07_これぞエンタメ! お子様ランチ
「なに、これ……!?」
夜九時。残業から帰宅した日向子が玄関を開けると、凄惨な光景が広がっていた。冷蔵庫の中は空っぽ、食べ物のかすやゴミが散乱したリビング。その中央には、不満そうに地団駄を踏むノワール。
「ノ・ワ・君?」
「ヒナコが悪いのであるっ! ワガハイへの供物が足りぬのである!」
どうやらお腹がすいて冷蔵庫やキッチン、リビングまでも散らかしまくったようだ。日向子は朝比奈との仕事で疲労困憊した体を引きずって、キッチンに立つ。
「はぁ……どうしよ」
「う……」
初めて見る日向子の呆然とした表情を見て、ノワールはたじろぐ。最初こそ威勢のよかったノワールだが、だんだんと眉をへにょんと垂らし、日向子の前にちょこんと座った。
「……ワガハイ、己の過ちは認めるのである」
気まずそうに日向子を見上げるノワール。そんな彼の姿を見て、日向子の怒りは霧散した。ついでに仕事の疲れも。日向子はノワールをぎゅっと抱きしめ、頬ずりをする。ノワールは眉間にシワを寄せたが、今日は逃げようとしなかった。
「いっぱいお留守番してくれたんだよね。ありがとね、ノワ君」
長時間留守番させてしまった手前、日向子にも罪悪感がある。日向子はノワールの顔を覗き込んで、元気いっぱいに言った。
「お詫びに、今日は美味しい物食べにいこっか!」
その言葉に、ノワールは安心したように頷く。日向子は上機嫌で、昨日買ったばかりのノワールの服をショッパーから取り出したのだった。
「これはなんだ?」
ノワールは、テーブルの上に置かれた丸皿を見つめてそう言った。
日向子がノワールへのお詫びとして連れてきたのは、近所のファミリーレストランだった。怪人としての特徴である角は、帽子でカモフラージュした。まるで帽子の装飾品のように見せることで、今のところ自然に溶け込んでいる。
「『お子様ランチ』っていうんだよ。しかもおもちゃ付き!」
お子様ランチについてきた車の玩具を、ノワールの前に起きながら日向子は笑う。
「 子供扱いするでない!」
そう言いながらも、ノワールは待ちきれないようにフォークを持った。お子様ランチには丸くて大きなハンバーグとエビフライ、そしてデザートのプリンが付いている。ノワールは生まれて初めて見るバラエティ豊かな料理に目を輝かせた。
「どれから食すか迷うのである……」
「ゆっくり食べていいんだよ。ほら、ハンバーグとかどうかな?」
「はんばーぐ」
日向子の言葉を復唱して、ノワールは中央のハンバーグにぶっすりとフォークを刺した。そして大きな口でかぶりつく。
「む! 中にトロッとしたのがある。なんだ!」
「チーズが入ってるんだねぇ。おいしい?ノワ君」
「うむ! これもまた美味である! なかなか楽しいぞ、『お子様ランチ』なるものは!」
ノワールは楽しげにそう言って、今度はプチトマトを頬張った。頬袋をふくらませ、もぐもぐと忙しなく咀嚼するノワールの姿は、まるでハムスターのようだ。日向子は微笑みながら、自分のミートパスタに手をつける。濃厚なミートソースが、つるりとした麺に絡んで、肉とトマトの風味が口いっぱいに広がった。
「こっちのも、サクサクしていてうまい!」
「エビフライ、おいしいよね。私も好きなんだ」
日向子はニコニコとノワールの姿を見ている。そんな日向子の顔を見て、ノワールは少し思案した。
(……先程の件では、日向子の機嫌を損ねてしまった。こやつの機嫌を損ねると、追い出されるやもしれん。力が戻っていないうちに追い出されるリスクは、回避せねばならぬ)
悪の組織の長である以上、常に打算で動かなければならない。ノワールはそんな下心から、かじりかけのエビフライをずいっと日向子に差し出した。
「これはヒナコにやる」
「え? でもそれは、ノワ君のごはんだよ?」
キョトンとした日向子に、さらに前にエビフライを差し出すノワール。焦れたような声で、日向子を促した。
「これはヒナコの好物なのだろう! 好物を譲ってやるのも、長としての使命である!」
日向子は少し迷った。いくら好物とはいえ、子供であるノワールから譲ってもらうなんて。そんな保護者がいてもいいのだろうか。でも、ノワールの気遣いを無駄にするようなことはしたくない。だって、こんなにも嬉しいんだから!
「ありがとう、ノワ君。ノワ君は優しいねぇ」
「うむ! ワガハイは慈悲深き男なのだ!」
「いい男だねっ! さっすがノワ君!」
日向子が微笑むと、ノワールは機嫌よく笑った。八重歯を覗かせ、ニカッとした笑みを見せる。そして勢いよく日向子の口にエビフライを突っ込んだ。
「むぐっ!?」
「なんだ。男から女への施しはこうするのであろう?」
ノワールはさも当然、というように堂々と言い放った。
「どこで、そんなこと知ったの?」
突然のことに驚きつつ、エビフライをサクサクと咀嚼しながら日向子は問いかける。ノワールは、ふんすと鼻を鳴らして得意げに言った。
「てれびどらま、というもので見たのである!」
「なるほど……」
小さな男の子からの『女性扱い』に、日向子は年甲斐もなく慌ててしまった。じわじわと頬が熱を持つ。だって、異性に好物を分けてもらうことなんてなかったから。
(なにやってるの! 相手はまだ子供なのに、照れちゃうなんてっ!)
日向子はブンブンと首を横に振り、ノワールに向き直る。
「ありがと、ノワ君。すっごくおいしいよ」
「そうであろう、そうであろう!」
日向子の言葉に、ノワールは満足気に言葉を返した。
(これでヒナコの機嫌も治った! 追い出される危機を回避したのだ。さすがワガハイ!)
そんなノワールの下心を、日向子は知る由もない。しかし日向子の柔らかな笑顔を見て、ノワールもまた困惑していた。
(ヒナコが笑うと調子が狂うのである……しっかりしろ、ノワール・ラグナロク! ヒナコは我が力を取り戻すための手段に過ぎぬ!)
ノワールは雑念を振り払うように、残りのハンバーグにかぶりついた。その必死な様子に、日向子はまたしても笑みを深めてノワールに尋ねる。
「そうだ、ノワ君。今日は待たせちゃったお詫びに、デザート食べちゃおっか。パフェとかどう?」
「ぱふぇ、とはなんだ?」
「ふふふっ、来てからのお楽しみっ!」
日向子はノワールの頭を撫でて、自信たっぷりに笑った。そのスマホのモバイルオーダー画面には、『チョコレートパフェ』と『ストロベリーパフェ』の注文完了ボタンが写っていた。きっともうすぐ、ノワールの輝かしい笑顔が見れるだろう。
「これからも、いっぱい美味しいもの食べようね、ノワ君」
「うむ!」
日向子とノワールは、向かい合って笑い合う。温かな食事を囲み、穏やかな会話を楽しむ。ノワールが見たテレビ番組の話ばかりだが、日向子はニコニコと聞いていた。雨の日に死んでしまいそうなほど弱っていたノワールが、ふくふくの頬を赤らめて話してくれるのが嬉しい。こんな日がいつまでも続けばいい。そう思った矢先。
窓の外から、視線を感じて振り返る。そしてその人物に身を固くした。
「朝比奈君……!?」




