14_なにやらきな臭い? キャラメルポップコーン!
「ノワ君、こっちこっち!」
休日のショッピングモールはカップルや家族連れで賑わっていた。日向子は、お気に入りのサロペットに怪獣のアップリケがついた可愛い子供服を着たノワールの手を引き、ウキウキでショッピングモールの廊下を歩いている。
「さ、着いたよ、ノワ君。ここが映画館って場所だよ」
「ふぉお……! これが!」
ノワールはというと、帽子の下の頬を真っ赤に染め、初めて訪れる映画館を見上げていた。大きなスクリーンに、色とりどりのポスター、そしてポップコーンの香ばしい香り。全てが新鮮で、ノワールは浮き足立った。
今日のお目当てはノワールが見たがった『大怪獣ガオガオン』の劇場版アニメだ。今、子供たちに大人気の大衆向けアニメーションであり、大人である日向子も大まかなあらすじを知っている。ノワールは日向子の帰りを待つ間、サブスクのチャンネルで見漁っていたようだ。
「ポップコーンはキャラメル味と塩味、どっちがいい?」
「どっちもである!」
「ふふ、よくばりさん。じゃあハーフ&ハーフにしよっか!」
手を繋いで楽しそうに笑い合う二人。その様子を、ロビーの巨大な柱の陰から、じっと睨みつける人影があった。
「フフフ……見つけましたわ、小鳥遊日向子……!」
エクリプス団第一幹部、アルタミアである。
今日の彼女は、特徴的な二本の角を魔術で完全に隠し、豊かな黒髪をアップにして大きなサングラスを装着。さらにこの陽気な日に不釣り合いな、厚手のトレンチコートの襟を立てていた。絵に描いたような不審者スタイルに周囲の人間は批判的な視線を寄越したが、本人はいたって真面目な変装と自負している。
「今日こそあの女狐の弱みを掴み、ノワール様をわたくしの元へ取り戻してみせますわ! 人間である以上、必ず隙があるはず……!」
ジリジリと二人の後を追い、アルタミアも映画のチケットを購入してシアターへと潜入した。
「ノワ君、映画の途中でトイレに行きたくなったら言ってね。応援してもいいけど、大きな声はダメだよ。守れるかな?」
「ワガハイ、いい子にするのである」
「ノワ君、えらいねぇ。いい子だねぇ」
開始前の告知が始まったシアター内で、日向子はノワールの頭を撫でた。ちょうど真後ろの席を陣取ったアルタミアの様子には気づいていない。日向子の瞳にはスクリーンではなく、ノワールだけが映っていた。
スクリーンに大迫力の怪獣が映し出されると、ノワールは緋色の瞳をこれ以上ないほど輝かせて画面に釘付けになっていた。
「ノワ君、はい、あーん」
日向子がキャラメルポップコーンをノワールの口元に運ぶ。ノワールは視線をスクリーンに向けたまま、パクリと口を開けて咀嚼した。
「うむ。美味である」
「よかったぁ。あ、怪人が出てきたよ、ノワ君。応援しなきゃね」
「何を言うか。吾輩が応援するのは怪獣のほうである!」
そんな二人の仲睦まじいやり取りが、真後ろのアルタミアの鼓膜を容赦なく破壊する。
(な、何ですの、この空間!? ノワール様が女狐に完全に飼い慣らされている……!)
日向子の弱みを探すつもりが、入ってくる情報は『ノワール様可愛い』と『小鳥遊日向子が羨ましい』の二点のみ。
(わたくしも! わたくしもノワール様にポップコーンを『あーん』して差し上げたいですわ!! キーーッ!!)
アルタミアは声を殺してシートの肘置きをキリキリと引っ掻き、血涙を流す。結局、映画の内容など一切頭に入らないまま、上映終了の明かりが灯るのだった。
「おもしろかったねぇ、ノワ君! 怪獣さんがかっこよかったねぇ。ドドーンッ、ってね!」
「うむ。あの怪獣の尻尾の振り方は、吾輩の破壊光線の軌道に通じるものがあったのである」
「そっかそっか。ノワ君も楽しめてよかった」
ノワールの頭を撫でると、日向子は機嫌良さそうに微笑んだ。ノワールは今日一日彼女の機嫌がいいことに、ふと疑問を抱く。
「どうかした?」
「ヒナコ、おぬしは映画が好きなのであるか?」
突然の問いかけに、日向子はきょとんとする。そういえば映画は好きで見に行っていたけれど、誰にも邪魔されたくなくてひとりで見に行くことが多かった。誰かと一緒に映画鑑賞なんて、いつぶりだろう。
「映画は好きなんだ。でも、今日はノワ君と一緒だったから特に楽しみにしてたの」
日向子はノワールの目の前にしゃがみ、愛おしげに頭を撫でた。そして感謝の気持ちを込めて、ゆっくりと頷く。
「こうやってお休みの日に楽しいの、すっごくひさしぶりなんだ。だからね、ありがとう、ノワ君」
日向子の真っ直ぐな瞳に、ノワールは一瞬たじろいだ。その声には、あまりにも切実な響きがこもっていて、無下にできなかったのだ。ノワールはテコテコと小さな歩幅で日向子に近づき、彼女の紙を撫でる。優しく、ゆっくりと。
「これからはワガハイが一緒にいるのである。だから、その……」
緋色の瞳が地面に落ちる。
「さびしくなど、ないのである」
