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双剣戦記 -泡沫の揺籃-  作者: 八刀皿 日音
一章  砂が誘い、水が導く回廊

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1.城塞都市に集う者たち


 ――大陸北部、大河ネミをまたいで東西に広がる大城塞都市、サイメル。

 西にミルドアーク教国、東にアザンティ王国、峻険なネシュター山脈を挟み北にロシュリム帝国と、三つの国の中間地点に位置する歴史の古いこの都市は、数十年前まではテメニアという国の王都だったが、現在はどの国にも属さず、豪商たちが合議制で市政を統括する中立交易都市だ。

 しかしかつて王都であった名残、二つ名が冠する『城塞』のゆえんは街のいたる所に見受けられる。

 中でも、街を取り囲む堅固な城壁などはその最たるものだった。無理矢理越えるなど到底できるものではなく、いきおい、訪れる人々は東西それぞれに三つずつ設けられた、衛兵の監視厳しい城門をくぐることになる。

 そこで、手配のある犯罪者はもちろんのこと、怪しい者なども場合によっては詰め所に連行されて取り調べを受けるのだが――。

「お待ち下さい」

 若い門衛が手にした長槍でさえぎったのは、およそそれらに当てはまる人物ではなかった。

 ミルドアーク教国の紋章が刻まれた鎧に身を固めた正規兵――その五十人ほどの一団を率いる若い男は、鎧の上から家紋の縫われたマントを羽織っており、またがる軍馬の見事さからも、貴族か、それでなくとも一角の人物であることは誰の目にも明らかだからだ。

 しかし、だからこそこの門衛は彼を引き止めたのだった。

 大人しく言われるがまま馬を止めた男に、門衛はあらためて問いかける。

「教国内においては身分ある御方とお見受けするが、我らがサイメルは盟約により、貴国からも中立都市として不可侵を約されている。どのような理由があって兵を率いて門をくぐられるのか、お聞かせいただきたい」

「ふむ……治安維持の協力のため、東岸地区にてアザンティ王国兵の駐屯が許可されているのと同様に、西岸地区は我らミルドアーク教国兵の駐屯が許可されているはずだが?」

「すでに貴国の兵は駐屯済みだ。しかも、まだ決められた交代期間ではない」

 表情を険しくする門衛の姿に、馬上の貴族――ユタン・ロエルは快活に笑った。

「いや、すまない、冗談だ。――私は、ミルドアーク教国聖礼教団準司祭を務める、ロエル伯爵家当主、ユタン。

 君も知っていることと思うが、近頃、この街に商用で出入りしている我が国の民や兵を狙う、不届きな盗賊団が横行していてな。このたび、その者たちがサイメルの地下遺跡に潜んでいることを突き止めたため、一網打尽にするべく、王命を受けて来たのだ。

 ――そちらには、すでに話が通っているはずなのだが?」

「……分かりました。確認のため、今しばらくお待ちを」

 門衛は油断無くユタンに注意を向けたまま、部下らしい兵士を呼びつけると、事実確認のために門の奥へと走らせる。

「……しかしロエル卿。せんえつながら、この街の遺跡は地下の用水路に、小さな古跡がまとわりついている程度のもの。犯罪者が一人二人逃げ込むことはあっても、盗賊の一団がアジトにするとは考え難いのですが」

「それが盲点だったのだ、我々としても。だが、盗賊の一味の人間を捕らえることに成功してな」

 いぶかしげな門衛の視線を受け流すように、ユタンは自らの後方を示す。

 ――その先にいたのは、薄汚れたマントを頭からすっぽりと被った、小柄な人影だった。落ちないように、そして恐らくは逃げられないようにと、一頭の馬に、兵士に抱きかかえられるようにして同乗している。

