第二十一話 御堂サキ「クソガエルの話」
謹慎三日目。一応、今日で謹慎は終了。明日からいよいよ新生活です。新しい学校、それは私の胸を高鳴らせます。
「あー、サキ。ゴメンね、なんか無理矢理テンション上げてるとこ。なんかね、新しいクラスでSNSのグループ作ったらしいんだけどね。完全にサキのあだ名、『メリケンさん』で確定らしいよ」
いえ、分かってはいました。出来るだけ考えないようにしていただけです。そうですよね、今のうちに覚悟はしておくべきでしょう。
なにしろ学校の校門前で高校生に暴行してしまったのですから、悪い噂も立つ事でしょう。
「あの殴られたヤツね、全治二ヶ月だって。かなりの重傷だよ」
……でもね、先に手を出したのはあの方ですし……。
「でもさー、本気で怖がられてたらあだ名でなんて呼ばれないよねー。そういう意味では、結構クラスに馴染めるんじゃないかなー」
フォローありがとうございます。なんだかとっても励みになります。そうですよね、怖がられて誰も近付いてこないよりは、ずっと良いですよね。そう思う事にします。
「さてと、そろそろお店も暇になってくる時間帯だし、ケイトとお父ちゃんが来たら始めるよ。今日は『クソガエル』の話をするから」
「あー。それねー、私も気になってたのよー。なんか前からちょいちょい言ってるよね、それ。クソガエルってなに?」
千華と優子の会話の途中、勢いよく千華の部屋のドアが開け放たれました。そしてまたあのセリフ。
「話は聞かせてもらったよぉ」
本当に好きですね、それ。最近の魚政さんのマイブームらしく、千華の部屋に入ってくる時はいつもこんな感じらしいです。
もはや何度も繰り返されているのか、既に千華もツッコみを放棄しています。
「ああ、お父ちゃん来たね。そんじゃ話始めようか」
「千華ぁ。父さんは悲しいよぉ。いつから千華は父さんのボケを流すようになったのかなぁ」
魚政さんは静かにドアを閉めました。あれ? ケイトは?
「ハッ、話は聞かせてもらたよー」
ケイトが恥ずかしそうに入ってきました。
「オマエまでやらなくていいんだよ!」
***
「さて、千華には一昨日の晩に説明してるんだけどねぇ。この場で他のみんなにも説明しておこうと思うんだぁ」
魚政さんがついに語り始めました。魚政さんが千華の部屋に入ってから、タップリ三〇分はグダグダな状態が続いていましたが、ようやく話が始まりました。
「クソガエルっていうのはねぇ、僕ら深きものが『クトゥルーの稚児』と呼ぶ生き物なんだよぉ」
「まあ、超簡単に説明するとね。そのクソガエルってヤツは海に眠ってる邪神の子供みたいなヤツらしいのよ。そんでね、ソイツを生きたまま呑み込むと、ソイツは宿主の体内に寄生して、代わりに異常なスキルを与えるって話」
千華が魚政さんが説明しようとしていた事を横取りしました。話し始めて一分で魚政さんは拗ねてしまっています。
「え? なに、それ? カエルを呑み込むの? ウゲェ、気持ち悪い……」
優子とまったく同意見です。第一、そんなカエル聞いた事もないです。
「ソイツらはね、ルルイエって邪神の眠る場所にしか生息してないんだって。他の場所で育てる事も試してみたんだけど、少なくとも深きものたちには出来なかった。
だからクソガエルの力を得ようと思ったら、ルルイエまで行かないといけなかった」
魚政さんは完全放置のまま、ケイトが話を引き継いだ。
「……ルルイエというのは、私たちにとっても危険な場所なんです。その近辺に生息している生き物は、私たちの知る生物学の常識もまったく当てはまらないような異質な生物ばかりです」
「で、その中の一つがクソガエル。お父ちゃんたちは別の名前で呼んでいたらしいけど、インスマス時代にはその名前を呼ぶ人はいなくなってて、気が付いたら『ファッキンフロッグ』って呼ばれてたらしいよ。そんで今は『クソガエル』」
