3.膨らむ疑念
――離宮にあった、長い……地の底まで続くのではないかというほど長い螺旋階段を下った先。
その階層の造作に、ミルドアークの兵士たちは、誰もが驚嘆の声を上げずにはいられなかった。
絶えずどこからか水音が響いてくるあたり、最も上層の用水路に似ていると言えなくもないが、目に映る風景は比べるべくもない。
ところどころ、通路と様々な形で交わり、落ちては流れゆく水路も、上層のそれが用水路としての機能を重視したものならば、この層のものは明らかに見映えを重視したものだった。
芸術的な美しさだけでなく、複雑に交錯し、何らかの法則性を見出せるその造作は、通路に立っているだけでは全容を把握することなどとてもできないものの、一端を垣間見るだけで、そこに何らかの儀式的な意味合いすら感じてしまう。
そして、そんな縦横無尽にはしる水路を内包する通路も、そこに流れる水を意識した上で作られているのは明白だった。
光る菌類のような自然物とは違う、古代の失われた真言によるものだろう、淡い光を放つ輝石が等間隔で埋め込まれた通路は、その光を水が照り返して生まれる波打つ反射光さえも紋様として受け入れているのだ。そして材質も、石材と言うよりは金属に近い、磨き抜かれた鏡を思わせる限りなく滑らかなものだった。
「これはまた……何とも。上層よりはるかに古い遺跡のはずなのに、この作りも、劣化具合からも、まるでずっと新しいもののように見える」
物めずらしそうに、カロンは壁をこつこつと叩いてみたりする。
そんな、剣聖と呼ばれるほどの男のどこか子供じみた所作を目で追いながら、ユタンはつい先刻の出来事を思い出していた。
「このような結果になるとは……残念だ」
弟子が落下した虚空を険しい表情で見つめていたカロンが、ゆっくりと双剣を鞘に収めるのを待って、ユタンは声をかける。
「このような結果……ですか。あの子はああ見えて、頑固で分からず屋のところがありますから、予想通りとも言えるんですが……ね」
答えてユタンの方へと向き直るカロン。
その表情に違和感を覚えたユタンは、いぶかりながら尋ねる。
「……笑っているのか? 剣聖殿」
「おや? 笑ってますか、僕は。……そうですねえ、彼の成長が喜ばしかったせいでしょうか」
「喜ばしい? 少年が亡くなったとなれば、成長も何もないだろう。しかも、自ら手を下したとなれば、なおさら――」
「ああ……なるほど。どうやらまた、すれ違いがあるようで」
言って、今度こそはっきりと、カロンは笑みを浮かべた。
「……あの子は死にませんよ、この程度のことでは」
「何……? だが、この奈落へ落ちては……」
その場にしゃがみ込んだユタンは、あらためて石橋から下を見下ろす。
そうしてしばらく様子を窺っていると、底なしとしか思えない闇が果てなく続く向こうから、かすかに、水音らしきものがすることに気が付いた。
「……水? 空堀になっているのかと思ったが……水が残っているのか?」
「そういうことです。貌霊を絡鎧した者なら、個人差はあるでしょうが、充分生き残れる高さでしょうねえ」
「まさかとは思うが――剣聖殿。それを計算に入れた上で、わざと少年を落とした……というようなことはないだろうな?」
ユタンが眉根を寄せ、真剣な面持ちで尋ねる。
それに対し、やはりおどけた調子で答えるかと思いきや、カロンもまた笑みを消し、少しばかり表情を引き締めた。
「それこそまさかですね。伯爵様もご覧になったでしょう? ――彼は強い。そこまでうまい具合に狙った状況へ持ち込めるほど、甘い相手ではないですよ。
……僕としても必死だった。その結果がこうだった、というだけです」
「……ふむ」
ユタンは思考を巡らせる。
師弟の戦いは、カロンが終始上手だったのは間違いないが、しかし同時に、カロンが言うようにアルファートの実力も認めざるを得ないものだった。
そして、互いの限界がどれほどのところにあるのか想像がつかない以上、結果として彼には、カロンの言葉が完全に嘘であると言い切るだけの証拠はない。
「ともかく……あの子のことだ。生き残った以上、いずれまたあなた方の邪魔をしに現れるに違いありません。この場で止めきれなかったという責任もありますし、もう少し同行させていただきたいのですが。――構いませんか? 伯爵様」
ユタンはしばらく逡巡した後、答えた。
「……もちろんだ。貴公の剣の腕が、我々にとっても大きな助力となるのは証明済みなことだしな」
(しかし……)
恐るべき技術力を窺わせる太古の遺跡を進みながら、しかしユタンの注意と警戒は周囲の未知の遺物よりもむしろ、少し先を歩くカロンという人間に向けられていた。
これまでも信用していたわけではないが、今となっては、疑念が無視できないほどに膨らんでいる。
(少年を落としたのが故意だとして……その理由は、我らに、口封じのためにと、弟子ともどもまとめて消されることを避けるため、という可能性がまず一つ。
だが、そうでなければ――いや、それだけでなければ。彼はあえて、この先も我らに同行するための口実を作ったとも考えられる。とすれば――)
ユタンは目を細めた。
(少年が巻き込まれたのは偶然で間違いないだろうが……この男のそもそもの目的は我らの動向を探ることで、少年の件をそれにうまく利用した可能性もある――か。
だが……だとすれば、裏にいるのはいったい何者だ? いつ、どうやって我らの行動を知った……?)
