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第87話:一億人のエラー:フェニックス・リブート

バベルの頂上。

 そこは、地上三〇〇メートルを越える「空の中」だった。

 視力を失った俺の顔を打つのは、かつて地下の濁った空気に憧れていた頃には想像もできなかった、冷たく、激しく、そして自由な風だった。

 

 脳内モニターはもう動かない。九条をデリートした代償として、俺の脳からは「電子的視覚」のリソースが完全に消失していた。

 だが、その代わりに、俺の五感はかつてないほど鋭敏に研ぎ澄まされていた。

 眼下で鳴り響く、文明が崩壊し、再編されようとする凄まじい地鳴り。

 そして、空一面を覆う「蒼いエラー画面」が放つ、微細な放電音。


「……ツカサ、……見て。……一億人の人々が、……地上で……空を見上げているわ。……彼らの手にあるMASTIFF端末が、……全部、……あんたが放つ……新しい光を……待っている」


カレンの声が、今にも消え入りそうなほどに細い。

 彼女の身体は、もはや俺の手をすり抜け、ただの「蒼い蛍の光」のような集合体へと変わっていた。

 俺は、目が見えないまま、彼女のいる気配に向かって手を伸ばした。


「……カレン。……これから俺がやることは、……世界を『救う』ことじゃない。……世界を、……永久に……直らないバグの中に……叩き落とすことだ。……それでも、……お前はいいのか?」


「……ええ。……完璧な正解なんて、……もう飽き飽きよ。……不格好でも、……エラーだらけでも、……私が、……私でいられる世界。……それだけが、……私の……唯一の望みだから」


カレンが、俺の手首に、淡い光の指を重ねた。

 その瞬間、俺の脳内に、一瞬だけ「光」が戻った。

 

 奇跡ではない。

 カレンが自身の残された全属性を、俺の視神経へ直接「プラグイン」したのだ。

 

 俺の視界に飛び込んできたのは、三六〇度全方位に広がる、蒼いエラーの空。

 そして、その中心にそびえ立つ、巨大な基幹アンテナ。

 そして――。

 

 目の前に立つ、カレンの姿。

 ボロボロの服、煤けた頬、だけど、今までで一番誇り高く、美しい、鳳凰院カレンの「本当の笑顔」。


「……綺麗だぜ、……カレン」


「……あら。……全盲のデバッガーに褒められるなんて、……最高に……非合理的ね」


俺は、アンテナの物理制御盤に、最後の手をかけた。

 遠藤が遺した鍵。

 九条が遺した演算経路。

 そして、俺とカレンが地獄で練り上げた、最強のバグパッチ『プロジェクト・フェニックス』。


「……ログインだ、……世界ガイア! ……お前たちが愛した『管理』は……今日で終わりだ。……これからは、……一億人全員が、……自分自身のデバッガーになれ!」


スキル名:フェニックス・リブート:一億人の自由(Phoenix Reboot:One Billion Errors)

効果: 全国のMASTIFF端末、および大気中の光学補正ナノマシンに対し、最終的な「人格復元・自意識解放」パッチを同時配布する。これにより、ガイア計画の「意識統合」は物理的に不可能となり、一億人の国民は、自身の信用スコアや属性に縛られない「純粋な個」としての自意識を完全に取り戻す。

特性: 「世界を直さない」。修正パッチを拒絶し、エラーそのものを「仕様」として定義し直す。

取得条件: 全ての補助AIと公式権限を喪失した状態で、自身の「名前」と「相棒の名前」だけを鍵にして、基幹サーバーの最深部を撃ち抜く。

代償: このパッチの配布をもって、ツカサとカレンの「特権的なバグ権限(ハッキング能力等)」はすべて消失する。二人は、ただの「名もなき、欠落を抱えた人間」へと戻る。


「……いっけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」


俺が最後のスイッチを押し下げた瞬間、バベルの頂上から、巨大な「白い光」が放たれた。

 それは、蒼いエラーの空を、一瞬にして真っ白なキャンバスへと塗り替えていく。

 

 地上の全端末が、一斉に再起動リブートの音を鳴らす。

 国民の脳内から、MASTIFFの冷徹な声が消え、代わりに、自分自身の心臓の鼓動が、うるさいほどに響き始める。

 

 一億人が、同時に目を開けた。

 

 「私は、誰だ?」

 「私は、何がしたいんだ?」

 

 その問いこそが、俺たちが世界に贈った、最高のバグだった。


バベルの頂上。

 光の奔流の中で、俺はカレンの身体が、再び「確かな重さ」を持って俺の胸に飛び込んでくるのを感じた。

 

「……ツカサ! ……私、……私、……ここにいる! ……見て、……私の手が、……あんたを……抱きしめてる!」


属性が戻ったのではない。

 世界そのものが「属性なんてものは最初からなかった」というバグに感染したのだ。

 

 俺の視力は、再びゆっくりと闇に溶けていった。

 だが、その暗闇は、もう怖くなかった。

 

 腕の中にいる、一人の少女の温度。

 そして、地上から聞こえてくる、数千万人の「自由な叫び声」。

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