「……まだ子供のように見受けられますが」

「その通り、子供だ。……だがヤツは、子供という立場を上手く利用して、外の仲間との連絡役をしていたような悪党だ。情けはいらん。

 この者には、刑罰の軽減と引き換えに、一味のアジトへ道案内させることに――おや、戻ってきたようだぞ」

 ユタンの一言に、門衛は振り返る。

 彼はいくら何でもまだ早いだろうと思っていたが、息せき切って駆け寄ってくるのは、確かに詰め所へ確認に向かわせた部下だった。

「やけに早かったな」

「はい、詰め所にちょうど議会からの証書が届いたところだったんです。……これです」

 差し出されたのは、金属製の筒に収められた紙の束だった。

 長槍と交換で受け取った門衛は、その内容に素速く目を通し、最後にきっちりとサインを確認してから、もと通り筒に戻して部下に返す。

 そして、あらためてユタンに向き直り、深々と一礼した。

「議会の証書、確認させていただきました。誠に失礼致しました、どうぞお通り下さい」

「ご苦労。しかし、証書の遅れは貴公の責任ではない、気にするな。

 ――まぁ、思った以上に殺気立っていたのには驚いたがな……何か事件でも?」

 ユタンが穏やかにそう問い返すと、門衛はいかにも気恥ずかしそうに視線を落とした。

「事件というほどではないのですが……。つい先刻、学者を名乗る、子供連れの奇妙な男を詰め所に連行したところでしたので……」

「……ほう、奇妙な男……。それで、結局正体は分かったのか?」

「いえ。恐らくは現在、詰め所にて身分の照会中でしょう。――ああ、それはともかくとしてロエル卿、入城に際して一つご注意いただくことがあります」

「何かな」

「はい。盗賊団の壊滅を目的として臨時に入城される皆様方は、地下遺跡への入り口がある地区……旧砦跡周辺までしか立ち入りを許可されていません。くれぐれもそれ以上東へ向かわないよう、ご注意下さい。万が一、違反が認められたおりには……」

 門衛の表情が再び険しさを増す。

 ユタンは、苦笑いしながら軽く手を挙げた。

「ああ、分かっている、分かっているとも。くれぐれも中洲の商人たちは刺激しないよう気を付ける。私も、つまらない失態で祖国に恥をかかせたあげくに死ぬのはゴメンだからな。……さて、それではそろそろ失礼しよう」

「ご武運をお祈りいたします」

 門衛の言葉に素直に礼を述べると、ユタンはゆっくり、馬の手綱を引いた。




             *


 ――同じ頃。サイメル東端の城門に、アザンティ王国正規兵の一団が、一人の若い貴族に率いられてやって来ていた。

「いやぁ、もう今年もそんな時期ですか」

 馬上の貴族からサインの済んだ書類を受け取り、壮年の門衛は人好きのする笑みを浮かべながらもう一度チェックする。

「というと?」

 アザンティ王国子爵オルフェ・イレンスは、門衛のつぶやきに相づちを打つ。

「え、ああ、いや、私事でお恥ずかしいんですが……二人いる娘のどちらもが、ちょうどそちらの御国の駐屯兵交代期間と誕生日が重なりますもので……」

「なるほど、それは喜ばしいことだな」

 オルフェは柔和に笑う。

 門衛は、恐縮しきりといった表情で頭をかいた。

「いや、本当に申し訳ありません、他国の貴族様相手につまらないことを」

「かまわんさ。顔を見るたび嫌な思い出が甦る、などと責められるよりは」

「そ、それはどうも――いや、恐縮です」

「ははは、この程度でそこまで畏まられるのも複雑だな」

 オルフェは笑いながら、ちらと何気ない仕草で脇に注意をやる。

 おりしも、門を向こう側から抜けてきた行商人らしい女が、何かにつまづいて倒れたところを、部下の兵士の一人に助け起こされているところだった。

 行商人は何度も頭を下げて、礼を言いつつ歩き去っていく。

「しかし……子爵様」

「ああ、どうかしたかな」

 自然な動きで門衛に視線を戻すオルフェ。

「いえ、それにしても大変ですな。一応は街の中とはいえ、よそに駐屯する部隊の責任者とは。子爵様がわざわざ都を離れて赴任されるほどのことでもないような気がしますが」

「まぁ……まだ家督を継いだばかりの若輩者なのでね。何、これも国のための大事な仕事の一つだ、苦ではない。

 ――君も、ご息女のためにも体に気を付けて務めに励んでくれ」

 穏やかにねぎらいの言葉を贈ると、オルフェは小さく馬の手綱を引く。

 主人の意を介して、白い軍馬はゆっくりと動き出した。

「もったいないお言葉、ありがとうございます。子爵様も、どうぞお気をつけて」

 通り過ぎながら手を挙げて「ありがとう」と応えるオルフェ。

 その後に、兵士たちが隊列を保ったまま続いていく。

 ――門周りの城壁は、それ自体が一つの砦であるかのように内部構造をもつ。

 城塞都市の名を持つほどとりわけ強固な造りをしている、ここサイメルの城門の大きさはその最たるもので、大通りに出る内門から射す光までは遠く、まるで隧道(トンネル)のようだった。