「……どうかしましたか?」
ユタンの視線に気付いたのか、カロンが振り返る。
ユタンは、何でもない、と首を振って答えた。
「つくづく妙な縁だと、ふとそんなことを思っただけだ」
「それはまったく、ごもっとも」
柔らかくうなずいて同意するカロン。
その、一見何の裏表もなさそうな、ひょうひょうとした表情を見ながら、ユタンは心中さらに気を引き締めていた。
(……ここまで来て、計画を邪魔されるわけにはいかん。いずれにせよ、この男の動向には今まで以上に注意を払わなければ……)
*
――雲一つない夜空に浮かぶ月が、煌々と銀色の光を降り注ぎ、果てなく広がる庭園に咲き誇る花々を、蒼く、白く、そして――ときに黒く、輝かせる。
そのただ中、孤島のようにたたずむ小さな、しかし細部にまで繊細な意匠が施された美しい東屋の中で、場にふさわしい豪奢な身なりをした老婆と幼い少年が、テーブルを囲んでいた。
卓上には、ティーカップ、ポット、茶請けが並び、さながら茶会のようだった――いや、優雅にカップを口に運ぶ老婆の様子からすれば、それは時間や人数など関係なく、彼女らにとっては間違いなく茶会なのだろう。
そうして静かに茶を楽しむ二人の脇を一陣の風が吹きぬけたかと思うと、東屋のそばの花畑が、風に逆らって不自然に揺れた。
そして、銀色の月光による色彩の世界に、花の芳香そのもののようにふわりと立ち上ったはかない翠色の光が、一人の女性の姿を形取り、老婆たちに向かってひざまずく。
その姿は艶やかな踊り子のもので、まとった翠の輝きといい、取り巻く光景といい、夢想に縁のない人間でも、第一に花の精という言葉を連想することだろう。現に、老婆などはそう考えたらしく、ティーカップを置くと「まるで妖精のようね」と手を口もとにあてて上品に笑った。
『おくつろぎのところ失礼いたします。報告に上がりました、帝母様』
老婆がかけた気安い言葉にも気をゆるめることなく、翠に輝く踊り子の影は、薄い布や板といった間仕切りを通したかのような、どことなくくぐもった響きの声で挨拶する。
「あらあら。これは貴女のお仕事ですもの、そんなにかしこまる必要はありませんよ」
「お婆様の言う通りだよ」
少年も、穏やかな笑みを浮かべながら老婆に同意する。
『……恐れ入ります』
「あらあら。まあいいわ、そういう堅いところが貴女の魅力の一つでしょうしね。
……それで? そちらの様子はいかがかしら?」
『先に報告いたしましたこと以外、ミルドアーク、アザンティともに地上での動きはなく、今のところは想定通りかと』
「そう。さすがにそれほど早く事態が動くということはないようね。
それにしても残念だわ……私の貌霊も貴女のように遠くへ顕現できるなら、直に様子を窺えて、さぞかし愉快でしょうに。
――そうだわ、貴女の貌霊、遺跡の中の様子を見ることはできないのかしら?」
『……申し訳ありません帝母様。事前に、現場で霊子界から位置情報を取り込んでおかないことには、私の貌霊は……』
深く頭を垂れる踊り子に、帝母と呼ばれた老婆は、無邪気に小首をかしげてみせる。
「あらあら、そう言えばそうだったかしら。……残念ねえ。彼の弟子の少年とやらが、どれほどの人物なのか、そしてこの状況下にあって何を成すのか……興味があったのだけれど」
『ご命令とあらば、私自らが遺跡に潜って状況を探り、ご報告いたしますが……』
帝母は、踊り子の提案にニコリと笑って首を横に振った。
「いいのよ。そのために彼を送り込んだのだもの。それに、大切な貴女に万が一のことがあってはいけないものね」
『……もったいないお言葉、恐れ入ります。――では帝母様、私は任務に戻ります』
「ええ。今夜はこの子とここで過ごしますけど、報告の際は気兼ねなくいらっしゃいな。……いざとなれば、時間にかかわらず、ネシュター山脈に伏せた部隊を動かす必要もあるでしょうしね」
『はい。――それでは、失礼いたします』
踊り子が最後にそう挨拶すると、姿を形作っていた翠の光は宙にほどけて散らばり、風に溶け込むように消えていった。
「――さて。今の通信はどうだったかしら? やっぱり、先と同じように?」
帝母はそっと紅茶に口を付けると、穏やかな笑顔のまま、少年に尋ねる。
少年は苦笑しながらうなずいた。
「うん。やっぱり前回同様、誰かが覗き見ていたみたいだよ。
まあ、彼女はアイオンの規制を潜り抜けて遠距離通信ができる希少な存在ではあるけれど、暗号化まではできないんだから、しょうがないと言えばしょうがないんだけど」
「あらあら、困ったものね。でも覗き見だなんて、お行儀の悪いことだけれど……それだけのことができるとなると、やっぱり貴方のお友達かしら?」
「――多分ね。ただ、誰かは分からないけど、少なくともお婆様の邪魔をしようと考えているわけじゃないと思うよ。その気があるなら、とっくに回線を遮断するなりしているはずだからね。
きっと、今の時代に遠距離通信なんてめずらしいから、興味で覗いてみてるだけなんじゃないかな」
少年の無邪気な調子の言葉に、老婆はあらためてにっこりと微笑んだ。
「そう、それは良かったわ。――貴方のお友達ですもの、できれば邪魔だからといって排除するようなこと、したくありませんからね」




