この世の事情・1
具体的な描写はありませんが、ネグレクト表現があります。
今夜のメニューはある意味当然のことながら、鰤大根。甘辛く煮付けたそれは近所のおばちゃん達にもなかなか好評だった。
リンティスも気に入ったらしく、箸の動きが早い。
「うーむ。……脂っ気の強いこの魚が、こんなに美味くなるとは」
「そっちですか。……まあ、お気に召したなら良かったです」
材料費があまりかかっていないので、店側としても有り難いメニューではある。もらったスキルのお陰か料理の腕も上がり、料理すること自体楽しくなってきた鈴だった。
「また食わせてくれ。連中も、気に入っていたなら何よりだ。……それで、学生がどうしたと?」
「学生、というより子どもですね。こっちの子どもは二十歳を過ぎて仕事を始めてようやく独り立ちするのが一般的なんで……まだ最低でも後三・四年は親の庇護下にあるもんなんですが」
あの子どもは、他の子どもと明らかに違っていた。同級生だというが体も小さくその癖制服は薄汚れて見えた。サイズは大きめだったが、却って体の細さが際立って痛々しい。何だか他の子ども達も、それを承知で彼を案じる様子だった。
情報通のおばちゃん達も、その子がどこの家の子かわからないらしかった。他から移住してくる人がいない訳ではないが、前述通り大体は何等かの付き合いがある。全く何処の子かわからないことはまずない。
他の子どもと同じ中学校に通っている以上、校区内に住所があるのは間違いない。都会と違って隣の人が何をしているか知らない、ということのない地域だ、それで中学生の子どもが周囲に認識されていないとなると、親の方も近隣と殆ど付き合いがない可能性が高い。
「こちらの世界も何だか面倒だな」
「……人間が生きていれば面倒でないことはないんじゃないですかね」
嘆息するリンティスに鈴は溜め息混じりで切り返す。
社会や人種が異なっても、人が人として生きている限り互いの中で不平等やら派閥やらは出来るだろうし、不利益を被る者やつぶれる者も少なくないだろう。
『神』の加護を受けた鈴自身は不幸が寄り難いらしいが、実感はまだない。鈴としては自分が不運とは感じても不幸だとは思わない。普通に親の愛情を受けて育ち、色恋沙汰は縁が薄かったが縁あって結婚した相手とはそれなりには気心が知れていた、と思う。家庭を作るに至れなかったことは残念だが、それは不幸と呼ぶものでもないだろう。
対して、あの子どもは。明らかに環境が良くない。親の素性がわからない状態で滅多なことは言えないにせよ、異世界の神様に愚痴るくらいは許されるのではないかと思う。
「ネグレクトってやつかなあ」
「なんだそれは」
「育児放棄、ってことです。虐待ですね、子どもをきちんと育てようとしない」
それぞれの家庭にはそれぞれの事情があるから、周りからあまりどうこうは言いにくい。だがそれでも、髪も洗っていないような薄汚れた中学生は周囲の不審を煽るし、増しておばちゃん達の奢りを他の誰より一生懸命貪っていた必死な食べっぷりはまともに食事も与えられていないように思わせた。
「こっちだと、本当に食うや食わずの人ってそんなにいないんですよね。確かに実は借金抱えてるとか働いても働いても食っていくのが精一杯の人はいても、子どもに食べさせることが出来ない程、というのは……」
本当に困窮していたら行政の援助を求めるなりは出来るはずだ。少なくとも当の子どもを中学校に通わせているのだから、その程度には社会性もあるはず。
「とは言っても……余所の家庭の事情に口出し出来る権利がある訳でもないんですけどね」
今度あの子が来たらしっかり食わせてやろうと決意するのが関の山だ。
「……勿体ないことを、するものだな」
食事を済ませて鈴が煎れてやったお茶を啜っていたリンティスが、思い出したように呟いた。
「……『勿体ない』ですか?」
その言葉の意味が取れなくて聞き返す鈴に頷いて寄越す。
「ああ、とても『勿体ない』。……子ども、というか生命……特に人間はとても貴重なのに。せっかく生まれたものをきちんと育てず雑に扱うなんて、とても惜しい」
リンティスに言わせれば人間という存在はその世界を形作り、世界を生み出した『神』に対する崇拝や好意の感情でもって神の力になる。つまり、信者が多ければ多いほど神は力を得、その世界を発展させ得ると言うことらしい。
「この世界でどうなのかは知らないが。ヒトという個体が生まれ育つことが数限りない偶然の産物であることは共通だと思うがな」
「はあ……」
今一つ鈴にはピンとこない。何というか、神様なら。
「えーと。神様って、人間作ることは出来ないんですか」
「……出来なくはないが、効率がすごく悪い。言ってみれば神が作るのは完全受注生産のオーダーメイド、人間同士のまぐわいで生まれるのは工業生産というか。……ちょっと例えが悪いな」
つまるところ、神が個体としてヒトを作ることは可能だが、それこそ細胞一つ一つに対してまで綿密な設計図を引く必要がある(比喩表現)。その分高性能な存在となり得るが、作る方も大変だし手間暇がかかるので滅多なことではしていない、らしい。
対して一般の、人間の男女の間に生まれる子どもは。確かに神が何の手も掛けずとも生まれ得るが、実際のところ男の精と女の胎のどちらに僅かな問題があっても、或いは相性が良くなければ生命として形にならない。そして更にちゃんと生まれ落ちること、育つことも難しい。
それを指してリンティスは『勿体ない』とその生命を浪費することを惜しむ。




