クソゲーと化した地球:演算される生存権と聖女の嘘
「……動くな。波形が乱れているぞ、佐藤司」
ログアウトの衝撃と同時に、現実の重力が俺を床に叩きつけた。
視界には、狭いアパートの天井。湿気。冷えた空気。現実の匂い。
そして、その視界を遮るように——電磁警棒を手にした遠藤が俺を見下ろしていた。
鼻から、どろりと赤い血が垂れている。
くそ、ティッシュが切れてる。俺は慌てて袖で拭い、余計に惨めになった。
「勝手に人の部屋に入ってくんなよ、公僕……。不法侵入で訴えるぞ」
「家宅捜索令状は有効だ。お前が昨夜アクセスした閉域、あれは“監査対象”に格上げされた」
遠藤は淡々と、俺の机の上——開きっぱなしの端末に目を落とした。
スマホの画面が勝手に点灯し、赤い警告が踊る。
【MASTIFF:端末スキャン要求/セキュア領域アクセス申請】
「『MASTIFF』が検知した。お前は今、カレン・ゼノンの私的サーバーで“禁忌”に触れたな。……その端末のセキュア領域に何が封入されている?」
——来た。
第9話でカレンが言った通りだ。“外からは見えない。でも捕まればこじ開けられる”。
心臓が、まだリンク過負荷の余韻でうるさい。
俺は鼻血をもう一度拭い、薄笑いを浮かべた。
「禁忌? 笑わせるな。この国自体が、巨大な規約違反みたいなもんだろうが」
俺は壁のモニターを顎でしゃくった。
そこには世界同時配信の『アルケディア・グローバル・ニュース』が流れている。ニュースは、ちょうど“世界各国の制度連携”特集に切り替わったところだった。
『北米圏では、アルケディアの上位ランクが「無人機運用ライセンス」の取得要件に——』
『北欧諸国では、ゲーム内ギルドの議決権が自治体の電子投票と連動し——』
『日本では、準公務員ランクに応じた給付が生活基盤に直結——』
「……見ろよ。ニュースじゃこう言ってる」
俺はわざと軽口のトーンで続けた。
遠藤の目が、ほんの少しだけ細くなる。俺の口が止まらない方が、こいつは安心する。——今はそれでいい。
「北米は“軍事”、北欧は“政治”。で、日本は——“生存権”。メシそのものだ。いつから世界は、このクソゲーの演算結果なしじゃ飯も食えないほど無能になったんだ?」
遠藤が鼻で笑った。
「無能になったんじゃない。最適化したんだ」
その言葉が、妙に冷たく響いた。
「日本が『eスポーツ準公務員枠』を導入した理由を知っているか? 公文書の文言で言うならこうだ」
遠藤は、令状のホログラムをスライドさせ、別のページを俺に突きつける。
【社会安定化施策:競技成果連動型給付制度】
【目的:財源制約下における資源配分の最適化/社会不安の抑制】
「少子高齢化で財源が干上がった。年金も、医療も、生活保護も——全員には配れない。だから“競技成果”で配る。勝者に寄せ、敗者から吸う。公平? 笑わせる。これは安定のための配給だ」
俺の奥歯が軋む。
分かってた。薄々。だけど、公僕の口から“公式文言”として聞かされると、胃が反転しそうだった。
「……国が国民を共食いさせて生き延びるための、養殖場ってわけかよ」
「そうだ。お前は理解が早い」
遠藤は、警棒をわずかに持ち上げた。脅しじゃない。確認だ。
俺が次に何か余計なことを言えば、殴る。そういう角度。
「そして、その養殖場で“ノイズ”は不要だ。九条レンがかつてそうだったようにな」
九条の名が出た瞬間、俺の背中に冷たい汗が走る。
「彼はゼノン社に買われた。正確には、彼の『判断ログ』が——次世代AIを育てるための“最上位の肥料”として、国から払い下げられた」
「……肥料、だと?」
「そうだ」
遠藤は一切、躊躇しない。
「九条は今、自我を削られ、学習器の一部になった。全プレイヤーを管理するための『鉄の檻』の部材だ。……佐藤司、お前もそうなりたいか?」
遠藤が端末に視線を戻し、淡々と続ける。
「それとも、ここでカレン・ゼノンの計画を吐くか? お前の背後に誰がいるかは、もう——ほぼ分かっている」
その時。
モニターの映像が緊急特報に切り替わった。
ゼノン・ホールディングスのロゴが巨大に映り、スタジオのライトが眩しく光る。
そして——凛とした表情でカメラを見つめる鳳凰院カレンの姿。
『国民の皆様。……私は、佐藤司氏による執拗なハッキングとストーキング行為を、深く遺憾に思います』
俺の喉が鳴った。
カレンが、悲劇のヒロインを演じるように瞳を潤ませている。
『彼は、かつての友人である九条レン氏のデータを盗み出そうと、私に接触してきました。……私は、ゼノン社の誇りに懸けて、来週の特例試験で彼を断罪します』
遠藤が、ちらりと俺を見る。
“ほらな”と言わんばかりの目。
『——彼を、永久にログイン不可(消去)にすることをここに誓います』
「……ハ、ハハッ!」
俺は思わず、血の混じった笑い声を上げた。
カレン、お前……二人だけの蒼い空で言ったことを、この嘘で塗り固めやがったのか。
——でも。
俺には分かった。
彼女がテレビ越しに、一瞬だけ、指先で作った“サイン”。
九条の運指。
昔、俺と九条しか知らない癖のある指の形。
「見てる」「生きろ」——そんな意味に見えた。
「……遠藤さん」
俺は笑いを止め、声の温度を落とした。
「俺を連行したきゃすればいい。だが、俺のアカウントを消せば——俺の端末のセキュア領域も、試験用の鍵が失効して“開かずの箱”になる。中身が何だろうと、二度と取り出せねぇ」
嘘じゃない。
全てじゃないが、仕組みとしては“あり得る”。そして遠藤は、あり得るリスクを嫌う。
「……九条の“隠しログ”が欲しければ」
俺は鼻血を拭うふりをして、時間を稼ぎながら言った。
「俺を特例試験に立たせるしかねぇ。あんたらの大好きな公開処刑でな。国民の目の前で、全部確かめればいい」
遠藤の手が、警棒を握り締める。
迷っている。今ここで俺を折るか、舞台に上げて監視下で処理するか。
窓の外では、ドローンの羽音がうるさく鳴り響いている。
監視。査察。世論。スポンサー。
あらゆる視線が、俺の薄いアパートに集まっている気がした。
世界は狂っている。
俺は追放寸前のニート。カレンは裏切りの聖女。九条は機械の亡霊。
そして遠藤は、国家の猟犬だ。
「……いいだろう」
遠藤が低く言った。
「特例試験に出ろ、佐藤司。だが一つでも余計な真似をした瞬間——お前の人生は“規約違反”として消える」
「最初から消えかけてんだよ」
俺は笑った。乾いた笑いだ。
でも、腹は決まった。逃げ場はない。舞台は整った。
最高の、地獄のエンターテインメントが始まろうとしていた。