あまりにも酷い名前です。ですが、そう呼ばれる理由はハッキリしていたそうです。
「とにかくクソマズいらしいよ。ケイトも呑み込んだらしいけど……、三日間くらい吐き気が止まんなかったんだって」
ケイトが小さくコクコクとうなずく。どうしてそんなモノを呑み込んだのでしょう、それもルルイエなんて危険な場所まで行って。
「ちなみに、得られるスキルは人によって違うらしいよ。その人が望んだ力が手に入るって話だけどね。
そして得た力によって少しばかり外見にも変化が起きる場合があるって話。そうだよね、お父ちゃん」
唐突に話を振られた魚政さんは妙に嬉しそうに応じています。
「そうだねぇ。例えばサキちゃんが僕の昔の写真を持ってきてくれた事があったけど、アレはクソガエルを呑んで『忌まわしき臓物の業火』というスキルを持っていた時の外見なんだよぉ。あの真っ赤なトサカねぇ」
「で、ルーカスは『恥知らずの仮面』って風を起こすスキルを持ってたらしいけど、それは外見にあんまり変化が起きないタイプらしいよ」
あれ? それじゃあ、ケイトは……。
「……私は『吐き気をもよおす癒やしの悪魔』というスキルを持っています。その名前は魚政さんから教えてもらったんですけど……。それまでは普通に回復魔法って呼んでました」
「彼女の能力はねぇ、生物の持つ回復力を無闇に暴走させる力でねぇ。その回復力のせいで、彼女は深きものに変化せず、人間のままで居続けているみたいだよぉ」
「……はい。この能力を得る前の私は、ルーカスともあまり違わない外見でした。能力を得た時から、人間の姿に回復して、そのままの状態を維持出来ています」
それまで沈黙していた優子が突然の絶叫。
「なにそれ! 凄いじゃん! じゃあ、例えばそのクソガエルを千華とかサキが呑み込んだら、ものスッゴい力を手に入れられるの? どうする、行ってみる? そのルンルン・イエーイとかいう場所に」
楽しそうな場所ですね。そこにいる人はみんなテンション高そうです。もちろん行きませんけど。
「だからアブねぇ場所だって言ってんだろ! それに海の底だよ! お父ちゃんくらいしか行けねぇよ!」
「父さんも今は無理かなぁ。あの辺はどう猛な生き物でいっぱいだからねぇ」
「へー。でもケイトは行ったんでしょ、そのルンルンに」
「ルルイエな! ほんでね、こっからが本題。結構面倒くさい話になっていく訳よ。
今、優子も言ってたけど、本当ならクソガエルはルルイエじゃないと捕まえられないはずだったの。それがお父ちゃんのせいで変わっちゃった。
お父ちゃんがこの街に来た時の事なんだけどね、お父ちゃんは火を使うスキルを持ってたんだって。でもお父ちゃんはそのスキルを手放しちゃったのよ」
どういう事でしょうか。心なしか魚政さんの表情が苦渋に満ちている気がします。
「クソガエルは寄生生物なんだけどねぇ、本来なら死ぬまで僕の体内にいるはずだったのぉ。だけどねぇ、僕はこの街にやって来た時、取引を持ちかけられたんだよぉ。
クソガエルを外科手術で摘出して、それを提供する。その代わりに僕はこの街で暮らす事ができるように『戸籍』をでっち上げてもらったのぉ」
全員が沈黙。そうでしょうね、みんな取引をした相手を理解しています。多分、その取引相手は豹紋葛一斎。そんな事ができるのはあの人しかいない。
「クソジジイはどうもクソガエルの研究を自分の手下にやらせていたみたい。そんでね、成功したんだって、クソガエルの養殖」
千華は一息ついてから深刻な表情を浮かべて続けた。
「ケイトはそれを手に入れた。もちろんルーカスも。その辺の話をケイト本人から聞いたんだけどね、どうもクソジジイの管理していたクソガエルを穣治のボケが盗み出したらしいのよ」
「千華ぁ、最近どんどん口が悪くなるよねぇ。父さん、悲しいよぉ」