 行き交う行商人や旅人を何とはなしに見やりつつ、ゆっくり先頭を進んでいたオルフェは、隧道の中頃まで来ると手だけを動かし、少し離れて後ろにつけている副官を呼ぶ。

 すぐさま副官は、馬を巧みに操ってオルフェの横に並んだ。

「私が門衛と話している間に連絡が入ったようだな。首尾はどうなっている?」

「はい。行商人の親娘、という形での潜入は上手くいったようです。駐屯兵の宿舎では目に付きすぎるので、『鍵』とともに近くの宿にと待つとのこと」

「分かった。では、ただちに合流しよう」

「遺跡への侵入はいかがなさいますか」

「そろそろ日も落ちる。ここは慎重を期し、予定通り明日以降とする」

 承知しました、と一礼し、副官は隊列に戻る。それを見ずとも気配で察し、

(いよいよ、ここからか)

 オルフェは部下に気付かれないよう、一つため息をついた。




             *


「いやあ、どうも、若いモンが迷惑をかけましたな、学者さん」

「なに、職務に忠実で結構なことです。疑いが晴れたのならそれでいい」

 ――詰め所の小さなデスクを挟んで、謝罪を述べる年配の衛兵に、ワイズは手を振って応える。そのかたわらには、こんな場所でもまるで物怖じすることなく、背筋を伸ばして寄り添うケイナの姿もあった。

「実際、当人が言うのも何ですが、こんな、目の不自由な人間が各地の遺跡を調べて回る学者だと言い張ったところで、疑われるのも仕方のないことでしょう。……あまつさえ、こんな子供を助手と称して連れているぐらいだ」

 帯に覆われた目に手をやり、ワイズは口もとで微笑んだ。

「しかし、あなたの身分は確かだった。――ジルカ王国にて学者としての認定を受けた後冒険者協会に加入……ですか。まあ正直、ジルカで認定を受けただけだったなら、照会に時間もかかって大変だったんでしょうが、協会にも加入していたのは幸運でしたな。協会なら、ここの支部から資料を取り寄せるだけで済む」

「まあ、国を出て色々な遺跡を調査しようと思うなら、冒険者協会に所属しておけば何かと便利ですからね。――今回のように」

「確かに。このサイメルはもちろん、西のミルドアーク、東のアザンティ、北のロシュリムと、付近の国家はすべて後援国家として協会の支部を設けていますからな。

 ……もっとも、ミルドアークなどは最近、密偵の流入口になるという理由で、何度か冒険者協会後援廃止案が議題に上ったりしているようですがね」

 衛兵は苦笑する。

「なるほど。お国柄というものかも知れませんね。ミルドアーク教国は規律厳しい宗教国家として、いくぶん秘密主義の気がある。

 大陸中が大打撃を受けた、かの『罪賢戦争(ざいけんせんそう)』よりもう十四年……それ以前のたび重なる戦乱もあり、疲弊の極みだった国力もようやく落ち着いてきたということで、この際、よそとの余計な窓口は閉じてしまおうと考える者がいてもおかしくはない。

 実際、冒険者の流出入によって、国家のあまり知られたくない内情などが外に出ることもあるでしょうから」

 ワイズの言葉に、衛兵は神妙な顔で何度かうなずく。

「わたしゃ、ミルドアークのそういったところが今ひとつ好きになれんのですが……ああいやいや、失礼、いちいち学者さんに言う話でもありませんでしたな。

 ……しかし学者さん、どうしてまたこのサイメルに?」

「どうしてまた、とは?」

「ああ、いえね、この街の遺跡なんてものは、もう調べる場所なんてないと聞きますから。

 ……こちらミルドアーク側の西岸地区、アザンティ側の東岸地区、それに中洲の元王城周辺の中央区と、三つの区域それぞれに地下遺跡はあるらしいが、どこも浅く、少しばかり古い時代の用水路や排砂路などが中心で、遺跡と呼ぶのもおこがましいそうですよ。