それは初めて会った時に、日向子がノワールにかけてくれた言葉だ。ノワールは傷ついた身体で、生き延びることに必死だった。だからこそ日向子の懐に潜り、優しさにつけこんだ。それなのに今は、打算だけでは動けない。
日向子は滲みそうになった視界をグッとこらえて、立ち上がった。そしてノワールを抱き上げて、鼻先を合わせる。
「よしっ! じゃあ、お昼ご飯食べに行こっ。なにがいいかなぁ?」
日向子の問いかけに、ノワールはぱっと顔を明るくした。
「ふわふわたまごがいいのである!」
「オムライスね! ノワ君、オムライス好き?」
「うむ! だが、ヒナコがつくったふわふわが一番である」
「ほんと? うれしいなぁ。ノワ君が食べてくれるならなんでも頑張っちゃう!」
映画館を出て、近くのファミリーレストランに向かう日向子とノワール。そんな二人の後ろを、トレンチコート姿のアルタミアがまだつけていた。
「小鳥遊日向子の弱点、わかりましたわ」
あの女の弱点、それは孤独だ。あの年齢の女で独り身であるというコンプレックスを抱え、ノワール様の存在によってその穴を埋めているに違いない。
「だったら……!」
最もダメージを与えるためには、ノワール様により依存させ、ノワール様なしでは生きていけないようになったところで、ノワール様を奪い返せばいい。ノワール様だってきっと、あんな人間の女には一欠片の情もないはずだ。
「そうよ、完璧ですわ。あとはこの計画を実行に移せば……」
すっかり嫉妬で理性を失い、ブツブツ呪詛を吐きながらジリジリと距離を詰めていく彼女の姿は、客観的に見て完全に危ない変質者そのものだった。
そして、その明らかな変質者を、影から鋭い目で見つめる人物がもう一人。
「ちょっと、お姉さん?」
「な、なんですの!?」
「ただの通りすがりの大学生です」
お隣さんの橘サクラである。あのハンバーガーショップの後、日向子とノワールのことが気がかりだった。とはいえサクラにも大学生活があるため、四六時中見守ることはできない。今は、学校の帰り道のパトロールで偶然不審者を見つけただけだ。
「あなた、ストーカーですよね? さっきから、あの二人をジロジロ見てましたし」
アルタミアの視線の先に日向子とノワールがいることに気がついて、サクラは首を傾げる。この人は小鳥遊さんという妙齢の美人を狙う変質者なのか、怪人であるノワールを狙うなんらかの脅威なのか。
「す、ストーカー? まぁ、なんて失礼な子なのかしら! 最近の若者は特に愚かと聞いていますけれど、まさかここまでなんて」
「怪しいトレンチコート着て尾行までしておいて、一般人って言い訳は通用しませんよ!」
「これは完璧な潜入調査のための衣装ですわよーーーっ!!」
アルタミアの必死な弁明も、サクラの前では通用しない。サクラはこの日本を守っている魔法少女なのだから。
「言い訳ご無用! さっきからずっと小鳥遊さんの後ろを付け回して、ブツブツ気持ち悪いこと言ってたでしょ! 警察に通報されたくなければ、今すぐおうちに帰りなさい!」
サクラは正義感に燃える目で、アルタミアをキッと睨みつけた。一方、いきなり見知らぬ人間の小娘に「ストーカー」「気持ち悪い」と罵倒されたアルタミアは、あまりの理不尽さに顔を真っ赤に引きつらせた。
火花が散り、数秒の沈黙が落ちる。アルタミアとて悪の組織の幹部、小娘を黙らせることなど容易い。しかしここで正体を明かすわけにもいかないので、さっとコートを翻した。
「正義感の強いお嬢さんの勇気に免じて、私が譲って差し上げますわ。では、ごきげんよう」
アルタミアは苛立ちを完璧な笑顔に隠しながら、その場を立ち去った。角を曲がった先、人の波に消えたアルタミアの後ろ姿を、サクラは睨みつけていた。
「なんだか怪しい人だったゾ」
「そうだね。日向子さんたちを狙ってたみたい。潜入調査ってなんのことだろ?」
サクラは大きなため息を吐いて、壁にもたれかかった。魔法少女としての責任と、サクラ本人の良心の板挟みで胸が痛い。
「やっぱり、ちゃんと調査しなきゃかなぁ……」
サクラは困ったように髪を指で巻く。その視線は、行き交う人々の中から見えるファミリーレストランの窓に向けられていた。
「ノワ君、おいしい?」
「うむ、美味である!」
日向子は彼女達の攻防にも気付かぬまま、穏やかな顔でノワールを見ている。一方ノワールはというと、アルタミアの備考の真意を測りかねていた。ふわふわのオムライスを頬張りながら、内心冷や汗をかいている。
(アルタミアのやつ、吾輩を尾行するとは何事か。あやつ、何かを企んでいるのではあるまいな……)
「ノワ君? どうかした?」
「む、なんでもないのである!」
ノワールは日向子の問いかけに首を横に振り、ニカッと笑ってみせた。こんな表情を向けると、日向子はとても安心するのだと学習した。今のノワールにとって最優先事項は、この目の前の女の機嫌を取ることだけなのである。




