鼓動のデシベル
放送室に、小野寺美華がやってきた。
埃臭かったはずの部屋が、彼女の匂いで満たされていく。
距離感の壊れた彼女に翻弄され、俺の平穏は音を立てて崩れ始めた。
なぜ、こうなってしまったのだろう
意識が、あの日へと引き戻される
俺が放送部のドアを開けた、あの日だ
そこは五畳に満たない薄暗い部室だった。窓から差し込む西日に埃が舞う密室。
中央の錆びついたパイプ椅子に「彼女」は座っていた。
小野寺美華
クラスの中心にいるはずの少女が、膝の上で文庫本を広げている。
逆光に透ける髪が淡い金色に光り、ページをめくる指先は驚くほど白い。
鉄錆や埃の匂いしかしない空間に、場違いなほど甘い香りが漂っていた。
その姿は、暗闇を照らす女神か、あるいは、俺の平穏を奪いに来た天使か。
少なくとも、陰キャの俺が一生関わるはずのない、眩しすぎる光だった。
「……ねえ、聞いてるの?」
鈴を転がすような声が、鼓膜を直接震わせた。
一瞬で意識が現実へ引き戻される。
目の前に、小野寺の顔があった。
驚くほど近い
「あ……ああ、悪い、なんだ?」
「なんだじゃないよ、これどうやって使うの?」
不思議そうに小首を傾げる彼女。その瞳が至近距離で揺れている。
クラスで見せる「完璧な美少女」の仮面を脱ぎ捨て、新しいおもちゃを見つけた子供のような、純粋な好奇心の輝き。
そんな顔で覗き込まれたら、たまったもんじゃない。
鼻先をかすめる甘い匂いが、さらに濃くなる。
心臓が、耳元で鳴っているかのように大きな音を立て始めた。
「……解説してほしいみたいな顔で見んなよ」
「えー、だって気になるんだもん、ねえ教えて?」
彼女はそう言いながら、さらに一歩、俺のパーソナルスペースへ踏み込んできた。
肩と肩が触れそうな距離。
古いミキサーが放つ機械の熱と彼女の体温が混ざり合う。
放送室の温度が急上昇した気がした。
心臓の鼓動がうるさい。
「……佐伯くん?」
名前を呼ばれ、ようやく自分が息を止めていたことに気づく。
隣に立つ彼女から漂う、甘い石鹸の匂い。
それが肺にまで入り込み、頭がどうにかなりそうだった。
「あ、いや……それは、もっとゆっくり動かすんだ」
震える指先を隠すように、俺は手を伸ばした。
彼女がフェーダーにかけていた指の上に、俺の指が重なる。
『熱い』
冷たいプラスチックの感触を挟んでいるはずなのに、彼女の体温が電気ショックみたいに俺の腕を駆け抜けた。
脳内の回路がショートして、火花が散った気がした。
「……あ、佐伯くん手が震えてるよ?」
小野寺が、至近距離で俺の顔を覗き込んできた。
長いまつげの隙間に見える瞳が、面白そうに揺れている。
「……っ、悪い、もう時間だ」
俺は弾かれたように手を引き、椅子を鳴らして立ち上がった。
心臓の音がうるさすぎて、自分の声さえ遠くのノイズのように聞こえる。
「え、もう終わり? まだ聞きたいこと……」
「終わりだ、鍵は俺が閉めておく先に行け」
俺は彼女の返事も待たず、乱暴にメインアンプのスイッチを切った。
スピーカーからノイズが消え、急激な静寂が訪れる。
その静けさが、かえって俺の鼓動を強調しているようで、耐えられなかった。
カバンを掴み、戸惑う彼女を置き去りにして、俺は部室の重い扉を開ける。
背後から届く彼女的視線を振り切り、旧校舎の廊下を走り出していた。
夕闇が迫る校庭、運動部の掛け声。
そんな日常の音が耳に入らないほど、俺の指先は、今も彼女の熱を覚えている。
俺は、逃げるように帰った。
とりあえず頑張って2話目を作ってみました、今日はある程度の方々が入学式などですね、ご入学おめでとう御座います。
自分も今年受験生ってことあるので頑張っていきましょう!!




