# 01
視界がぼんやりと明るさを帯びる。
いつもより体が重く感じるのは、昨晩飲んだお酒のせいだろう。そんなことを考えながらゆっくりと体を起こした。
「うわぁ頭痛……えっ……は?」
その瞬間、私はようやく自分が知らない場所に居ることに気付いたのだ。
広い部屋、その為だけに用意されたような大きなベッド。ここが何処かなんて一目瞭然だ。
落ち着け、まずは状況確認だ。足元には散らばった洋服、下着。残念なくらい当然ながら、私はなにも身にまとってはいない。そしてゆっくりと振り向けば、私に背を向けて寝ている男の姿があった。
……よし、もう一度落ち着こう。大学に入って早三年目、ここ二年程彼氏はいない。そして勿論、この男(後ろ姿だけど)は存じ上げない。
――え、これ事後だよね?
早急に落ちている下着を身に付け、洋服を着る。自分のリュックをつかんで、ガサガサと探し出したのは、お金だ。
「えっ、あー、そっか、そうだよねぇ。……お札少なっ……すいません、許して」
背を向けて眠る男にそう小声で伝え、昨日のイベントの売上金のケースを出した。
――うーん、1万5千円あれば足りるよね?
取り急ぎ、千円札5枚と500円玉6枚、100円玉70枚をリュックに入っていたビニール袋に入れ、メモを添えた。
《お迷惑をお掛けして、申し訳ございません》
そして寝ている男に謎に一礼をして足早に部屋を出た。
◆ ◆ ◆
「――って事があったんだよね、今朝。……結果、一コマ目は間に合いませんでした」
大学の比較的大きな講堂。
ざわざわと賑わう講義前のこの時間。幼馴染みの比奈に鮮度の良いビッグニュースを報告したところ、盛大なため息を吐かれた。
もうすぐ21年目になろうという私の歴史上最大とも言える衝撃的な出来事から数時間、慌ててお家に帰り身支度を整え今に至る。
身支度と言っても、お風呂に入った後ジーパンにパーカーに着替え、髪の毛は取り敢えず一つに結び、コンタクトを外し最低限の化粧に眼鏡。かなりの省エネモード、これが大学入学してからのいつもの私だ。
昨日は趣味の即売会イベントに参加する為に外見に気を配っていたものの、普段はとっても地味目。昨日からの劣化具合ときたら同一人物なのかも疑わしいレベルなのだ。
「あー……えっと、昨日はイベントで漫画出してくるって言ってなかった? 何でそんなことになってんの?」
「よく覚えてないんだけど、売り子してくれたずんちゃんと打ち上げで飲んでて飲みすぎたみたい」
えへっ、と可愛く誤魔化してみるものの、とても冷たい視線を向けられた。
私とその男はそのままお店で飲んで、ずんちゃんは終電の関係上先に帰ったらしい。今朝方スマホにメッセージが届いていて、「大学の人だってみかんが言ってたからまかせたけど、あの後大丈夫だった?」との事だった。みかんというのは私のHN兼PNだ。
結局、全く大丈夫じゃなかったなんて言えるわけもなく、酔っ払って迷惑を掛けたであろうその謝罪とお礼を返信したのだけれど。
「いやー、ずんちゃん曰く大学の人だって私が言ってたようでさ。仲良い男子なんて大学には全くいないんだけどなぁ」
「高校の知り合いだったらわかるんだけどね。高校の時は外見もちゃんと気にしてたし」
「あー、あれはお姉ちゃんのプロデュースだもん」
比奈が私の眼鏡を外した。クスクスと笑っていた比奈の顔が一気にぼやける。
高校生の頃、今と変わらず趣味全振りの私を見かねたのか、4歳上の姉から色々な指導が入っていた。そのおかげなのか、友達の幅は本当に広かった。
ヲタク女子からお洒落女子まで、勿論男子も。かなり幅広く友達がいた、そんな高校時代。外見には指導が入れども根っからのヲタクが変わるわけもなく……私が大学入学と同時に一人暮らしになり、姉の指導が行き届かなくなった結果が……この有様だ。
「あんた可愛いのに、本当に外見興味ないよね。性格も明るいし普段の地味な格好が損させてると言うか……」
「いいのいいの。私は高校の時の友達のように真の私を理解してくれる子と仲良くなれれば。比奈みたいにね。それに、お姉ちゃんのおかげで今イベント行くときには役立ってるわけだし、ふふふん」
外見だけを見て近寄ったり離れたり、そんな薄っぺらい仲を求めているわけではない。相手に強要するわけではないけど、こちらの趣味に理解があることが大切だろう。
「って違う、そんな事より今朝私がどれだけ焦ってたかだよ! 早く読みたいが為に現地郵送にしなかった戦利品の本をあろうことか忘れて帰ったんだよー!!」
ああ、私の大切な活力。せめてリュックに入れとけば問題なかっただろうに、なぜエコバックに入れて手持ちにしていたのだろう。あのときの自分を責めたい。
「戦利品って事は……えっと、BL?」
「勿論」
「それは……なんだか忘れ物に気付いたお相手が不憫と言うか……」
「あーもう! こんなことだったらちゃんと郵送に――」
講堂の入口付近がざわつき始めた。
