絶対この感触、あの子に伝わっちゃったよね。十六歳の男の子にはちょっと刺激が強かったかしら)


「愛奈ぁ! いつまでお風呂入ってるの? 夕ご飯できたわよ!」

 

 キッチンから母の呼ぶ声が聞こえてきた。



    ☆☆☆☆☆☆☆☆



 あの衝撃の始業式の日から二週間ほど経った。


 その日以来、多少仲良くなったとは言え、一二度一緒にHR委員の仕事をした時くらいしか、彼とまともに話をする機会はなかった。


 今の敦史の生活環境など、いろいろと訊きたいことや、気になることはあったのだけれど、まあ、今も昔もクラスメイトの高校生の男女なんて大概そんなものなのだろう。

 

 それに元の私の両親と連絡を取る手段も結局思い浮かばず、いまだ二人の消息もわからない。電話がダメなら直接会う、のは無理にしても、行けばせめて遠くから実家の様子をうかがうくらいのことは出来ただろう。


 しかし、生憎あいにく北陸の田舎町にある私の生家へは、東京から新幹線や飛行機を使っても移動時間だけで往復六、七時間はかかる。休日に、しかも日帰りで、とても親に黙って女子高生が一人で調べに行ける距離ではなかった。


 けれどそんなある日ちょっとだけ事態が動いた。

 

 敦史が突然学校を欠席したのだ。




「藤井君、大丈夫かな? 風邪だって連絡があったって、目方先生言っていたよね」

 お昼休み。私の席の周りに集まって一緒にお弁当を食べている加奈が、すぐ後ろの席を見ながら言った。


「さあ…」

「でもさ、今日で三日目だよ。愛奈、気にならないの?」

「そう言われても…」

「愛奈なら、なんか知ってんじゃない?」

「なんかって?」

「だから、明日から来られそうとか、まだ熱が下ってないとか」


「どうして私がそんなこと知っているのよ?」

「だってあんたら、仲良さそうじゃん」麻友が口をはさむ。

「そうそう、LINEとか知っているんじゃないの?」


「知らないよ。ただ何回か一緒にHR委員の仕事をしただけ」

「そうなん?」


「クラスの連絡網とかもないしねえ」

 ぽつり、と私が言うと、

「だから作ればよかったのに・・・」

 二人が非難がましい眼で私を見た。


「なんで二人とも私のこと見るのよ?」

「だって、あんたと藤井君がHR委員でしょ、あんた達がみんなに呼び掛ければよかったじゃない」

「そうだよ、なんで今年のクラスはそういうのないんだろうって、言ってる人結構いたし」

「そうなの?」

「学校で公式に作ることはしないけど、自分たちでLINEのグループとかを作るのまでは禁止されてないでしょ」

「あっ、そっか!」

「コレだよ」麻友があきれたように言った。


(そうだ、面倒くさいHR委員なんかやってんだし、それくらいの職権乱用は許されるよね。そうすれば敦史の連絡先だって自然に訊けたのに。どうやったら彼と連絡先を交換できるだろうと散々悩んでいたのに。はあ~あ、何やっていたんだろう、私)




「ねえ、海斗! あんた藤井君どうしてるか知ってる?」

 麻友が教室の後ろで、スマホから曲を流し、皆に下手なダンスを披露している山下海斗に向って叫んだ。


「ええっ? ナニ? 敦史? 知んね、死んでんじゃね。アイツ一人暮らしだって言ってたし」

 そう言った海斗は、ダンスにしては奇妙な動きで、しかし本人はいたって真面目に踊っているつもりらしい。


(一人暮らし⁉ えっ? どういうこと?)


「ああ、でも昨日連絡した時はまだ熱が下がんねえ、って言ってたなぁ ――ひゅう!」

 リズムに合わせて叫ぶ。


「…だってぇ」

 こちらに向き直った麻友が言った。

「ふうん、藤井君って一人暮らしなんだ」

 意外そうな顔で加奈も言う。

「愛奈は、知ってた?」

「ううん、私も今初めて聞いた」


  ***********


「・・・と、言う訳ですから、遠足当日の各班のメンバー表と行動計画は、明日までに提出してもらいます。いいですね」

 帰りのHRで目方先生が言った時、私は何も考えていなかったのだが・・・。



「ねえ、私たちの班の行動計画表って、藤井君が持ってるんじゃなかったっけ?」

 特別区域の西階段の掃除をしながら、思い出したように加奈が言った。


「えっ! ああ、そうだった」

 私は階段の途中で加奈を見上げ、自在箒じざいぼうきを握りしめながら思い出したように言った。

「どうするん? 明日までだって、さっき先生言ってたじゃん」

 扇形をした持ち手の着いた、小さなプラスチック製のちりとりを、右手でくるくると回しながら麻友が言う。


「どうしよう…」

「そりゃあ、副班長である愛奈がなんとかしなきゃねえ」

 加奈が意地悪そうに笑いながら言う。

「明日来るかな、藤井君…」

「そんな心配だったら、お見舞いがてら取りに行ったらいいっしょ?」

 麻友がそう言うと、加奈もそれに同意する。

「そうねえ、それがいいかもよ」


「そっか…」

(確かに、一人暮らしで風邪ひいたとか聞いたらちょっと心配よね、やっぱり。できれば様子を見に行きたいなぁ)


「ねっ、二人とも一緒に行ってくれるでしょ?」

「そんな野暮なことはしやせんぜ、旦那!」と麻友がおどける。


「私はこれから部活だし」加奈もニヤニヤしながら言う。

「ええー、そんなぁ。でも、住所とかも知らないし・・・」


「よし、掃除終わり! そんなの海斗にでも訊けばいいんじゃネ!」

 叫んだ麻友が階段を駆け降りて行った。





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