 まあ一昔前、一帯を支配していたテメニア王国が滅んでここが中立都市になってすぐの頃は、さらに下層にネミ河の下を通り、三つの地区それぞれをまたぐような大遺跡があるはずだ、って誰もがやっきになって探していたみたいですがね……今ではそんなものはないっていうのが定説だ」

「……らしいですね。まぁ、私は別に遺跡に挑もうというわけではなく、研究材料を探しに来ただけですから。――ん、どうした?」

 会話が一区切りするのを待っていたのだろう。間を見つけたケイナが、そっとワイズの耳もとで何かをつぶやく。

 ワイズは首を傾け、分かったとばかりにうなずいて見せた。

 衛兵はそんな様子を見ながら、不思議そうな表情で顎をさする。

「ふーむ、しかし学者さん。失礼なようだが、その子は本当に、その……」

「ん? ええ、助手ですよ。ご覧の通り、目が不自由とは言え大抵のことは問題なくできるようになりましたが、それでもやはり見えなければどうにもならない調査などもありますしね。

 それにこの子はまだ幼いが非常に頭が良いんです。大変役に立ってくれますよ」

 ワイズの言を受け、衛兵はもう一度、椅子にも座らずワイズのかたわらで毅然と立ち続けているケイナを見る。

 なるほど、頭が良いというのはそうだろう。切れ長の目もとや硬く結ばれた唇、そして落ち着き払った雰囲気などは、大人びた知性を感じさせる。

 だがなぜか、年の頃十二、三歳だと思われるその少女からは、年相応の子供らしさ――というよりそもそも、人間らしさを感じないときがあった。明確な指針があるわけではない、衛兵として長年人を見続けてきた経験から来る、カンのようなものではあったが。

 ふとそのことに触れてみようかとも思ったが、彼はすぐに思い直してやめた。こんな歳で学者の助手などやっているぐらいだ、何か事情があるのだろう、と。そしてそれがこの人形のようなたたずまいに影響があるとするなら、好奇心だけで混ぜっ返すのはあまりに酷ではないだろうか、と。

(現に、これぐらいの年頃だと、この学者さんも口にした、あの十四年前の罪賢戦争……あれの影響で、親兄弟を亡くしたりと苦労した子は多いしな……)

「ところで、そろそろ行ってもかまいませんか? この子もさすがに疲れてきたようで」

 ワイズの一言に我に返った衛兵は、愛想のいい笑みを浮かべて何度もうなずいた。

「ああ! えぇえぇ、それはもちろん。長い間引き止めてしまって申し訳ありませんでしたな。

 ――そうそう、まだ決まっていないのなら、宿は月砂亭という店をおすすめしますよ。気のいい女将がやってる店だから、その子も過ごしやすいハズだ。場所は大通りを旧砦跡の方へ向かって、三軒目のパン屋の脇の道に入ればすぐですから」

「それはご親切に、どうもありがとう。……では、失礼します」

 礼を言って席を立つと、ワイズは目が見えないとは思えない、しっかりとした足取りで部屋を出ていく。

 ケイナも、礼儀正しく衛兵に一礼してからそれに続いた。



 すっかり日は落ちていたが、大通りに出てみると、それでもまだ少なくない数の通行人がいた。

 万が一にもはぐれたりしないようワイズにしっかり寄り添って、ケイナは問う。

「思わぬところで時間を取られましたが……これからどうされます、マスター?」

「先程お前が感じたという、同素体の反応はどうなっている」

「サイメルに入ったのは確かですが――現在、それ以上の動きは感じられません」

「そうか。……ふむ」

 一旦足を止めたワイズは、腕を組んで民家の壁に寄りかかる。

「わたしの同素体ということは……マスター以外の『賢人(けんじん)』の方が?」

「それなら私か向こうが気付く。恐らくは、現在の人間によるものだろう」

「ですが、彼らの技術力では……」

「ケイナ。人間の力というものを甘く見てはいけないな。確かに非常にめずらしいことだが、しかしありえないことではない」

 そう言って、ワイズは何かを決めたらしく一つうなずくと、壁から背を離した。

「ふむ、しかしとりあえずは……」

「はい、マスター」

「せっかく良い店というのを案内されたのだ。一休みといくか」




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