黄色い声と共に誰かが講堂に入ってきたようだ。きっといつもの男子二人組だろう。
この光景も大分見慣れてきた。大学に入学したばかりの頃は芸能人でもいるのかと思ったけど、周辺の高校で女子から人気だった二人だと比奈がサーチしてくれた。
「今日も人気だねぇ、やっぱ格好良いよね。柚子はあの二人だとちょっと寡黙っぽい黒髪ツンツンヘアくんの方が好みでしょ?」
「まぁそうね。好みっていうか、あの二人だったら左の方が推せるかな。右も綺麗な顔してるけど、圧倒的右感というか……」
「あ、ええと、ってことは黒髪ツンツンヘアはあんたの言う左で、茶短髪の方は右ってこと?」
「そそ、よくわかってるー」
「いや、全くわかってないからね。何その右とか左とか」
比奈は私の幼馴染みで親友だ。でも、趣味は私とは全く違う。
漫画は普通に読むし流行りのアニメも見るようだけど、本当にそれだけ。だから左右の話をしても通じないのはしょうがない。
比奈にとられた眼鏡をかけ直し、ざわつきの中心を見ると、案の定例の男子二人組がいた。彼らの立ち位置を確認して視線を比奈に戻す。
「まず物理的な話。私達からみて黒髪ツンツンヘア君は右側に立ってるよね。そして茶短髪くんは左側」
比奈がうんうんと頷く。
相変わらず彼らの回りには沢山の女子がいる。
「でも、私が言ってるのは今立ってる位置じゃないのよ。二人の名前を並べた時に、名前が左にくるか右にくるかってこと!」
「あー……もしかして、あの人らも柚子の頭のなかじゃBL仕様になってるってこと?」
大正解、と笑顔を向けると比奈が再び大きなため息を吐いた。
「なるほど、もういっそ清々しいわ。で? 結局のところ、どうなったら左でどうなったら右なわけ?」
どうなったら……簡単に言ってしまえば攻めが左で受けが右なのだけど、それ自体は個人の解釈や好みにもよるし……もっと究極を言った方が比奈にはわかりやすいのかもしれない。
うーん、と悩んで言葉を選ぶ。華やぐ一角をチラリと見るとほんの一瞬、右と目があった気がした。
左右、左右かぁ、思考を巡らせたところで究極の答えなんて一つしかない。
体ごと向き直り、無駄に覚悟を決めたようにしっかりと比奈を見つめた。
「よく聞いて比奈。詰まるところ最終的に……入れる方が左で迎える方が右よ」
「あー……一応聞いとく? 何を?」
「え? 何って、ナニに決まってるじゃーん。やだなぁ純情ぶっちゃってー」
「いや、一応って言ったし、そもそもあんた……っ」
「だって比奈が聞いてきたんでしょ。それに私が彼等に関わる事はないし、観賞側としては色々捗っちゃうわけよ。まぁ夢女子だったら見方も違ったんだろうけど私の畑はそっちじゃないからさ」
「……柚子……」
「でもまあ、もしも夢を描くんだったらお相手は左がいいなぁ……あ、そっか。そう考えたらやっぱり私は左が好みなのか? そう言う事?」
「柚子っ」
「何?」
比奈の笑顔が強張っている。心なしかうっすらと自分に影が落ちているような気もした。
不思議な笑顔の比奈に「前」とだけ言われ、彼女の方に向けていた体勢と視線を正面へ戻した。机の前に誰か立っている。そのまま不躾に視線だけを上げるとようやくそこに立っている人物を把握することになった。
「香月 柚子さん」
「へ? ああ、はいっ」
立っていたのは今話題になっていた左右の
右の男子だ。爽やかに笑みを浮かべているが、私の話は一体どこまで聞こえていたのだろう。
でも、そもそも右とか左とかで個人は特定できないし、何より彼には何の話なのかすらわからないと思う。地味な女が何か言ってるな、くらいで聞き流されているに違いない。
それにしても、右はなぜ私の名前を知っているのだろうか。
「あの……何か?」
「え? もしかして覚えてない?」
「何をでしょうか?」
何故賑わいの中心の右側くんから話しかけられているのか全く理解ができずにいると、右は少し眉を下げ「そっか」と言ってから持ってたバックに手をいれた。ジャラリと金属がぶつかる音がした。
「みかんちゃん」
「……へっ」
彼が知るはずがない私のHNを呼んだ。その理解しがたい事態に呆気にとられた私の間抜けな声が漏れたのと、彼がジャラジャラと音のなるビニール袋を取り出すのはほぼ同時だった。
――あの小銭過多のビニール袋は……――
ジャラジャララ。
机にビニール袋が置かれ、一瞬にして今朝のあの瞬間がよみがえる。
「お金はいらないから返したいんだけど」
「――っ!!!」
大声で叫びそうになったが寸前で声をこらえた自分を褒めてあげたい。
あの数枚のお札と硬貨がジャラジャラと入った袋は紛れもなく今朝私が置いてきたものだ。そして彼の呼んだあの名前は……
「あの……みかんって……誰に?」
「昨日香月さんが一緒に飲んでた子、えーっと……警戒されてたのか偽名しか教えてもらえなかったんだけど、ずんだ餅ちゃんがそう呼んでたからさ」
――うん、それHNっ、ずんちゃーん!
