プロローグ
放課後の教室は、西日で赤くなっていた。
窓際の席から見るグラウンドはもう薄暗い。運動部の声もさっきより遠くて、校舎の中は少しずつ静かになり始めていた。
机に頬杖をつきながら、白峰瑠美音はゆっくり息を吐く。
『帰ったら寝たい』
『バイトだる……』
『またミスった』
『最悪』
途切れ途切れの感情が頭の奥へ流れ込んでくる。
聞こうとしてるわけじゃない。
勝手に入ってくる。
人が多い場所は昔から苦手だった。
教室も、電車も、昼休みの廊下も、とにかくうるさい。
声じゃなくて、感情が。
だから放課後は少し楽だった。
人が減るぶん、ノイズも減る。
完全に静かにはならないけど、それでも昼間よりずっとマシだ。
教室の扉が開く。
「まだいたんだ」
聞き慣れた声だった。
瑠美音が顔を上げる。
御影陽太がスポーツバッグを肩に引っ掛けたまま立っていた。ネクタイは少し緩んでいて、たぶん部活帰りだ。
「帰るとこ」
「それ一時間前くらいにも聞いた」
「気のせい」
陽太は笑いながら瑠美音の前の席へ座った。
その瞬間、頭の奥が少し軽くなる。
ざわざわしていた感情が遠のいた。
理由はわからない。
でも陽太の近くにいると、ノイズが静かになる時がある。
瑠美音はそれを口にしたことはなかった。
「部活は?」
「途中で抜けた」
「サボりじゃん」
「文化祭準備で疲労してるので」
「何もしてないでしょ」
「精神面を担当してる」
「一番いらない担当」
陽太が机に突っ伏す。
適当すぎて、瑠美音は少し笑った。
その時だった。
耳の奥で、嫌な音が鳴る。
キィン、と金属を擦るみたいな高い音。
瑠美音の表情が止まった。
「……白峰?」
陽太が顔を上げる。
次の瞬間、校舎のどこかで大きな音が響いた。
窓ガラスがびり、と震える。
廊下の向こうから悲鳴が聞こえた。
「うわっ、何!?」
「逃げろって!」
走る音が一気に近づいてくる。
同時に、大量の感情が頭へ流れ込んだ。
『怖い』
『無理』
『嫌だ』
『助けて』
「っ……」
瑠美音は机へ手をつく。
頭が痛い。
息が詰まる。
感情が多すぎて、うまく呼吸できない。
廊下を生徒達が走っていく。
「暴走してる!」
「誰か呼べ!」
「こっち来るぞ!」
空気が妙に重かった。
窓の外を見ると、夕焼けが不自然なくらい赤い。
瑠美音は唇を噛む。
本当は逃げたかった。
こういうのには関わりたくない。
痛いのも苦しいのも嫌だ。
でも。
頭の奥に引っかかる感情があった。
このままだとまずい。
「白峰」
陽太が立ち上がる。
さっきまでの気の抜けた感じが消えていた。
「行ける?」
瑠美音は少し黙る。
「……無理だったら」
「その時は逃げる」
陽太はあっさり言った。
「一緒に」
瑠美音は小さく息を吐く。
「ずるい」
「褒め言葉?」
「違う」
もう一度、大きな振動が校舎を揺らした。
遠くで誰かが泣いている。
陽太が扉のほうを見る。
「行くぞ」
瑠美音は頷いた。
二人はほとんど同時に教室を飛び出す。
廊下には、まだざわめきが広がっていた。