「そんな事はどうでもいいよ。問題はね、穣治に荷担する深きものは全員スキル持ちになってる恐れがあるの。ルーカスも厄介だったけど、それ以上に厄介なヤツも出てくるかも知れない。
なにより、穣治のボケは誰にでもスキルを与えられるという事。それはデカい。力を求めて穣治のボケに荷担するヤツはこれから増える一方だと思うよ」
そして穣治様は超常現象レベルのスキルを持つ軍勢を築き上げる事ができる。なるほど、確かに深刻な事態なのかも知れません。
「アタシが昨日、これから『戦争』になるかも知れないって言ったのはね、クソガエルの力がそれだけヤバいって事と、その使いどころが難しいって事。
例えば優子、アンタが手から炎を出したり突風を出したり出来たとするね、そんな力をなにに使う?」
「え? いや……、そうだねー。やっぱり悪と戦う? 正義のヒロインみたいな感じで」
「まあ、いきなり言われても使いどころなんて分からないよね。誰だってそうだと思う。穣治のボケの手下だってね。いきなり超能力みたいなスキルを手に入れたら、多分ソイツは暴走する。スキルをそこら中で使いまくるね。
優子はまだマシ。一応は『悪と戦う』って言ってんだから。だけど、スキルを得たヤツは一般人相手なら無敵だよ。サキみたいな化け物じゃなきゃスキル持ちには手も足も出ない」
あれ? さりげなく化け物呼ばわりされていませんか。
「そんなヤツらがこれからこの街で増えていく。ソイツらは間違いなく暴走する。だから厄介なんだ、アタシたちを狙ってくるならまだマシ。多分、穣治のボケの手下とか、オーベッド派の連中は無関係な人間にも手を出し始める」
「昔はねぇ、クソガエル持ちは一目置かれたんだよぉ。ルルイエまで行くのも大変だからねぇ。深きものの中でも勇敢な者って扱いを受けたねぇ。だけど、それでも力に溺れる者はいたよぉ」
穣治様は配下を統率できるのでしょうか。私は穣治様と面識もありません、それだけに穣治様の人となりはひいお爺様の評価しか参考にできる情報がありません。
確かひいお爺様はこう仰っていました、『アイツはただの俗物だ。ワシから見ればなんの価値もない男だよ』
そんな人が果たして人外のスキルを手に入れた軍勢をまとめ上げる事ができるのでしょうか。
「早めに叩かないとヤバい。取り返しがつかなくなる前にね」
「でもさ、それって千華がやらないといけない事なの? それこそ千華のひいお爺ちゃんの市長さんがやればいいんじゃないの?」
千華と目を合わせる。私たちは知ってる、ひいお爺様は動かない。本心こそ分かりませんが、傍観者でいると私に宣言していました。
「あのね、出来れば優子は巻き込みたくないんだ。でもね、アタシとサキはもうガッツリ関わってんの。それにクソジジイは当てにならない。アイツはこの状況を楽しんでる、アレはそういうヤツだから」
「まあ、言葉は悪いけど、僕も千華と同意見だねぇ。あの人は僕らのような人外の存在に妙な憧れを持ってるからねぇ。この街に深きものが集まってくるのを、むしろ喜んでいるかも知れないねぇ」
優子の困惑。それは痛いほどに分かる。友達だから巻き込みたくない、友達だから協力したい。どちらも相手を気遣っている、だからこそ悩む。
「いや、別に優子にウチ来んなとか言ってる訳じゃないよ。ただ面倒な事になったら、さっさと逃げちゃって欲しいだけでさ」
「えっと、うん。でもそんな面倒な事になるの? 本当は私を脅かしてるだけだったり?」
千華が静かに首を振る。
「だ、大丈夫だって、きっとなにも起こらないよー。この間、サキがやっつけちゃったでしょ、アレでもう懲りてるはずだって」
無理に明るくはしゃぐ優子。彼女はなにも起こらない事を期待してる。ごめんなさい、私はなにかが起こる事を期待してる。
今日は謹慎三日目、明日から学校だ。