心の中で一人盛大に突っ込んで、バクバクと異常な程になる心音がバレないように笑顔を張り付け彼を見る。
爽やかに笑っていらっしゃるけれど、私は一体どうすればいいのだろうか。面と向かって「昨晩は大変お世話になりました」なんて笑顔を向けるべきか……否! 違うだろう、何これ、どうしたらいいの。
間が空けば空くほど頭の中は真っ白になり、言葉が出なくなってくる。張り付けた笑顔もあからさまにひきつり始め口角が痙攣しそうだ。否、している。
「あの……」
何か言わなければ、冷や汗が伝うなか声を振り絞ったその瞬間、講堂に教授が入ってきた。
みんな各々に席につき始める。命拾いした、とりあえず90分はやり過ごせる。
「えー……っと、講義が終わったら、時間ください」
「俺もそのつもりだった。忘れ物も預かってるし。じゃ、またあとで」
またね、と手を振って彼は左のもとへと帰っていった。
落ち着け、落ち着け、とりあえず深呼吸だ。心の中でそう言い聞かせ、すぅっと大きく胸いっぱいに息を吸う。
「要するに、彼とヤったのね」
「ゲホォッ……ゴホッ」
「あー、ごめんごめん」
大きく息を吸ったところでそんなわかりきったことを言わないでいただきたい。深呼吸が台無しだ。
「まぁ、結論……そうみたいだね」
「良かったじゃん、イケメンで」
「……面白がってるでしょ?」
「ふふん、まあね」
講義が始まった。
静かな講堂に少し嗄れたテナーが響く。時折カリカリとペンが走る音が周りから聞こえたり、パラパラ教科書をめくる音も聞こえてくる。
真面目に講義に集中している者、窓の外を眺める者、この時間の過ごし方は人それぞれであってもおおよそは同じだ。――私を除いて。
そう、私は講堂の前方に座る茶短髪の後頭部を、穴が空くのではないだろうかという程凝視している。
もちろん、それで起きた事実が変わるわけもなく。ただ右の後頭部を見つめながら考えるのだ、90分後の事を。
起こってしまった事実に関してはもうどうしようもない。酔っていた、覚えてないと謝ろう。きっと右だってお酒の勢いだと思うし、高級食材に飽きて安価な物に興味本位で手を出してしまったのだ。うん、そうに違いない。
私も幸い初めてではない。二人とももう大人だ、自己責任で割りきろう。
あとは……右が席に戻る際に何か言っていた気がする。焦りすぎてきちんと聞けてなかったけど、90分後の会話に必要な情報だろう、思い出さなければ。
……預かってると言っていた……何を? たしか……たしか、忘れ物と言っていた気がする。忘れ物……――
――忘れ物ってもしかして戦利品の漫画達!?
もう手元に戻らないと思っていた戦利品のBL漫画達が戻ってくる可能性が出てきたのだ。
読みたかった本が手元に戻ってくる。そう考えるだけでにやける口元を気合いで引き戻す。
ただここで、辛すぎる現実が私を崖っぷちに追いやった。
問題の忘れ物は手さげバックに入れていた本数冊。それらは、表紙をみた瞬間に内容がすぐわかる隠しようもない、それはそれは見事なR18BL本。
きっと忘れ物に気付いた時点で、手提袋の中を覗くくらいの確認はしているだろう。そう、それをされた時点でアウトなのだ。
友達に借りてーとかお姉ちゃんに頼まれてーとか、そんな嘘が通用するようには思えないし、どう足掻いても誤魔化しきれる自信がない。
ああでもない、こうでもないと頭を抱え込み考えるも、どう頑張ってもどぎついR18BL本を所持していた真実は変わらないし、変えられない。
何より、その日私が一番楽しみにしていた大好きな作家さんの作品だ。取り戻さなくてどうする!
――よし……もうこの際何でもござれだ。
お酒で記憶を失くし致している、忘れ物はR18のBL本……。痴態という痴態は晒しきっている。逆に考えればもう怖いものはない、開き直ればいい。
きっともう関わることはないのだ、戦利品の回収をして、回収物共々お世話になりましたと伝えよう。
こうして講義は全く頭に入らないまま時間が過ぎていった。
嗄れたテナーが本日の講義の終わりを告げると、講堂内にはまたざわざわとした賑わいが戻ってくる。
「……よし」
ご覧いただきありがとうございます。
前作は長編ファンタジーだったので、今回は気軽に読める短編の現代ラブコメです(笑)
短い間ではありますが、彼らの青春のひとときを見守っていただけると嬉しいです。
毎日更新予定です。よろしくお願いします。
X:sheepzzzmei




